9☆ 僕は勉強したくない @1
リアルパートでござる。
暗い部屋の片隅で、膝を抱える少女がいた。
淡いホログラムの光だけが、彼女の顔を照らす。
それは絶望に満ちた表情で、瞳は色を失っている。
この部屋に響くのは、彼女の心の声だけだった。
―――。
「…………」
登録者数がほとんど増えない。
動画を上げても反応がない。
どんなに頑張っても、全く人気が出ない。
「……どうして?」
それは遥か昔に100を超えた、同じ自問の繰り返し。
私に足りないものはなんだろう。
容姿?声?ゲームの実力?
分からない。
私はちゃんと進めているのか?
進む向きはあっているのか?
そもそもこの努力に、意味はあるのか?
あらゆる思考が私の心を削って、砕いて、この膝を折ろうとしてくる。
「………私には、向いてない」
そんな薄暗い感情は、負の螺旋として下へ下へと突き進み、私を諦めの淵へと追いやっていった。
どうせ誰も見てくれないなら、この苦悩に一体どんな価値があるのだろう。
「………アカウントを、消したい」
目の前に浮かぶのは、『イノリ』を仮想世界から削除するウィンドウ。
それは私の努力が全て無駄だったと、認める行為。
「…………っ」
知らぬ間に、私は泣いていた。
泣いている場合じゃないと分かっているのに、喉がしゃくり上がって止まらない。
肩が震えて、前を向けない。
ふと、そんな私を外から眺めるような、理性の残滓に気付いた。
消えかける程に小さな理性が、「泣けば何か変わるのか?」と問いかけてくる。
「……ぅ、っ…ぐす…」
分かりきったことを聞くな。
何一つとして変わるわけがないだろう。
それでも涙が止まらないから、こんなにも押し潰されそうになっているんだ。
「……もう、限界、なんですよぉ…っ」
ダメだ、心が、終わる。
待ってくれ。
まだ折れたくない。
諦めたくない。
私の中で、声が聞こえる。
子供みたいに、泣きじゃくる声だ。
でも無理だった。
「………ごめんね。さよなら、『イノリ』」
そして、私はウィンドウに手を―――
―――直前、一つのメッセージが届いた。
その送り主は、私が数年後に出会う人物と、同じ名前だった。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
「おはよー、道幸」
「あぁ……、おはよう一叶」
朝、僕が学校に着くと、道幸は疲れきった様子で席に座っていた。
それはまるで目覚めと同時にフルマラソンをしたかのような顔で、今にも死にそうにも見える。
「朝から随分な顔してるね。何かあった?」
僕は道幸のただならぬ状況に不安を覚えて、その理由を問うてみた。
「……いや。そうだな、お前にだけは、話すべきか」
「?」
柄にもなく大層シリアスそうな口調。
あまり面倒ごとを僕の元に持ち込まないで欲しいなとは思うが、他ならぬ道幸であれば助けてやるしかあるまい。
僕が耳を傾けると、道幸は力の入らぬ身体でどうにか口を動かした。
「何から説明したものか悩むんだが、とりあえず今日起きたことを言うと――目が覚めた瞬間に、フルマラソンを走らされた」
「凄いな僕の観察眼」
大正解じゃないか。
今度推理系のゲームを配信してみよう。
「いやでも、どうしてそんなことに?しかも走らされたって」
「待て待て、ちゃんと説明する。とりあえずお前も席に座れ」
腰を据えて話そうぜ、的なことか。
道幸の珍しい雰囲気に困惑させられるが、僕は大人しく席に着くことにする。
僕が助けになれる話なら良いのだけど。
「それで?」
「ああ。実は俺、隠奏さんに告白した」
「マジで?」
「マジで」
道幸は割と積極的であり、好きな相手が出来たらササッと告白してしまう、というのは遥か昔の小学生時代から変わらない。
だから告白した、なんて発言自体に驚きはしなかった。
相手があの隠奏さんだって部分には動揺させられたけれど。
――しかしそれはそれとして、そんな話をこの場でするのは短慮としか言えない。
「「「―――。(鋭利な文房具を構えるクラスメイト達)」」」
何故ならこのクラスの男子は皆、リア充に対して並々ならぬ殺意を覚えるため、今回の道幸のような発言をする場合は、細心の注意を払う必要があるからだ。
恐らく隠奏さんの返事がYesかNoだったかによって、この先の結末は決まるのだろう。
付け足すと僕はドライバーを選び、机の下で隠し持っている。
祈祷さんに告白を断られたばかりの僕に、この手の話題を振るとか、喧嘩を売っているとしか思えない。
「それで、隠奏さんはなんて言ってたの?」
「『私も好き』だって――」
ギルティ。
「お前らやれ」
「「「「爆殺!!!」」」」
「は?…って何だお前ら待て待て話は最後まで――いやちょ流石に精密溶接機はダメだろ!?それはマジで死ぬ、止めぁぁぁぁあ!!!!」
僕らのクラスの男子は、リア充を前にすると尋常ではない一体感を発揮する。
「リア充滅殺」の誓いを胸に、全員が目的の為に己の心臓を捧げているのだ。
一瞬にして般若の面を被り、全てを投げ捨てて殺しに掛かるその様は、まさに悪鬼を宿す殺人狂。
曰く「俺に彼女が出来ねぇのは、お前が彼女を作ったせいだ」とは町田くんの言葉だが、僕の心には強く響いた。
「一叶、助け……っ!おいこっち見ろお前!!!」
僕はリア充との接触は無理なんだな。宗教上の理由で。
「つか付き合ってないから!!!俺まだリア充じゃないから!!!!」
「なに?」
心を鬼にした僕であっても、道幸の最後の発言だけは無視する訳にはいかなかった。
告白が成功したのに、付き合っていないだと。
道幸は隠奏さんのことが好きで、隠奏さんも道幸のことが好きなのに、付き合っていない?
にわかには信じ難いが、もし事実だとしたらまだ弁解の余地はある。
これは話だけでも聞くべきかもしれない。
「お前ら、中断だ。続きを聞こう」
「「「承…」」」
僕の一声で、クラスメイトたちは各自席に戻る。
「一叶お前、いつの間にそんなポジションに……っ」
「黙れ異教徒。お前に許された発言は自身の弁明のみだ」
「お、おぉ……」
そんな目で見るな。
それよりさっさと説明しろ。
「……お、おっけー、分かった。そう、告白が上手くいったとこまでは良かったんだ。俺もその時は嬉しかった。ただその後が問題で、隠奏さんが『…………首輪』って俺に首輪差し出してくんの」
「首輪?」
「お、俺も意味が分からなくてな?いつもは隠奏さんの言いたいこと、何となく分かるんだが今回はマジで伝わってこなくてさ」
「ふむ」
「で、詳しく聞いてみたんだ。結論から言うと、あの人『男を檻に入れて飼う』ことを恋愛だと思ってた」
「……おぉん?」
告白から檻なんてワードに繋がるとは思わなかった。
要するに、二人はお互いに好き同士ではあるものの、恋愛観にあまりにも大きな齟齬が生じていると。
普通に付き合いたい道幸と、道幸を飼い殺したい隠奏さん。
互いに譲れないから、付き合えない。
いやでも隠奏さんからしてみれば、道幸を無理やり檻に閉じ込めてしまえば良いだけ―――
「………………おはよう」
ふと気付くと。
僕らの横に。
隠奏さんが立っていた。
今僕は、一ミリも気配を感じ取れなかった。
もしここがLoSだったら、間違いなく殺されていただろう。
僕の背中を、冷たい汗が伝うのが分かった。
「悪い一叶、俺朝礼までマラソンしなきゃならんからじゃあな」
「え?マラソンは良いけど、そっちは窓――おおおお!?ちょここ三階だぞお前!!!!」
しかし道幸は一切の躊躇なく、窓から外へと身体を投げ出した。
それは慣れた動作と呼べる卓越さで、落下への怯えは全く見えなかった。
一体この数日に何があったんだ道幸。
「………………逃がさない」
「逃がさない、ってまさか隠奏さんも…………あ、飛び降りたね。何となく分かってたけどね」
道幸の後を追って、当然の如く隠奏さんも姿を消した。
地面まで10m以上はあるはずなんだけどな。
「えぇー……。どうしよう僕これ」
ただ一人取り残された僕は、窓から吹きつける風を浴びることしか出来なかった。
「おはようございます、星乃さん。何かあったのですか?」
「わ、ビックリした祈祷さんか。おはよう」
丁度教室に着いたらしい祈祷さんが、教室のどよめいた空気を感じて、僕に話しかけたようだ。
しかし何かあったのかと聞かれても、僕も何が起きたのかよく分からないから、答えようがない。
「まぁこれは少し説明が難しいんだけどねー……」
「はい」
少なくとも、道幸は告白に成功したのに付き合えなかった、って部分は間違いないから――
「恋愛はままならないんだなぁ、ってよく分かる事件だったよ」
――と、答えることにした。
「???」
きょとんとした祈祷さんは、相変わらず可愛かった。
この後、「祈祷さん、その窓から飛び降りたり出来る?」と聞いたところ、「何言ってるんですか、無理に決まってますよ」と鼻で笑われたので、心の底から安心した。