漢京市について
農夫の親父に礼を言い、荷物を担いで馬車を降りると、天川は、目の前に見える関所に向かって歩き出した。
白虎門、と書かれた額が掲げられ、付近の城壁には雄々しく白虎の姿が描かれている。ここがこの街、漢京市の西門に当たるからだろう。
おーい、と人が手を振っているのが見える。この「おーい」というのが、天川が二ヶ月ぶりに耳にした母国語であった。
「オーミス男爵から手紙を受け取って、詳細は聞いておりますよ。私は右倉と言います。どうぞよろしく」
右倉はずいぶん若いように見える。
「今年で十六になります」
天川は今年で十八だ。二歳下ということになる。
「後は進みながら話しましょう。これが、貴方の市民権を保証する市民章になります。手続きは行っておきました。失くさないでくださいね」
天川は右倉から小さな書類を受け取った。「天川暦世」と漢字で書かれ、その下にアスクド文字で同文が書かれている。
住所欄には、「日本城」と確かに記載されていた。
右倉の後ろに付いて、人が並んで混雑する関所を通り抜け、街に入ると、そこは今まで見ていたこの異世界の農村とは別世界が広がっていた。絵に描いたような中華街である。
「馬車を待たせています」
右倉の後を続いて、馬車に乗り込んだ。この街へ来る途上で便乗した荷物運搬用のものとは違う、ちゃんとした人間用である。
「無数に存在した我々異界人の街に対し、アスクド帝国が集住を命じたのは、今から二百年以上前のことになります」
馬車の中、右倉はこの街の解説を初めてくれた。
「当時、アスクド帝国が存在を認めた異界人街は合わせて四つ、特に規模の大きかったものを上から順に選んだようです。残りは皆そのうちのどれかに移り住むことになりました。我が日本人もそうです」
それから続く右倉の説明を、天川は黙って聞いた。
彼の説明を要約するとこうである。この世界は、自分たちの祖先のいた地球とは全くの別世界であるらしい。そのうち、この街の存する部分は、アスクド帝国という国が治めている。そして、多くいた異世界からの来訪者たちとその子孫は、今、帝国が公式で認めた四つの街のどれかの都市に居住している。この漢京市である。
「我々日本人はハンキンと発音することにしていますが、漢人の言葉ならハンジンのほうが近いのでしょうか。どちらにせよ、ここでは筆記の漢文か、アスクド語でやり取りをすることが多いので、漢語の会話は覚えなくて良いと思いますよ」
アスクド帝国から異界人集住命令が発せられたその時、取り潰しに遭った日本人街も、近場の帝国公式都市に移り住むことになった。その時に選んだのがこの街である。元は漢人の作った街であった。残りの街は欧州人やイスラーム教徒の街だと言うから、消去法で、文化の近い中華街ということになったのだろう。
この漢京は同様の過程で集まった多くの東アジア人が住んでいる。住民の総数は百万人を下ることが無い。大都市である。
「俗に、漢京十五城と言います。漢人の街であるこの漢京に加え、他の民族の自治区域で、各々なんとか城という名前のものが十四ある訳です。それらの事は、我々日本人は城内城なんて呼び方をしたりもします。日本城もそのうちの一つですね」
街の面積は、貰った地図を確認すると、東京より少し大きいくらいはあるだろうか。いずれにせよ、ここ漢京のうち日本人居住区、即ち日本城は街の東端である。馬車の旅は長そうだ。
街をゆく中華街の景色を眺めながら、右倉は解説を進めた。あらかた話し終わった所で、天川は思い切って尋ねた。
「それで、元の日本に帰る道はあるのでしょうか」
右倉の目に、憐憫の模様が浮かんだ。
「残念ながら、それはありません」