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幸福世界  作者: 古浜夕
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パンデミック時代

 面積、一五四〇〇キロ平方メートル。人口、一〇〇〇万人。平均年齢、一五六歳。


 街中の建物はどれも薄汚れた灰色で、高層ビルの隙間から覗く狭い空も濁っている。

 少し足を延ばして郊外へ出れば、青々と茂る緑を見ることができるけれど、誰もそんなことに興味を示さない。美しい景色や、澄んだ空気、日常から遠ざかることの解放感は、ほとんどの国民にとって、どうでもよいことなのだ。


 生きることが全てで、それ以外のことは価値がないとされる国。野望や嫉妬や絶望を捨てて、果て無く続く平和と、永遠の命を手に入れた国。

 それが、僕が住む新日本帝国だ。


 この国の成り立ちを少しだけ説明しようと思う。教科書通りにしか説明できないけれど、それでもしないよりはましだろう。


 悲劇の始まりは二二世紀、新日本帝国が誕生するより昔、第四次世界大戦が勃発したことだ。当時、いくつかの先進国は、地球そのものを消滅させるほどの核兵器を所有していて、だけどもちろん使用することはなく、牽制に使っていたのだという。

 一方、新興国と途上国は、兵器を開発することすら禁じられ、不公平さを主張していた。初めは単なる議論だったらしい。そのうち何十年も続く机上のやり取りに行き詰り、やけになった一国が自国で独自開発したミサイルを乱発した。数発なら撃ち落とせた。だけど、数が多すぎた。弱小国のどこにそんな財力があったのかは今でも疑問視されているが、とにかく、アメリカ、日本、ヨーロッパ各国、あらゆる国の主要都市に突如落とされたミサイルは多くの人の命を奪った。

 その混乱に乗じて、団結した新興国・途上国の連合軍が捨て身で攻めてきた。それでも先進国とその他の国では武力の差が大きく、しばらく続いた戦争は先進国の勝利で幕を閉じた。兵士は一般人からも多く取られていて、多くの国は疲弊していたが、ようやく世界情勢も安定すると、誰もが思っていた。


 だけど、実際はそこからがひどかった。

 お祝いムードに包まれていた戦勝国を次々に謎のウイルスが襲ったのだ。健康だった人間が突然立つこともできなくなり、次の日には眠るように死んでいく。

 後でわかったことだが、ウイルスの潜伏期間は約一年。その間症状は全くない。接触により高確率で感染し、発症後一週間以内に死に至る。初めは、戦敗国による細菌兵器かと疑われたが、敗戦国の幹部や首相までもが続々と死んでいく状況に、その説を唱える者もいなくなったという。俗にいうパンデミック時代である。

 初めの一人が発症するまで、誰も気づかなかったのがまずかった。潜伏期間が長く、その間に感染者は増え続ける。発症すればすぐに死んでしまうから、処置のほどこしようがない。一向に薬は開発されず、被害は広がる一方。誰もが疑心暗鬼になり、暴動や犯罪も増えた。数十年で、ほとんどの国が滅びた。

 生き延びた者については、未だにはっきりとはわかっていない。断言はできないが、他国と一切の交流を絶ち、自給自足で生活していた途上国の少数民族と、日本。


 なぜ日本が生き残ることができたのか、それも不明である。しかし、日本に被害がなかったわけではない。ウイルスと暴動により、人口は一〇〇〇万人にまで減り、国土も前述したミサイルの影響で三分の一にまで減った。

 とにもかくにも、二二三四年、混乱の最中に新日本帝国は誕生した。おそらく、たった一つの国として。国として成り立ったのは、奇跡的に生き残った国民がいて、その中に優れた指導者もいたからだ。 

政治家や軍事関係者が死に絶えた新日本帝国で、新たな指導者となったのは、最高峰の大学病院の医師たちだった。彼らは今も賢人として国を守り続けている。


 国民が彼らをリーダーとして認めたのは、的確な指示とわかりやすいネームバリューはもちろん、彼らの目指す国が望むべき理想郷だったからだ。国民は悲惨な戦争と疫病で、大切な人々を失っており、命の大切さを身に染みていた。金も権力もいらない。命があって、平穏に過ごすことが何よりの幸せだ。


 一人一人に、永久に続く幸せを。


 七賢人はこの言葉を公約として掲げ、数年後に不死の研究を確立することを宣言した。生存する国民が、永久に平穏な幸せを得ることを約束したのだ。代わりに、新しい命を作ることは禁じられた。人口が増えれば、今ある命を守りきれなくなる。新たな命を生み出すよりも、今ある命を守ることが優先されるべきだと、その言葉に民も納得し、反対の声はほとんど上がらなかったと言う。

 そして、その公約は守られ、幸せは今のところ一〇〇年間続いている。


 二三世紀、日本。この小さくて、幸せな世界以外を、僕はまだ知らない。


   *


「俊、手紙書いてきたか?」

 

 兼光さんは、ラボの隅っこに置いてあるコーヒーメーカーを叩きながら言った。大分年季の入ったその機械は、不思議なことに電源を入れても兼光さんが叩かないと動き出さないのだ。ゆっくりと落ちる真っ黒な滴は、家で飲むのよりはるかに美味しい。昔、兼光さんから聞いたことには、コーヒーはゆっくり滲みる方が味が良いのだそうだ。


「約束だったから。削減してください」


 ポケットの中に入れていた白い便箋を取りだすと、随分皺になっていた。申し訳程度に、それを伸ばし、兼光さんに差し出す。


「見ても良いのか?」


 見ないつもりだったとでも言うのか。これは僕の為の手紙じゃない。兼光さんの為の手紙なのに。


「どうぞ」


 兼光さんはやけに神妙な顔をして手紙を開くと、じっくりと目線を動かす。長い文面でもないのだから、一瞬で読み終わるだろうに。

 急に降ってきた沈黙がどことなく気まずくて、机の上に伏せてあった本を意味もなくめくって誤魔化した。最後のページを閉じた時、タイミングよく楽しげな声が聞こえた。


「流石だな、俊。政府が喜びそうな内容だ」

「そうでしょう。僕のはこの国の一般論だから送っても役には立たないですよ」


 皮肉を言う兼光さんに、嫌味で返す。


「いや、俊の言う通り、これこそが一般論だからな。それに、俊の年齢も書いてあるし、読む奴が読めば、一〇代の若造が考えそうな幸福論だと納得するだろうさ」

「馬鹿にしてます?」


 子ども扱いされるのは仕方がないが、馬鹿にされれば、さすがにムッとする。


「そうじゃない。年と共に思考は変わる。若い俊が相応の考えをするのは当然のことだ。それに、この手紙は良い手紙だ」


 丁寧に便箋を折りたたみながら、うんうんと頷く兼光さんに、思わず問いかける。


「どこがです?」


 テーブルの上にはらりと置かれた自分の手紙を眺めてみても、全くわからない。兼光さんにとって良い内容ではなかったはずだが。

 兼光さん自身も手紙を書いたはずだ。内容は僕のものとは真逆に違いない。未来は不幸だと。この国の未来を変える為に、助力してほしいと。過去の人間に今を変えてもらう為の手紙は、きっとそんな内容だ。


「俊が幸せだと、ちゃんと書いてある」


 並並に注がれたコーヒーを僕の前に置きながら、兼光さんは言った。ゴツンと鈍い音がして、黒色の水たまりができたが、兼光さんが気にしている様子はない。テーブルの隅で死にかけの野良犬みたいにぐったりとしている古布を手に取り、水たまりを除去した。


「ありがとうございます」


 手紙を褒められたことにはほっとしたけど、お礼を言うのは癪だ。わざとらしくカップを掲げて口に出したお礼の言葉は、コーヒーについて、ということにする。


「一杯飲み終わったら、始めよう」


 兼光さんが、鼻の下までずれていたメガネをくいっと引き上げると、瞳がすっかり隠れてしまった。コーヒーの熱でレンズがすっかり曇っているのだ。


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