03 銀行にて
銀行の応接室に入るなんて、一生に一度あるかないかだろう。
重厚なソファに座るように促され、新奈はお尻の半分くらいで座り、前かがみになった。
相変わらず、胸の前で通勤鞄を握りしめている。
向かいのソファにスーツの男性が座った。
「私、こちらの店舗で支店長をしております、坂本と申します」
男性は新奈に名刺を渡した。
新奈は名刺を受け取りながら、
「……橋本新奈と申します」
と応えた。
「橋本様ですね。どうぞよろしくお願いいたします。ちなみに本日、身分の証明ができるものと印鑑をお持ちでしょうか?」
「は、はい。持ってます」
新奈は大きめのがま口にお薬手帳やスマホの充電器、常備薬、印鑑、などを入れて、どの鞄を使う時も、それだけを移動したらなんとかなるポーチを常に持っていた。
しかし、印鑑が必要になるとは……
──自分の心配性も時には役に立つものだ。
新奈は財布から運転免許証を出し、がま口ポーチから印鑑を取り出した。
「宝くじの裏側の名前の記入と住所の記入はしてありますでしょうか」
「はい! こちらです」
新奈は5枚ある宝くじの内、当選と言われた物だけを取り出して、坂本に示した。
「宝くじの番号を写させていただきますね。お調べして参りますので」
坂本は机に置いてあった高価そうなメモパッドとペンを使って、新奈の差し出す宝くじを見ながら番号をメモした。
「失礼いたします」
ノックの音がして、先程の窓口の女性がお盆にお茶を乗せて入室してきた。
お茶のカップも一目で高価そうだと分かる品だ。
「君、この番号を調べてきてくれ」
坂本は女性にメモを渡した。
「かしこまりました」
女性はメモを受け取ると、一礼して退室して行った。
「暖かいお茶でよろしかったですか?」
「はい。ありがとうございます」
新奈は宝くじを財布にしまうと、鞄を抱きしめる腕を緩めて、カップに手を伸ばした。
のどがカラカラだったことに今気づいたのだ。
一口お茶を飲むと、少し落ち着いたような気がした。
「後ほど「宝くじ高額当選証明書」をお渡しします。これは税務署にお金の出処を聞かれた場合に提出すると話がスムーズに行くと思います」
「税務署に何か届け出をしなければいけないのですか?」
「いえ。こちらは税務署から問い合わせがあった場合だけです。無ければ必要はありませんが、保管しておいて下さい」
「はい」
またノックの音がして、女性が少し青ざめた顔で入室してきた。
「支店長。こちらです」
女性は折りたたまれたメモと冊子を先程とは違う四角いお盆に乗せて運んできた。
お盆を坂本の前に置くと、そのまま坂本の後ろに控えた。
坂本は畳まれたメモを開くと、少し顔色を変えた。
そして、メモを閉じると新奈に向き直った。
「──橋本様、今回の当選金ですが……3億円でございます」
──は?
「落ち着いてお聞き下さい。お調べしたところ、橋本様の当選金は3億円でした」
──は?
新奈は口をポカンとあけて、坂本を見る。
何の聞き間違いだろう?
3億円?
──え? もう一回聞いていいの?
3億円?
は?
固まってしまった新奈に坂本は冊子を手渡した。
冊子には「【その日】から読む本〜突然の幸運に戸惑わないために〜」と書いてあった。
「こちらは高額当選者の方々にお渡ししているものです。弁護士や臨床心理士など、お金の専門家のアドバイスや、当選者の不安や疑問の解消法が書いてあるものです」
冊子がなぜか重く感じる。
指先一本一本がもの凄く過敏になっている。
「本日、ご用意できるのは100万円のみとなっております。残りの2億9900万円は手続き上、受け取るのに一週間前後いただくことになります」
「は……はい」
新奈は手にある冊子をじっと見つめる。
──突然の幸運に戸惑わないために……
──3億円……
その時、坂本が、はっ、と気づいたように新奈に聞いた。
「橋本様の宝くじは「ドリームドリーム宝くじ」でございましたね?」
「……はい。そうです」
坂本はお盆から封筒を取り、中から三つ折りの紙を出した。
「ドリームドリーム宝くじの一等当選者の方には、副賞がついております。こちらに書かれているドリームドリーム宝くじ協会に行かれて、その副賞をお受け取り下さい」
坂本が示した紙には、ドリームドリーム宝くじ協会の住所と地図が書かれていた。
「当選金受け取りの期限は一年でございますが、なるべく早めにドリームドリーム宝くじ協会にも足をお運び下さい」
坂本は封筒とともに協会の地図を渡した。
もう一つの封筒に「宝くじ高額当選証明書」を入れ、そちらも新奈に手渡す。
「ドリームドリーム宝くじ協会ですか……」
まだ、呆気に取られたまま、新奈は坂本から封筒を受け取る。
──副賞……。
やだ。会社にまだ連絡してない。
急いで連絡して、戻るのが遅れるって伝えなきゃ。
でも、こんな状態で仕事なんてできるの?
協会……協会に行かなくちゃいけないのか。
「……分かりました。今から、ドリームドリーム宝くじ協会に行ってみます」
新奈は坂本にそう告げると、坂本はにっこりと笑った。
「橋本様、この度は誠におめでとうございます。橋本様のこれからが素晴らしいものになる事を心よりお祈り申し上げます」
「……ありがとうございます」
新奈は坂本に一礼すると、ソファから立ち上がった。
坂本も同時に立ち上がり、応接室の扉を開けて新奈を促した。
新奈はまた通勤鞄を胸にしっかり抱いて、扉から外へ出た。