オーミス男爵への手紙
親愛なるオーミス卿へ
私がこの街へ到着して、一週間ほどが経ちました。まだ私の新しい住居は決まらないのですが、それについては、私ではなく、私の世話人とでも言うべき人が探してくれており、私みずからはその人の家に寄宿しながら、特にやることもなく、その為に余り日も空かない今、筆を取った次第です。
オーミス卿は私の母国や、母国人の移住区であるこの漢京市日本城について、知りたがっていらっしゃったと思いますので、簡単に紹介させていただきます。
卿も知っての通り、貴方がたが異世界とか異界とか呼んでいる、我々の世界も、複数の国に別れております。私がこちらへやってくる直前の段階では、だいたい二百くらいはあったでしょうか。私の母国、日本もその一つです。
日本という国は、そのすぐ下の地域単位として、だいたい六十くらいの地域に細分されています。更にその下に町とか村とか続くのです。私が日本にいた頃は、四十七の地域に区分されておりましたが、これも歴史の中では最近になって決められたもので、元々は更に多くの地域に分けられていたのです。
さて、話を日本城に戻しましょう。この日本城では、住民はみな、祖先の出身地、即ち祖籍地ごとに集まって暮らしており、それだけでなく、この集まりは郷党と呼ばれ、同時に末端の行政組織にもなっているのです。元は、同郷人の互助組織だったものが発展したのでしょう。この街の住民は、郷党ごとに集住し、加えてこの郷党によって戸籍とかの手続きも行います。郷党は言わば日本城の中のそれぞれの村で、その党首は村長に当たります。私がいま寄宿させて頂いているのも、私の元の出身地の武蔵というところの郷党の党首の方の家です。私の新しい住居になるべき家も、その方が探してくれています。
私にとっては、日本の地方と言えば、四十七の分け方が最も馴染み深いものです。しかしながら、この街にある郷党は六十くらいあります。つまり、古い時代の地方の分け方がそのまま受け継がれているのです。四十七の分け方は、私の生まれる一世紀以上前に出来たものですから、この郷党というのは、それより更に昔に出来たのかもしれません。
次に、私が少しこの街を歩いてみた感想を述べたいと思います。私見ではありますが、私にはこの街はとてもいびつに見えるのです。ある部分では、もはや近代か、それを通り越して現代と言っても良いような部分がありながら、別の部分では、近世が残っているような部分もあるのです。現代の母国を知っている私からすると、とても不思議な感覚を覚えます。
私が思うに、この街では、自然科学の分野に属することが特に進んでいるように思えます。多くの病に対する薬もあれば、上下水道もよく完備され、暮らしてゆくぶんなら、あくまで肉体的には、ということになりますが、なに不自由しないかと思われます。
しかしながら、社会科学や人文科学の分野では、母国から何百年か前だろうというようなものが今でも現役で残っているのです。一例を挙げますと、驚くべきことに、この街では、司法や立法は行政作用として行われているのです。司法や立法を行政と分けるのは、いわゆる異世界の中でも、私の母国とは全く別の国が産み出したものですが、私の祖国がこれを導入したのは、私が生まれるもう百年以上も前のことです。つまり、政治の面で言えば、この街は、母国から百年以上も遅れているということになります。もちろん、母国のほうがより進んでいるのか、それとも、この街には、古き良き体制が残っていると考えるべきなのか、それは分かりませんが……。
私のように、異世界から人間が漂流してくることは、殆ど無いことだそうです。そういった人間がたまたま何かの分野に精通していれば、その分野については、文明が進むということになるのでしょう。そのようなことが何度もあるうちに、このような、一方ではより文明が進み、もう一方では全く古いものが残っている、ということになったのだと思われます。
卿は異世界について研究をなさっておられますが、私がこの手紙でお伝えできたような、異世界そのものと、こちらの世界に存する異世界人街の違いが、卿のこれからの研究に役立つことがあれば幸いです。
それでは、また後日、手紙を送らせて頂いきます。
天川暦世