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幸福世界  作者: 古浜夕
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彼がいるから

 兼光さんと出会った日のことは、今でもはっきりと覚えている。

 六年前、一二歳の誕生日、十分に成長したとみなされ、国の機関を出る許可をもらった僕は、与えられたマンションに荷物を置いた後、その足で兼光さんの家を訪ねた。

 偉大なる七賢人の一人が、表舞台を去って、辺鄙な郊外で世捨て人をしているというのは、割と有名な話で、理由は公表こそされていなかったが、意見の衝突だというのは傍から見ても明らかだった。

 彼は指導者としての立場を捨てた後、不死は必要ないと主張するようになったからだ。もちろんそんな戯言に耳を貸す国民もいなかったから、政府も気に留めなかった。危険因子ではなく、ただの変わり者として扱った。今までの功績を考えると、ひどい扱いはできない。一国民としての義務さえ果たせば、自由にしても良いという、ある種の温情措置だったのだと思う。


 とはいえ、僕が兼光さんに会いたかったのは、彼が七賢人の変わり者だったからでも、非国民ともとれる主張に興味があったわけでもなかった。

 兼光さんが僕の遺伝子提供者だという噂を聞いたからだ。

 そもそも、新しい命を作ることが禁止された新日本帝国で僕が生を受けたのには、当たり前だがわけがある。三〇年前に、とある事故で一人の国民が亡くなったのだ。

 兼光優也、兼光さんの弟だ。

 写真を撮るのが趣味だった彼は郊外に出て、岩山を上っていたらしい。最中に足が滑って落下、打ち所が悪く死亡した。残念な事故だった。どんなに打ち所が悪くとも、普通なら助かる。それほど現代の医療は優れているのだ。男性の運が悪かったのは、落下の衝撃で身体に埋め込まれたレスキューチップ(負傷した際、レスキューロボットを呼ぶもの)が壊れてしまったことだ。これにより救助が大幅に遅れ、彼は新日本帝国初の死亡者となった。この事故以降、レスキューチップの改善がされてからも、国民は中心街を出ることを極力避けるようになったという。


 何にせよ、人口は一人減り、九九九九万人になってしまった。

 その補充のために、作られた新たな国民が僕だ。

 試験管の中で作られ、施設で育てられた僕だが、人間として形を成す以上、卵子と精子を提供してくれた誰かがいるはずだ。既に家族という概念は消えかけていたし、両親なるものがいなくても不自由なく生活できていたわけだから、何か明確な理由があったわけではない。だけど、どうしても知りたかった。自分のルーツを知りたいと願うのは、人間の本能ではないだろうか。


 遺伝子提供者について教えてくれた人はいなかったが、推測するのは簡単だった。

 文献によると、事故が起きてから一五年以上、人工授精は成功しておらず、僕を作るのに、国が相当手こずったのは明白だった。理由は簡単、遺伝子提供者がいなかったからだ。

 子を成すことが禁止されてから、生殖関連の治療や研究は完全にストップしていたが、それまでの知識と文献は残っている。当然、医療技術自体は進化しているのだから、人工授精は簡単だ。しかし、肝心の元となる卵子と精子がなかった。

 その時、既に平均年齢は一五〇歳を超えていて、全ての女性が閉経していた。精子はその度に作られるから、あることはあるのだが、受精可能な活動率を保持する者はいなかった。既に国民の身体の「取り替え」は行われていて、他のパーツについては複製が可能だったが、生殖器官については不必要だとみなされていたせいで、元にできる細胞が一つも残っていなかったのだ。


 生き詰まりに思えた研究は、ある日、あっさりと解決した。

一人の遺伝子提供者が現れたのだ。

 記録によると、その人物は卵子と精子を冷凍保存していたのだという。彼の素性は公表されていないが、自分の力でそんなものを保存できる者は限られている。


 兼光雅俊。

 日本再建七賢人の一人で、元産婦人科医。

 彼は建国以前、不妊治療の研究が専門だったという。


 国の要である医療機関は全てが管理されていて、個人がひっそりとそんなものを保存するのは難しい。詳しくは知らないが、医師ロボットは全て賢人が管理し、機器も研究も、彼らが全てをチェックしているという。そんな中で自らの意志で自由に研究できたのは、賢人であった兼光さんくらいだ。そもそも卵子や精子は、保持するだけでも子を成す意思があると判断され、罰せられる。自ら国に差し出すなんて、相当なコネクションがないと難しい。

 兼光さん自身が遺伝子提供者であるかどうかは、その段階ではもちろん不明だったが、僕はある噂を耳にしていた。

 兼光さんは、ミサイルで亡くなった奥さんとの間に子供がいなかった。不妊治療について研究を始めたきっかけは自分たちだったのだ。彼の同胞である賢者から直接聞いた信憑性のある情報だ。

 僕は、自分の父親かもしれない兼光さんに会いたかったのだ。


「あなたは僕の遺伝子提供者ですか?」


 世に言うゴールデンタイム、夕食の時間帯に、チャイムを連打して呼び出した挙句、自己紹介もせずに、そう口にしたのは失礼だった、と今では反省している。

 あの時の僕は、実に常識がなかった。過保護な機械ロボットと、穏やかで怒ることのない人間に囲まれて育てられた僕は、大変に甘やかされていて、人に対する礼儀も、世間に対する常識も、全く持ち合わせていなかった。

 そんな僕を一睨みした後、兼光さんは静かに呟いた。


「お前は何なんだ」


 その時の僕は、鋭い視線にも動じなかった。まさか怒っているなんて思わなかったのだ。当時の僕は、怒っている人を実際には見たことがなかった。


「僕のことをご存じないとは驚きです。僕は美野原俊、一二年前に生まれたこの国唯一の子どもです」


 初めに自己紹介をしなかったのは、僕なりの理由があった。する必要がないと判断したのだ。僕の誕生は世間の一大ニュースで、他者への関心などほとんど持っていないはずの国民も、僕のことは知っていた。兼光さんが知らないはずはないと思ったのだ。


「誰だ、ではない。何だと聞いたんだよ」

「何だとは何です? 僕はあなたが僕の遺伝子提供者か知りたいだけです」


 怯むことなく当然のように話す僕に呆れたのか、兼光さんは大きなため息をついて言った。


「違うよ」


 嘘を言っている素振りはなかったが、もう一度聞かずにはいられなかった。


「本当ですか?」

「本当だ。私が卵子と精子を国に提供したのは事実だが、自分のを使ったわけじゃない。実験用に保存しておいたサンプルを使ったんだ。お前の元になった精子の持ち主はとっくにウイルスで死んでるよ」


 淡々と言ってのける兼光さんの言葉を聞きながら、目の前が真っ暗になった。そして、その慣用句が比喩ではなく、実際に起きる現象だと初めて知った。

 きっと、僕は誰かと繋がりたかったのだ。自分のルーツを知りたかった。だけどそれだけじゃなかった。

 それを知ることで、揺るぎない繋がりが生まれることを、本当は期待していた。

 試験管から生まれ、ロボットに育てられ、年の近い友人も、境遇を共にする知人すらできない僕は、この世界でたった一人、異質だと感じていた。そんな僕でも、血縁と言う理由を使えば誰かと繋がることができる。

 どうしようもない孤独から抜け出すたった一筋の光は、途端に消えてしまった。

 よほど酷い顔をしていたのだろう。怒っていたはずの兼光さんが苦笑いをして、僕の頭をくしゃりと撫でて言った。


「まあ、上がれ」


 その時の兼光さんの表情は忘れられない。眉間に皺は寄ったまま、だけど驚くほど優しい目をしていた。

 そのままリビングに通された。毛玉だらけのソファーに座るとスプリングがきしんで、初めて聞いた耳がつんとする音に驚いた僕は、小さな悲鳴をあげてしまった。


「坊主、そう言えばどうやって来たんだ?」


 部屋には木製の古めかしいキャビネットが置いてあった。その上には小さなテレビと、サボテンの鉢植え、アルコールの瓶が数本、そして、たくさんの写真立てが置かれていた。写真立てに飾られているのは、いずれも男女のツーショットだ。年齢は共に二〇代半ばほどだろうか。男性の方は若き日の兼光さんだろう。今ではすっかりおじいちゃんで、見る影もないが、まるで映画俳優みたいに端正な顔つきは、僕に全く似ていない。やはり、血は繋がっていないのだ。再び突き付けられた現実に、目頭が熱くなるのを我慢する。

 窓辺には細かな装飾が施された時計があって、中央の穴を覗くと木彫りの鳩が潜んでいる。ソファーの前のテーブルには飲みかけのコーヒーと、ビン詰めの金平糖が置かれていた。生活感のない施設で育った僕は、こんなにも古臭く、乱雑で、暖かい部屋を見たことがなかった。


「歩いて」

「それは、もう帰れないな。仕方がないから泊まっていけ。腹空いてるか?」

「うん」

「スープとパンくらいなら、出せるぞ。コーヒーは飲めるか?」

「飲める」


 怒られるのも、撫でられるのも、初めてだった。


「美味しい」

「コーヒーはゆっくり入れた方が上手いんだ。だから、うちのは絶品だ」


 手作りのスープを飲むのも、誰かと話しながら食事をするのも、あんなに美味しいコーヒーを飲むのも初めてだった。


 あの日、僕は生まれたのだ。

今ではそう思っている。

 遺伝子提供者ではなかったが、兼光さんは、それでも僕の父親だ。


 だから、本当のところ、僕が今幸せなのは、生活に不自由がないからでも、不死が保証されているからでもない。

 兼光さんがいるからだ。

 絶望に思えた真っ暗な孤独から救ってくれた兼光さんがいるから、僕は幸せを感じられる。



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