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幸福世界  作者: 古浜夕
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子供からの手紙

「私たちは、当時、所謂エリートでね。大学病院の最新設備で人を生かす研究をしていた。でも、一人でも多くの人を救いたいという、まっとうな思いすらも、政治の駆け引きに利用され、金儲けの道具に成り下がろうとした。私達はあきれてしまったんだ」


 兼光さんは僕の目を見なかった。ずっと下を向いたままだ。


「政府に交渉して、国民全員の精神の分析を行った。これにより、医療技術の革新に繋がると嘘をついてね。すると、善良な、平和を愛し、人を尊重できる心を持った国民は丁度一〇〇〇万人だった。二億人の中のたったそれだけだ。そこで、全てをリセットして、平和な国を作ろうと思い立った。それから、ウイルスを開発し、パンデミックを起こした。事前に、生き残るべき国民は保護した上でな。そして、正しい国民だけで、正しい国を作った」


 兼光さんの話は、合いも変わらず素通りして、うまく頭に入ってこない。だけど、初めからあった一つの疑問だけはふいに浮かんできた。


「それなのに、どうして今、この国を嫌うのさ。そうまでして作った、兼光さんの理想の国なんだろ?」

 出会った当初から、兼光さんに対する、たった一つの理解できない部分だった。

「初めはそうだった。私たちは必死にやった。医療技術を進歩させて、病を滅し、ついに不死を実現した。今までの、上層部の利益だけを考えた制度を一掃して、新たな法律を作りや、設備投資にも力を入れた。断言できるが、私利私欲の為に働いた者はいない。私達の熱意を感じて、国民も力を貸してくれたし、何より私たちを信頼してくれた。その甲斐あって、嫌なことを全て排除した理想の世界が完成した。穏やかな暮らしに、誰もが満足した」

「じゃあ、何で?」


 兼光さんは、顔を上げて窓の外を見た。来るときは快晴だったのに、厚い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうだ。いつもならまだ明るい時間のはずなのに、すっかり薄暗い。


「どんなに綺麗な水でも、同じ場所にとどまれば、やがて淀んでいく」

「どういうこと?」

「皆、幸せを勘違いしてしまったのさ。苦しみも悲しみも、迷いすら排除された生活には、楽しさや喜び、満足感もないんだ。人は目標に向かって努力することも、人を愛してわかり合おうとすることもやめてしまった。日々を淡々と無感情に過ごすだけの毎日を、誰もが幸せだと思い込んでいる」


 兼光さんは、そこでようやく僕の目を見た。僕も目を逸らさない。ここで逸らしたら負けなのだ、何故だかそう思った。


「それでも、辛いよりはましだ。幸せだと信じる人の生き方を、兼光さんが否定することはできない」


 自分だけが年若く、過去を知らない。その引け目もあったから、歴史書はたくさん読んだ。実際に経験した他の国民よりも、客観的に事実を見ていると自負できる。その僕が思う。兼光さんが言ったように二二世紀はひどい時代だった。世の中全てが荒んでいて、善良であればあるほど、生きにくい時代だった。今いる国民がどれほどの苦痛を味わったか、僕は想像することすらできない。やっとのことで、その苦痛から抜け出した人々の幸せを、それがどんなに自分の思うものとは違っても、否定する権利など誰にもない。


「それもそうだ」


 兼光さんは、あっさりと認めた。そして、少し考えた素振りを見せてから、ゆっくりと口を開く。


「取り替え制度を知っているな」

「もちろん知ってるよ」


 兼光さんは嫌っていたが、この国を支える根本的な制度だ。知らないはずはない。


「あれは元々、クオリティーオブライフの向上の為に作った制度でね」

「クオリティーオブライフ?」


 聞きなれない言葉を反芻すると、兼光さんはすかさず説明を入れた。兼光さんは、いつもこうだ。僕の中に、少しでも疑問を残すことを嫌うのだ。


「単純に寿命だけ延びても仕方ないってことさ。元気で楽しく長生きってこと。寝たきり続きで生きてもつまらないだろう。足が駄目になった老人の足をそのまま取り替えれば、寝たきりにはならない。今は、全身を取り替えることができるまでに、技術が進歩している。驚くべきことに、今は脳も取り替える」


 取り替え制度については既に知っていた。今の時代の常識とも言える。


「それがどうかしたの?」

「脳は、人間が、その人物たる為に必要な器官だ。脳が変われば、それはもう別人だ。」

「でも、僕の知っている人で脳を取り替えた人がいるけど、変える前のこともきちんと覚えていたよ。別人ではなく、本人のままだった」


 国の機関で育てられていた時、ボランティアとして教科書を読んでくれた前下さんは、確か途中で脳を取り替えた。数日の手術の後に再会したが、全く変わりがなかったように思う。


「記憶はそのまま引き継ぐことができる。だけどな、感情は引き継げない。つまり、デートした事実は覚えていても、恋が実った嬉しさや、感じたときめきは忘れてしまうんだ。まるで見知らぬ誰かの人生かのように思えてしまう」

「本当に?」


 信じられなかった。


「今や国民のほとんどが、脳を取り替えてしまった。やってないのは、郊外に住んでる何十人かだけだ。だから皆、熱中していた趣味も、家族に対する愛情も思い出せない。感情がない生活じゃ何も育まれないから、今の国民はただ生きることしか頭にない」


 確かに、中心街に住むほとんどの国民は、何をするでもなく日々を穏やかに過ごすだけだ。それゆえに、郊外に住み、何かしらに精を出す少数の国民は、変人扱いされる。


「私はそれを変えたかったんだ。たとえ、死ぬことになっても、本人のままでいてほしかった。大切な人を愛し、好きなことに熱中できる本人でいてほしかった。だけど、無理だった。脳を取り替えた国民は何に対しても疑問を抱かず、考える力を持たない生き物に成り下がった」


 不死を嫌う兼光さんの気持ちを初めて理解した気がした。生きてはいても別人になってしまうのなら、それは本当に不死と言えるのだろうか。考えることさえできなくなって、それでも人間と言えるのだろうか。

 兼光さんは、歪んだ笑みを口元に浮かべていた。脳を取り替えた国民に同情するようにも、自分自身を嘲っているようにも、見えた。


「実験は成功したって、どういうこと? 物資を送ることができたってことなの?」


 実験は成功したと、兼光さんはそう言った。何を持って成功だと言ったのだろう。


「送ること自体は何度も成功していた。俊には言ってなかったけどな」


 兼光さんは、笑顔に近い表情を見せた。


「でも、失敗だって言ってたじゃないか」

「事実を知らせても、納得しなければ人は動かない。過去の自分に手紙を送ったよ。自分を納得させられれば、この国の創始者たちも説得できるからな。だけど駄目だった。いくら事実を知らせても、昔の私は納得してくれないんだ。辛いことがない未来が、幸せでないはずはないってさ」

「なんで?」


 自分からの意見を、受け入れられないというのか。


「若い時の私は、相応の考えしかできないんだろう」

「じゃあ、今回の成功とは何なんです?」


 若い時の兼光さんが、今を作ることをどうしたって諦めないのなら、そこに成功なんてあるはずはない。


「世界はそのままで、自分だけを変えてもらったんだ。俊と話すうちに、いくら私が納得できなくとも、彼らの生を止める権利はないって気にもなれたしな」

「どういうこと?」

「端的に言うと、私は一週間で死ぬ」


 声が出なかった。死ぬ、ということがどういうことかわからなかった。


「一国民である私にはレスキューチップが埋められてるから、どんなに負傷しても完全に治療されてしまう。死にたければ方法は一つ。施しようがないくらい、脳みそを木端微塵にすることだ。これには脳の内側に爆弾を仕込んで爆発させるのが一番良いが、月に一度定期検査を受けている今、少しでもいじくればすぐにばれて、取り除かれてしまう。だけど、制度が確立するより前に、脳みその中に活動が鈍ったら発動する自爆装置を取り付けておけば問題ない。良性の小さな腫瘍に模しておけばばれんだろう」


 兼光さんの口調は何とも軽々しい。今日の夕飯はハンバーグにする。それくらい、何でもない話をするみたいな口ぶりだ。


「一週間って」

「自分の限界は、自分でわかるようにしている。私は元、エリートドクターだからな。今回成功しなければ、一週間で脳を取り替えられてしまうところだった。ぎりぎり間に合った」


 死ぬ、ということはどういうことなのだろう。本気で考えるのは初めてだった。目の前からいなくなるということだろうか。もう二度と会えなくなることだろうか。それだけではないことくらい、わかった。


「僕は、兼光さんに生きていてほしい」

「私が私じゃなくなってもか。残念ながら、それは却下だ」

「政府に告発する」


 そうすれば、きっと政府は兼光さんを強制連行し、自爆装置を取り除くだろう。「生きること」はこの国唯一の国民の義務だ。義務を放棄すれば、兼光さんは罪に問われるだろう。


「しないさ」

「何でわかるんです?」

「俊は優しい子だ」


 告発しないことが、優しさなのかはよくわからない。告発しなければ、兼光さんは死ぬ。兼光さんを死に追いやることは、優しいことなのだろうか。


「何で、僕にも手紙を?」


 話題を変えたくて、ふと思い立った疑問を口にした。兼光さんは驚いたのか、少しだけ目を見開いた。


「理由は二つある。一つは、お前の考えが若い時の私の考えそのものだったからだ。若造の考えることは同じだと知らせたかったのさ」


 兼光さんは、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。手の平の重みを建前に、僕が下を向いてから、兼光さんは続ける。


「あと一つは、お前が、私たちの子どもが、幸せに生きていることを教えたかった」


 我慢していた涙が留めなく溢れた。兼光さんの手がまだ頭にあるのをよいことに、僕は顔をあげなかった。



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