本日の天気予報~突然の雨とチャンスにご注意下さい。~
──雨が降ってきた。
朝の天気予報で『夕立に注意』と言っていたのを聞いて、四谷 ひかりは折りたたみ傘を鞄に入れてきていた。
この学校は部活が盛んではない。
文化部ともなると吹奏楽部が少し人数が多いくらいで、後はどの部も5人、6人と部として存続できるギリギリの人数。文化祭等、イベント付近以外で活動しているのは本当に少数の生徒だけである。
美術部のひかりはその少数派の人間だった。
「────あ」
「…………おう」
薄暗い廊下。
部活で少し遅くなったひかりは、昇降口に向かう途中で、同じく少し遅くなったクラスメイトの高峰 壮介とバッタリ会った。
へらり、と愛想笑いをするが、本当は足下がちょっと浮いたんじゃないかと思うぐらい高揚しており、廊下の薄暗さに感謝するぐらいには紅潮していた。
壮介にわからぬ様に小さくガッツポーズを取る。
(勢いで声を洩らしちゃって恥ずかしいけど……)
──返してくれた。「おう」って。私に向けて。
「高峰君も、今帰り?」
「ああ……雨、スゲェな」
ひかりはそんなに社交的な方ではない。
女子だって慣れない相手にはそれなりに緊張するというのに男子で、しかも高峰 壮介だ。
『高峰君も、今帰り?』……この極めて当然でありどうでもいい台詞ひとつ吐くのに、相当量の勇気を使用した。
アン○ンマンを構築しているものが勇気であるならば、顔面のおよそ三分の二くらいは既に食されている。
『傘持ってるから、ないなら一緒に入ってく?』、なんて言える筈が無い。
もし顔面が完全だったとしてもそもそもハードルが高い。
ハードル等という領域ではない、高跳びだ。いや、棒高跳びだ。
『元気100倍!』という台詞と共にすげ変わる顔ですら、1つでは足らないくらいだ。
(傘……ないんだろうな)
キョドりを必死に隠し、なんとか最小限に留めようとするひかりを見て、壮介は『雨が降っていることへの焦りや帰り道への不安』と捉えたようだった。
──可愛い。 ……何故俺は今、傘を持っていないのか。 クソ。
壮介は壮介でひかりに好意を持っている。
女子とのお付き合いなどしたことなんて無い壮介だ。恋愛として意識するほどの付き合いや劇的な勘違いが出来る程の絡みなどは、残念ながらひかりだけでなく誰ともない。まぁそれでも……好みというものはある。
マイペースで無口な彼は、姦しい女子のノリにはあまりついていけないが、ひかりは大人しく、真面目。見た目も含め、小動物的で可愛らしい。
傘さえあれば雨を口実に『一緒に帰ろう』位の事は言えた……かもしれない。多分。きっと。もしかしたら。
遠くで雷鳴が轟いた。
いつの間にか雨は土砂降りになっていて、雨がバシバシと道や木々、校舎や窓を打ち付ける音が激しさを増している。
「──まだ、帰らない方がいいんじゃない」
その壮介の言葉にひかりは内心、小躍りをしだす程歓喜した。
(うわッなに? ラッキー! ラッキー!! 今宝くじ買えば当たるんじゃない?! いやむしろもう当たった、今!!)
「! そ……そうだね! そこ、座って待とっか……雨が弱まるの……」
そしてひかりの言葉に壮介もまた歓喜した。
(なんて機転が利くんだ俺!! 傘を持っていたとしても実際問題として相合傘は提案した途端に引かれる可能性もあるが、これならば自然!!)
並ぶ下駄箱と、並ぶ玄関扉の間にある空間……壁の端にあるベンチにふたりは横並びに腰を掛けた。
微妙に空いた、ふたりの距離。
(……どうしよう)
(……話すことが思い浮かばん)
歓喜したのは一瞬だけだった。
いや、今も歓喜してはいるが、それが一番だったのは一瞬だけ。ふたり共、互いに異性に耐性がない。しかも気になる相手。
緊張。そして無言。
無言から来る更なる緊張……ジワジワと湧き上がる焦り。
(横に……高峰君が……っ! ふたりっきり、とか!! うわぁぁぁぁぁぁ緊張してきた! いや、してたけど、更に!!)
ちらりと壮介を盗み見る。
長い足を組み、肘をつけひかりとは逆を向いている。……少しホッとした。
こちらを見て欲しいが、見て欲しくない。
見ているのがバレたら恥ずかしい。
距離がある、とは言っても近い。不自然でない程度に顔を傾け横目でガッツリ見る。
気になる人だ……壮介は別段イケメンではないが、ひかりにはとても格好良く映る。いつものことではあるが、今日は特に。
(ヤバいかっこよすぎる、なにか話さなきゃ『ツマラナイ女』って思われちゃう。 ヤバいかっこよすぎる。 ああもうそれしか出てこないよぉ! 何を話したら……『ご趣味は?』ってお見合いじゃないんだから! お見合いだったら良かったのに!! お見合いだったら即行結婚を前提にお付き合いを開始するのに!!)
ひかりの語彙を奪ったとは知らない壮介は、彼女の無言に焦っていた。
壮介は大柄で、無口であり顔もどちらかというと厳しい感じの造作。彼は自らに威圧感があるようだ、ということを理解している。
だが彼のコミュニケーション能力は、至って普通。日常生活において然したる不都合がなかった彼は、今まで「無理して喋ることもねぇわ」と思っていたので、特に話術や社交性をこれ以上に身に付けようなどとは考えもしなかった。
今、彼は激しく後悔している。
──何故兄貴の持っていたメンズ雑誌の『女子に好かれる会話特集』をきちんと読んでおかなかったのか……と。
(こういう時気の利いた会話を自ら振れない自分が憎い! つーか気の利いたどころか普通の会話自体が思い浮かばねぇ!!)
雨宿りを提案したのは、彼である。
勿論雨が酷いからだが、ちょっとだけ(いや大分)『気になるこの娘と仲良くなる(ことは無理でも楽しく話せるかもしれない)チャンス!』とか思ってしまったことは否定できない。
だが……もしかしたら『帰るな』的な圧と取られてしまったのだろうか。
……そういえば、声が震えてたような気がする。
そんな不安が壮介の中に過り、ひかりの方を見た。
「「!!」」
当然バッチリ目が合ってしまい、互いに不自然に逸らす。
(ふぅぁぁぁぁ! 目が! 目が合った! 見てたのバレた?!)
(うわやっべ! 不自然に逸らしてしまった!!)
ふたりして『どうしよう』と焦る中……
突如、落雷の大きな音。激しい閃光。
「ひゃっ」とひかりは小さく声を漏らした。
「すげー……今どっか、」
「う……うん。 近くに落ちたよね」
だがドキドキしているのは雷のせいではない。むしろ雷のおかげで話し出せたことで互いに少しホッとしている。
そしてホッとしたことで無駄なことを考える余裕も生まれ、ふたりは俄に同じことを考えた。
──……今、チャンスだった気がする。(恋愛的な)
(……なんなの「ひゃっ」って! もっと「きゃー」とか言って抱きつくとか、少女漫画的な展開になったところ……の、ような気がする!! ……いや、無理! 無理だけど!!)
だいたいビックリはしたけれど、別に怖くはない。自然にできるならともかくとして、そんなあざとい演技など、およそできる余裕はない。
自らの考えへの羞恥から、ひかりは鞄を抱きしめて俯いた。
(あ……鞄をギュッとして縮こまってる……もしかして、雷が怖い……んだろうか)
可愛い。
壮介の脳内に『こういう場面で、肩を抱いたり手を握ったりして「雷が止むまで、こうしててやるよ」等とヒーローが恥ずかし気もなく宣うような漫画』が漠然と過る。
(……無理! 俺には恥ずかしい!! だいたいやったところで引かれたら悪夢、いや引かれるに決まっている! 『ただしイケメンに限る』とか平気で言う奴等だぞ?! 実行して引かれたら最期……明日から『勘違いクソ野郎』というアダ名と共に、片身を狭くしながら生きていくに違いない!! 怖ッ! 女子怖ッ!!)
──だが、一応聞くだけ聞いてみることにはした。
別に手を繋ぐとか肩を抱くとかに期待をしている訳ではなく……話題として、というか?
別に手を繋ぐとかに期待をしている訳じゃない。ただ『怖い』と言われてしまったら……冗談交じりにそんな提案をしてみてもいいかな〜とか、チラッと思っただけで。
ホラ、やっぱり不安な女の子を放っておくなんて良くないし。
……等とあれこれ自分に言い訳をかましつつ壮介は尋ねた。
「四谷……雷、苦手?」
ビクリ、とひかりの身体が震える。それは恐怖からでも、図星を突かれた羞恥からでもない。
──期待をしてしまっているのだ。少女漫画的な展開の。
しかし先にも述べたように別にひかりは雷が苦手ではない。
そこで簡単に『うん、苦手なの。 キャッ怖~い』等と言える性格ではなかった。
そもそも壮介に気がある上、要らぬ妄想とその期待を抱いてしまった。
それを見透かされたんじゃないかという羞恥と不安が先に立ったひかりは狼狽た。
「いやっ! 全然平気……あぁっ!?」
紅潮する顔を上げぎこちない笑顔を壮介に向けたひかりは、ちょっと大袈裟な程に身ぶり手振りで『怖くない』と否定する。
その際、抱き締めていたトートバッグを思いっきり落としてしまうというお粗相付きで。
ひかりのトートバッグはキャンパス地で出来たベーシックなもの。開口部にファスナー等は付いておらず、派手に中身をぶちまける結果となった。
「…………本当に大丈夫?」
「あっ、ごめん……なんか」
おたおたしながら荷物を拾うひかり。それを手伝う壮介。
外は依然として激しい雷雨が続いている。
(雷に動揺したんだろうか……やっぱり怖いんじゃ)
そう思いながらドキドキと荷物を拾っていたが、壮介は目線の先にあるものを見付けたことで冷水を浴びせられた気分になった。
────折りたたみ傘。
「ごめんね! ありがとうっ…………あのっ」
「ん。 ……はい」
「!!」
手渡された鞄の中身だった筈の物を見て、壮介とは逆にひかりの体温は血が逆流したかの様に一気に上がる。
(うわあぁぁぁぁぁぁぁ!! 持ってるってバレた! 傘!!)
それはひかりにとっては『傘があるのに一緒にいたくて帰らなかった』と言っているようなもの。
しかし、壮介は全く逆の意味にとっていた。
(『傘がある』って言い出しづらかったんだろうな……親切な四谷の事だ、傘を持ってないであろう俺に『一緒に帰る?』って聞かなきゃいけないと思ったに違いない)
──だけど、そうしたくなかったんだ。
好きな男がいて誤解されたくないのかもしれないし、ただ単に、相合い傘などして俺とのことが誤解されるのが嫌なのかもしれない。
更にもっと単純に、俺と相合い傘自体が嫌なのかも。
考えれば考える程ネガティブ思考は止まらない。
普通に考えたら、そんなに仲良くもないクラスメイトの異性となんて相合い傘などしたくない。……そんなことにすら気付けない位には、なにか期待をしてしまっていた。
(……考えてみれば思い当たることはいっぱいある……)
今までのひかりの態度は、全て自分への恐怖からだと捉えた壮介はかなりのショックを受けた。そしてひかりに同情する。
(きっと雷も怖いが、俺の事も怖いんだ。 なんかプルプルしてる感じがいつもあるし……でもなるべく笑顔で接しようと努力してくれてたんだろう)
ひかりは雷が苦手ではない。
壮介の事は……もう、好きだと言ってもいいくらい。
ここにきてふたりの気持ちは完全にすれ違った。
激しい雷雨だったが、所詮は夕立である。
小一時間であっという間に通り過ぎた。
「……もう、平気なんじゃない。 外」
「あ……そうだね」
結局然したる会話など出来ぬまま、ふたりは帰ることになった。
ふたりとも電車通学なので、駅までは必然的に一緒である。
なんだか気まずい気持ちのまま、駅までの道を一緒に帰る。
ここで別々に帰るのもおかしい、というだけの理由で、なんとなく。
「高峰君は……何処から?」
「ああ、宮川駅。 四谷は?」
「……同じ」
「ふーん……」
今まで利用時間が被っていなかったようで、互いに利用駅を知らなかったが……同じ駅を使っていた。気まずい気持ちはないこともないが、そのお陰でそこからは普通に会話が成立した。
駅に着いた時には雨宿りした時間のせいで外はもう暗く、夜の帳がおりている。
ひかりが駅まで徒歩で来ていると知った壮介は然り気無く家の近くまで送ってやる事にした。
ひかりは壮介の家がおそらく違う方向であることに気付いてはいたが、嬉しかったので黙っていた。
家の近くだろうと思われるあたりで、壮介は別れる事にした。
わざわざ送ったと思われては、押し付けがましくて恥ずかしい。
「それじゃ……俺こっちだから」
「……あっ! あの……っ」
(お礼……言わなきゃ)
緊張しながらひかりは壮介を見て、ぎこちなくはにかむ。
顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「今日……ありがとう」
「えっ……?」
「~~~それじゃ、また明日っ」
それだけ言うと、ひかりは家の方向へ走り出した。
頬が、耳が、目が熱い。
(うわあぁぁぁぁぁぁ! ……恥ずかしいっ! ビックリした顔してた! 高峰君にとってはきっと普通のコトなんだ!!)
自分だけこんなにも意識してしまっている。
傘の事も気付かれてしまったし、もしかしたら自分の気持ちも気付いているのかもしれない……
(ああもう恥ずかしいよ~!…………でも)
──でも、嬉しい。
一緒にいれて、帰れて……しかも、送って貰えるなんて!!
自宅に入り2階の自室でベッドにダイブするまで、ひかりはダッシュした。
羞恥と歓喜に走らずにはいられなくて。
それでもまだ足りなくて、枕を抱えてバタバタと足を動かす。
(明日から高峰君の顔、見れないよ~! どんな顔して学校行ったらいい?! あああでも嬉しい!!)
駅の逆口に壮介の自宅はある。
ひかりが悶えている頃……駅方向へ戻りながら、壮介は少し悩んでしまっていた。
勝手にショックを受けていたが、そんなに嫌われているような感じもしない……ような気がする。
(あれ? じゃあ何で傘がないフリしてたんだろ……)
──タイミング的に言い出しづらかったのだろうか。 それとも……
(…………ッ!?)
その可能性に気付いて、冷水を浴びせられた気分になってから冷めていた体温が一気に上がる。
(いやいやいやいや!! それはないだろ! 自意識過剰ッ!!)
往来の真ん中で首をブンブンと振ってしまったことに気付いて、そこから逃げ出すように走った。
今しがたの自分の行為が恥ずかしくて走ったのはほんの最初だけで、後は先程のひかりと大差はない。
走ったことによって心拍数が上がったが、それだけが理由ではなかった。
「ひかり~、今日も夕立あるかもって。 折りたたみ忘れてるよ」
翌朝、学校に行こうとしたひかりは母にそう声を掛けられた。
「……ありがと、でも大丈夫」
「大丈夫? ……じゃないでしょ、ほら」
「……大丈夫なの! 行ってきまーす」
怪訝な顔をしている母には悪いが、ひかりはもう折りたたみを持たない事にした。
もし夕立がきてまた壮介と一緒になったとき……「傘がないから」と雨宿りに誘えるように。
「母さん、使ってない折りたたみない?」
「え、あるけど……アンタ荷物になるから嫌だとか言ってなかった?」
「……別にいいだろ。 あるなら出してよ」
「靴箱の一番上~、自分で出しな」
舌打ちをしつつも、内心は機嫌よく折りたたみ傘を取り出す。壮介はこれから折りたたみ傘を持つ事にした。
もし夕立がきてひかりと一緒になったとき……一緒に帰れるように。
ふたりはいつものように、学校で会っても特に絡むことはなかったが……なんとなく、いつもとは違っているのを互いに感じていた。
「勘違いかな?」と思う程度に。
──今朝の天気予報でも『夕立の危険性がある』とお天気キャスターが言っていた。
ひかりも壮介も、それに少しだけ期待している。
放課後、いつものようにそれぞれ部活に赴いたふたりは、いつもとは違う気持ちで窓の外を眺めた。
((…………雨、降らないかなぁ))
閲覧ありがとうございます。
途中まで久々にPCで書いて、途中からスマホにしたらスペースが半角と全角と入り交じっちゃってて……気持ち悪いんで直しました。
あと、多少直した位で、改稿してありますが、内容に変化は特にありません。