津川千鶴、語らく
津川という女性が初めて口を開いたのは、青山が「少し二人だけで話しなさい」と言って天川と二人残して出ていってしまってからである。
それまでの間、彼女の世話役に当たる老婆が何か話している間も、彼女は黙ったままだった。
「……」
天川は女性が得意ではなかったので、この場では思うように口が開けずにいた。
「それじゃ、改めて、」
天川の様子を察して、先にそう口を開いたのが津川である。初めて聞いた彼女の声は、見た目どおり、美しかった。
「私は、津川千鶴。歳は十九。君は十八歳って聞いてるから、私のほうが一つ年上だね」
天川は、その声を聴きながら静かに息を整えた。
「津川さん。今日は大変申し訳ないのですが、私は今回のことをーー」
「まず自己紹介」
津川は、人差し指を口許に立てて、優しく遮った。天川は、自らの顔が赤くなるのを感じながら、もう一度ひと呼吸ついた。
「私は、天川暦世と申します。暦に世界の世で、としよ、と読みます。ご存知の通り、歳は十八です」
天川は、そう言い終わると、ひとまずを終えたことで、汗が吹き出るのを感じた。
「聞いてるよ、まだこの街に来て、一週間くらいなんでしょ? 大変だね、いきなり」
「ええ」
そこで、天川は疑問を一つ思い出した。正徳によれば、彼女もまた、元の日本の出身だという。
「私はね、だいたい二ヶ月くらい。気付いたら、こっちにいて。たまたまこの街の近くだったから、すぐに人に会って、ここに連れてきてもらったけど」
二ヶ月、というと、天川もこちらへ来たのは二ヶ月ほど前である。彼の場合は、現地人の貴族に拾われて暫く厄介になっていたのだった。その旨を話すと、
「もしかしたら、同じ時にこっちに来たのかもね、私たち。どうやってこっちに来るのかとか、分かんないけどさ」
千鶴は落ち着いた調子で話すのだった。
正直に言えば、天川は今、彼女の態度に感服する思いだった。彼の方は、二ヶ月たった今でも、見知らぬ異世界に飛ばされたことに心が馴れていない。しかし目の前の彼女は、落ち着いているだけでなく、自分を慮って率先して会話を作ってくれている。
「このお見合いのこと、どこまで聞いてる?」
「いや、そもそも今日、見合いがあるということ自体、さっき知りました」
「あー、そう。よっぽど私のことを片付けたいんだねぇ。ごめんね、私のせいかも、そうなったの」
天川は、そう言う彼女に改めて尋ねると、千鶴は、この見合いの事情について語りだしたのだった。
天川くんはさ、この街の人がどれくらい日本に憧れてるか分かる? この街の人たちは、自分たちのご先祖さまが暮らしていた日本に対して、どんなに憧れても、絶対に、そこに実際に行ってみることができないの。だから、この街の人たちの、実際の日本を知っているような私たちみたいな人間への尊敬の思いは、私たちの理解を越えたものがあるの
私が初めてこの街に来たとき、それはもうたくさんの人が毎日毎日、私に会いに来てね、日本のことを教えてくれーって言うのよ。それでね、私もほら、こっちに来たばっかりだったから、気持ちの整理がつかなくってさ、あんまり親切に出来なかったけど、とにかく、この街の人たちの、私たちへの興味ってのは凄いの。天川くんの所には、そういう人たちが来ないように、村木さんたちが手配してたみたい
この街の人たちの、そういう思いが、悪い方向に凝り固まっちゃったんだと思うけど、この街の人たちは、みんな、自分たちのご先祖さま同士が同じ出身地の人たちで互いに固まって暮らしていて、それ以外の人たちと、不必要に敵対するような所があるの
一番ひどいのは関東の人と、関西の人ね。そりゃあ、元の日本だって、関東人と関西人との間の、競争意識みたいのはあったけど、この街はそれがずっとひどくて、関東人の子孫と関西人の子孫の間で、政治的に対立しているらしいのよ。特に、城長なんかは、次は関東から、いやいや次は関西から出すんだって、いつも揉めてるみたいなの
それで、この城長を選ぶときに、選挙みたいなのをやるらしいんだけど、それで、私たちみたいな異世界一世は、他の住民から凄く憧れられてるでしょ? だから、自分たちの党派に異世界一世がいると、まぁ簡単に言っちゃえば、選挙に有利なのね。それで、私たち異世界一世は、どこの出身か、誰と繋がりを持つのかが、うるさく言われるの
私はさ、両親が大阪出身でね。でも、私は東京うまれの東京そだち。だから、関西のほうに行こうか、関東のほうに行こうか、今でも決めかねてるんだけど、そういう事情だから、今は城長の村木さんの所にお世話になってるの。天川くんは、関東出身だって言うけど、もう代々関東なの?
へぇ、そうなんだ。じゃあ私と違って、迷わないね。武州党の、青山さん、だっけ? 大喜びする訳だ
それで、話を戻すけど、ほら、この街、機械とかはけっこう発展してるところがあるけど、人の頭の中は明治とか大正とか、下手したら江戸時代から変わってないんじゃないかってところがあるでしょ? それで、ほら、私、女だから。この街だと、やっぱり、政治をやるのも商売をやるのも、まだまだ男だって地域だから。だから、まぁそれはさ、しょうがないことだけど、私もほら、十九でしょ?
つまりね、私と結婚する人は選挙に有利になるから、私の旦那さんになる人を、関西から出すか関東から出すかで、揉めてたって訳
私たち異世界一世が身内にいると、政治をやる上で凄く得なのよ。私は、関東人として生きるか、関西人として生きるか、まだ決めかねてるところはあるんだけど、ほら、ずっと村木さんにお世話になってるから、もうどっちかって言うと関西系の人間として扱われてるの
それでね、加えて、私の息子の所に来てくれー、みたいな声が、やっぱりたくさんあったみたいでさ、それで、関西から私の旦那さんを出すと、それは関東から文句が出るし、それに同じ関西でも、全員が全員、村木さんと協力関係にある訳でもないしさ
だから、ここに天川くんが飛び込んできて、とりあえず問題が棚上げに出来るって訳。私たちはさ、ほら、天涯孤独になっちゃったじゃない? だから、誰と誰とで利害関係がある訳でもないし、それに異世界一世どうしなら文句もつけずらいし
……私はそれでいいのかって? そりゃ、人の結婚を周りが勝手に決めるのは、って思うけど、私としてはさ、それでもいいかなって、思うの
私は、……私はさ、両親と、うまくいってなくて、そんな時、友達とも揉めちゃってさ、そりゃあ私にも、元の世界に心残りが無い訳じゃない。妹がいてね、妹は、ずっと私の味方をしてくれた。だから、妹には、もう会えないと思うと……。
ごめんね、でもさ、私はね、こっちへ飛ばされて来たとき、もうなるようになっても、それでいいかもって思ったの
確かに好きな人と運命的に巡り会って、結婚して、そういうのが理想だとは思うけど、でもさ、普通の人だって、学歴とか収入とか言って、純粋な恋愛は難しいものでしょ? それに、私は愛は作っていけるものだとも思うから
確かに、理想の人とばったり恋に落ちるのも運命だと思うけど、でも、こうやってお見合いで出会うのも運命だとは思わない? だから、私の人生のやり直しに付き合わせるのも悪い気はするけど、天川くんさえ良かったら、これから私と一緒に人生を作っていってほしい。ごめんね、最後はちょっと私のことをさ、でも、そういうことだからさ、これからよろしく
最後に千鶴は、笑顔を作ってそう言った。二人の結婚は決定事項ではあるが、しかし、それでも、そう悪いことでもないんじゃないか、千鶴はそう思っている。
「……話は、だいたい分かりました。しかしそれでも、私は貴方と結婚する訳にはいきません。話を聞いたら、尚更です」
「ちょっと、それってーー」
「村木城長と直に話させてください」
そう言ったきり、天川は立ち上がって部屋を出ていった。