クマさんに
ふと、マーガレットは何かの音を聞いた気がした。
あの黒頭巾の男達が来たのだろうか?
ゾクリと肌が粟立つ。マーガレットは身代金を得る為の人質になるとして、デイジーは? 他のメイド達は?
おそらくは、売られる。マーガレットとて、身代金を得た後に解放される保証など無い。金だけを受け取ってマーガレットは売ってしまう。そうすれば、その分の金も得られる。その売られる先は?
マーガレットはただの世間知らずな貴族令嬢ではない。商家の娘として世間を少しばかり、少なくとも貴族令嬢という肩書きしか持たない者よりかは知っていた。
世の中には娼館というモノがあり、そこで働く女性達が、働かざるを得ない女性達がいる事を知っていた。世の中には金で女性を買い、欲を満たそうとする男性達がいる事を知っていた。愛の為でも血筋の為でも無い、ただただ欲の為だけの営みもあるのだと知っていた。
マーガレットは勝手に震え出す自分の身体を必死に止めようとするが、本能からくる怯えは気合いでどうにかなるものではない。それでも貴族令嬢としての誇りも意地もある。怯えた姿など見せられない。自分を慕い、必死に守ろうとするデイジーの前ならば尚更。
「い、いざとなれば私が身代わりに……!」
「馬鹿を言わないで、デイジー!」
「で、ですがお嬢様!」
「いざとなったら二人で舌を噛んで死にましょう。デイジー、貴女の命を私にくれる?」
強がって笑ってみせるマーガレット。それを見たデイジーの目にぶわりと涙が浮かんだ。
「もちろんですとも! お嬢様と一緒なら死ぬのも怖くありません!」
「ありがとう、デイジー。ちょっと苦しいわ」
涙目でしがみついてきたデイジーの腕をぺちぺちと叩く。
その時、二人の耳に叫び声が聞こえた。
「うわぁあああッ!」
思わずビクリと身体が跳ねる。
「な、何?」
「ぎゃあああッ!」
「た、助け、ぐはぁッ!」
外で何が起きているのか。気にはなるが確かめる勇気は無い。
「ク、クマだぁあああッ!」
「く、来るなぁッ!」
「クマ?!」
どうやらこの森にはクマがいたらしい。となると叫んでいるのは黒頭巾の男達という事か。
「……お嬢様」
「何、デイジー?」
「クマって……人間を食べましたっけ?」
「一度、人間を襲ったクマは人喰いクマになるそうよ」
「も、もしもクマが襲ってきたら……私が餌に」
「クマは逃げると追いかけてくるんですって。兄様がそう言ってたわ。黒頭巾でもクマでも一緒よ。痛くて苦しいのは嫌だから食べられる前に死にましょう」
「ですね」
悲壮な決意を決めた二人は、しっかりと手を握り合い、クマの襲来に備える。
叫び声がどんどん近く聞こえる。クマは確実にこの馬車へと近づいている様だ。