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02 銀行へ

02


橋本新奈は小さな不動産会社で事務をしている27歳。


社会人になって五年、ようやく自分のペースで仕事ができるようになってきたところだ。


父は大学時代に癌で亡くなったが、母は電車で一時間の実家に三匹のチワワと一緒に住んでいる。


新奈は月に一度は実家に顔を出し、母の愛情こもった料理を食べて、たくさん会話をする。


自炊をほとんどせず、レトルトで済ませる新奈には、月イチの母の味は最高の贅沢だ。


新奈自身は会社の近くのアパートに友人とシェアをして2DKの部屋に住んでいる。


同居人の立花雛子は女性雑誌の編集長だ。


新奈は朝9時から5時までの仕事。


雛子は昼2時から深夜までの仕事、と平日は全くと言っていいほど相手の存在を感じないが、本が大好きという趣味と、のんびり屋の新奈としっかり者の雛子は驚く程にウマが合い、大学時代から数えてシェアハウス歴8年のベテランだ。


活動的な雛子は、土日も外に出かけることが多いが、新奈は家でゆっくり本を読んだり、撮りためていたドラマをみたり、たまに雛子と一緒に出かけたりという感じだ。


新奈は昔からの習慣で、給料日には、バラで一枚だけ宝くじを買う習慣がある。


これも、父が毎月やっていたのをそのまま受け継いだのだ。


元、電気工事士だった父は給料日に宝くじを一枚買ってきては畳の部屋の神棚に一枚ずつ宝くじを供え、抽選日にまとめて何枚かを宝くじ売り場に持って行き、機械で調べてもらうのだ。


幼い頃から新奈も父と一緒に宝くじ売り場を訪れた。


家から一番近い宝くじ売り場には、隣の団地に住んでいる同級生のお母さんが務めており、幼い新奈が父と一緒に宝くじ売り場に赴くと、いつも袋入りの飴を一つくれた。


父は新奈を連れてきた時には200円のスクラッチを削らせてくれて、十円玉でこしこし擦って、新奈は何度か当たりを出したことがある。


一番の最高額は3000円で、その日は父がコンビニで一番お高いアイスを買ってくれた。


父が亡くなった今でも、新奈の中にはこの父との優しい思い出がずっと心を暖めてくれている。


だから大人になった今でも、新奈はひとりで宝くじを毎月一枚ずつ買い続けていた。


二人暮しのアパートに神棚など無いので、宝くじはもっぱら財布のお札入れの横のポケットにしまっている。


しかし、お財布はくすんだ金色の総刺繍のお財布を縁起担ぎに使っている。


使えば使うほど味が出て、とてもお気に入りの長財布だ。


宝くじが当たったら何に使うか?


新奈は漠然と考えている。


まず、母にお金を渡し、親孝行をする。


一緒に海外旅行に行くなんてのもいいかもしれない。


お金は全部私にまかせて!と、言ってハワイかグアムでのんびり一週間くらい過ごすのだ。


次に雛子にお金を渡す。


雛子は土日に自分だけで出かけると、必ず新奈にちょっとしたお土産を買ってきてくれる。


今、話題のスイーツだったり、その時食べたかった果物だったり。


もらってばかりの雛子には何かお返しをといつも考えていて、誕生日やクリスマスには頭をひねってプレゼントを用意するのだが、こちらも一緒に旅行に行くのがいいかもしれない。


忙しい雛子は実は海外に行ったことがない。


母と韓国旅行に行ったことある新奈のパスポートももう期限が切れている。


これを機にパスポートを取って、二人でヨーロッパなんかで美術館巡りをしてみるのもいいかもしれない。


台湾や韓国でエステツアーと言うのも、アラサーになった私たちには大事かもしれない。


あとは、最近夫婦仲がちょっと上手くいっていない兄夫婦にもお金を分けてあげたい。


義姉は子育てに兄が関わってくれず、ひとりで二人の子どもも育てるのが辛いと言っていた。


兄の会社も建築事務所でかなり忙しい仕事だ。


もし、義姉にシッターさんでも雇える余裕があれば、義姉はだいぶ助かるんじゃないだろうかと、新奈は考えていた。


残りは自分で一挙総取りだ!


今まで高くて諦めてたスキンケアのラインナップを揃えてもいいし、ひとつも持っていないブランド物のシンプルなバッグを買ってみるのもいいかもしれない。


アパートは雛子と二人でマンションに引っ越してもいいし、同じマンションのお隣さんに部屋を借りれば、どちらかが結婚した後も、同じような生活が出来るかもしれない。


そんな事を新奈はぼんやりと考えていた。


宝くじが当たったら……


現実はそんなに甘くない事は分かっている。


でも、そんなわくわくする夢がたった300円で買えるのだ。


新奈は宝くじが大好きだ。


でも、まさか本当に宝くじが当選する日がくるなんて……


新奈にはこれが夢なのか現実なのかもはっきりしない。


先程の窓口のおばさんの声が頭の中でずっとリピートしている。


──高額当選ですよ。


──高額当選ですよ。


値段を聞くのを忘れていた。


いったいいくら当たったのだろう。


10万円?

100万円?

1000万円?


──まさか億なんて事は無いでしょう。


そうよ、億なんて事は……


新奈はタクシーの中だ。


とくに渋滞も起きてない。


と言うか今は昼休みだ。あと30分もしたら職場に戻らないと!


──宝くじの手続きって、30分で終わるのかしら?それとも、会社に電話して、帰社が遅れるって連絡するべき?


──高額当選ですよ。


──高額当選ですよ。


何を考えても、結局この言葉がぐるぐる頭を駆け巡っている。


「お客さん、銀行はこちらでよろしかったですか?」


運転手が大きなガラス張りの銀行の前でタクシーを止めた。


震える手で鞄から財布を出し、宝くじに目をやりながらそっと千円札をつまみ出し運転手に渡した。


「こちら、お釣りですね」


じゃらじゃらと小銭を受け取り、新奈はタクシーを降りた。


この場合の窓口って、どこに行けばいいんだろう?


とにかく銀行の中に入った。


ATMには行列ができていて、満員御礼だが、窓口も少なからず待ち人がいる。


ソファの横にある整理券を発行して、新奈は待ち合いのソファに座った。


程なくして、4番の窓口に呼ばれた。


窓口に近づくと、新奈と同じように髪を後ろで一括りにしたにこやかな女性が待っていた。


「お待たせいたしました。ご要件をお伺いします」


明るい女性の声に、心臓がバクバク音を立てる。


新奈は窓口に顔を近づけて、彼女だけに聞こえるように小さな声で囁いた。


「宝くじが、当たったんです」


「え?」


「──宝くじが当たったんです」


新奈は緊張で顔を真っ青にしながら、もう一度囁いた。


窓口の女性はびっくりした顔を真剣な表情に変え、「今すぐ支店長を呼んできます。そのままお待ち下さい」と、席を外してバックヤードに走り込んで行った。


ひとり残された新奈は、やっぱりこれは何かの間違えで、宝くじを調べてもらったらハズレてて、銀行員さんに怒られるんじゃ……と、不安になった。


──早く来て!


──いや、来ないで!


──早く早く!


──ああ、恐いよう。


新奈が唇を噛み締め待っていると、横から先程の窓口の女性と、五十代くらいのスーツの男性が声をかけてきた。


「応接間にご案内いたします。どうぞ、こちらへ」


女性も男性も優しい笑顔を浮かべている。


なんだか膝もガクガクしてきた。


目眩もするし、吐き気もするし、呼吸の仕方が思い出せない。


とりあえず、息を吸ってまた吐いて、息を吸ってまた吐いて……


新奈は二人に向かって一歩足を踏み出した。


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