karute.end
秋田八兵衛という異人症患者を巡るいざこざは、一人の少女にとって濃厚な週末を持って幕を閉じた。
当初は友人の家に下宿する予定であった彼女は、この事件をきっかけに秋田という老婦人の家で養子として暮らすことになる。
話が持ち上がってからその準備を整えるのに二日を要し、バタバタとした慌ただしさが落ち着いたのは水曜の夜。日が明けて木曜日、開はようやく学校に顔を出した。
「よう、叢神。風邪はもういいのか?」
「だいじょーぶ」
「それにしても三日も休むなんて、さてはお楽しみでしたか」
「???」
表向きは風邪ということにしていたのだが、開はとなりに座る後藤によくわからないからかわれ方をした。お楽しみとは開には見当も思い当たることもない。
「月曜の昼頃に隣のクラスの新藤さんが来て、お前のことを聞いてきたんだよ」
「へえ」
「へえっじゃねえだろ。休みだって教えたら住所まで聞いてきたんだぜ。てっきりお前の家に押し掛けたんじゃないかって思ったんだが」
「うちには来てねえよ」
「本当か? 童貞賭けられるか?」
変な勘繰りをする後藤に辟易しつつも、もし彼が言うように新藤さんが好意を寄せているのならと開は少しにやける。
腕っぷしは友人にも隠すほどに強かろうとも異性との付き合いは経験が浅い。
特別誰かを好きになったこともなければ誰かに告白されたこともない。そのくせ誰かが告白してこないかなと妄想に耽るほど、恋愛について彼は未熟である。
悶々とした気持ちで集中できないままに午前の授業が終わり昼になる。開が手製の弁当を広げようとしたところで、彼の前に新藤さんがやってきた。
「まさかとは思ったけれど、今日は来てるのね」
「な、なにか?」
「ちょっと付き合ってほしいの。お弁当を持ってついてきてくれないかな」
「いいぜ」
一応の話だが二人は互いに名前くらいは知っている仲である。隣のクラスということで合同授業で顔を合わせているので、名前くらいの把握はしているわけだ。
それ故に開も少しは後藤が言うような妄想を抱いて彼女の後を歩く。この彼女、新藤美玲がこれからどんな話をするのかも知らずに。
「ここなら聞かれる心配もないわね」
美玲が連れてきた場所は学校の屋上だった。
この日は誰も来ていないようで、美玲は邪魔が入らないようにとつっかえ棒で扉に鍵をかける。
そのしぐさに、晶が見たら怒りそうなほどに開は油断していた。
「とりあえず食べながらでいいから、お弁当を出しちゃいなよ」
「そ、そう」
戦う姿を知るものが見たら拍子抜けするような腑抜けた声で開は返事をした。
言われるがままベンチに腰掛けて弁当を開くと、美玲は本題に入る。
「最初に私のことを手っ取り早く理解してもらってから話があるの。知っているでしょう、こういうの」
美玲は説明を兼ねて右手に力を入れ、そして思気を放った。
人魂のような気の塊がくるくると空中を旋回して開の目を引く。
「思気……」
それを見た開は心のなかで肩を落とす。
わざわざ自分の異能を紹介するということは、十中八九愛の告白ではないだろうと。
「はーっ」
「もしかしてこの手の話を学校でするなんて迷惑だった?」
「いや、なんでもない。でもどうして俺に?」
開はなぜ急にそれをカミングアウトしたのかと小首を傾げさせて訊ねた。
「叢神くんが秋田八兵衛の件に関わっていると聞いて、結局どうなったのか教えて貰おうと思って。日曜の夜中に落ち着いたらしいとは、組織の人に聞いたけれど」
美玲は一度引き受けた仕事だからこそ、ことの顛末が気になっていた。
一方で美玲が関わっていたことなど知らない開は当然の様に聞き返す。
「どうして新藤さんが」
「翔のことは知っているでしょ? 土曜日にキミと戦った」
「あー……アイツか」
「アイツは幼馴染で、一緒に事務所でバイトしているのよ。秋田八兵衛の事件もそこの仕事で関わったんだけれど、キミと名雲さんがぶつかって危ないからと、翔がコテンパンにされてからは関与厳禁にされちゃったというわけ。それで、当事者のキミなら知っていると思って聞きに来たわけよ」
「仕方がないか」
悪友のせいで余計な期待をしていたため残念ではあるが、美玲のために開は顛末を語ることとした。
「御粗末!」
話は開がハチに宿った魔を断ち切った時点からになる。
魔が抜け出し、そして切り伏せられたハチはそのショックで泡を吹いて倒れこんだ。
慌てて市井の病院に連れて行ったがハチの痙攣は長く続き、ようやく収まった頃にはすっかり彼は消耗していた。
そのまま一晩以上眠り続けたハチが目覚めたのは次の日の夕方である。
「ここは?」
「よかった」
定期的に近くを散歩していた開と違い、あけのはずっと彼の傍らで看病していた。
時折居眠りこそすれ付き添い続けたあけのはハチの回復に喜んで抱きつく。
「あ、あけの?!」
「心配したんだよ。背中から化け物を出したり、倒れちゃったりして」
「とりあえず起きるから、お前も落ち着け」
「うん」
抱き着いてきたあけのの体重もハチにはどうということはない。
それどころか脂汗で気持ちが悪い上半身と比べると何も感じない下半身、正確には腿から先の喪失感が異様に感じるほどである。
取りあえずあけのに離れてもらって起き上がろうとしたが、うまく起き上がれずハチは難儀してしまう。
困惑しつつ体に力を入れても、何故か体が上手く起こせない。
肘をついて必死に上半身を起こしたが、力の入らない下半身にハチは寒気が出てくる。
「起きられないのならゆっくりした方がいいわよ。私もそばにいるから」
あけのの言葉に頷いたハチはそのまま再び眠った。
途中、看護師の手で汗を拭いてもらったが、その間もずっと彼の下半身は萎え続ける。きっとこれは疲れているだけだと自分に言い聞かせたが寝ても覚めても治らない。
そしてハチは翌朝主治医を部屋に呼んだ。あけのが一度叢神の家に戻りまだ来ないうちに。
「先生───」
ハチの相談を受けた医師の診察結果は無慈悲である。
脊髄損傷による下半身不随。もう二度と彼の足は動かないと。
診察が下り心が落ち着くまでハチはあけのを遠ざけるが、きっと彼女も察しているだろう。流石に生死をかけた治療の代償なのだから文句は言えないが、それはそれとして辛いことには代わりない。せっかく拾った命であけののためになにもできないのかと。
「ハチ、入るよ」
「ああ」
落ち込んだ暗い顔でハチは返事を返した。
その声を合図にあけのは病室に入ると、体を起こしているハチに抱きつき、そして唐突に唇を奪う。
「ん?!」
「んぱ……せっかく助かったんだから、元気だしてよハチ」
「だからって急に何をするんだ、あけの」
「そんなのハチが落ち込んでいるからに決まっているじゃない。誰だってキスしたら嬉しくなるし」
「何を言っているんだはしたない。そういうのは恋人同士とか、せいぜい親子でやるから嬉しいんだろうに」
「ハチの馬鹿!」
「ん!!」
ハチの返答に少し怒り、そしてあけのは再び重なった。
彼とて彼女が言いたいことなどとうに察している。だがそれを認めていいのかという葛藤が彼を自制してしまう。
異人症にまつわる数日間の間に出会った少女とそんな関係になってよいのかと。そしてただでさえ自身がないのに相手が女子高生でよいのかと。
嬉しいか否かでいえば願ってもないが、都合がよすぎて気が引けてしまう。
ただ恋愛経験に浅い彼でも直感できるほどに彼女は彼にとって運命の女性である。
据え膳食わねばともいうし、心に素直になればハチもあけのとキスできるのはうれしい。
だから今は彼女に従おう。
ハチは観念し、体を抱き寄せて自分から唇を押し当てた。
「───元気出た?」
「ああ」
それからしばらく二人は抱き合った。
抱き合うという意味に他意を求めてもよいほどの時間、この病室は二人だけの空間になって抱き合っていた。
あけのを受け入れたハチは事後承諾ながらとあけのに気持ちを伝え、あけのもそれに応じる。その回答をもってハチは彼女にあることを頼む。
「───さっそくで図々しいんだが、一つ頼みがあるんだ」
「なぁに」
「あけの……家に来ないか? せっかく叢神家に受け入れてもらったばかりだというのは重々承知しているが、俺にはあけのが必要なんだ。俺の脚のこともあるし、俺の介護をしてくれるならお前が気にかけていた誰かに頼ることとは真逆だし」
「確かに誰かがいないと不便かもしれないわね。でもそれだけ?」
「そんなわけないだろう」
この頼みは手助けを求める意味もあるが、それ以上に一緒になりたいという意思表示でもあった。
あけのはまだ高校生だが、孤児なのを踏まえれば一足早い同棲も問題なかろう。たった数日の関係でありながらも飛躍しているが、二人はともに暮らすことを誓い合った。
壁一枚隔てたところに開が気まずそうな顔で隠れていたことなど津由知らずに。
「───というわけで、俺もあけのの引っ越しとかがいろいろあって休んでいたんだ。秋田さんの因子もなくなったと判断されたから、もう秋田さんが組織にマークされることもなくなったよ」
「とりあえずお疲れさま。そしてごちそうさま」
美玲の「ごちそうさま」がハチとあけのの事だろうとは開もすぐに察した。
彼の口伝からもにじむほどの突沸的な二人の関係には開も一歩引きかねないほどであったと。
正直言って一目ぼれした女の子にプロポーズしたハチのことをうらやむとともに尊敬するほどである。傍から見ればごちそうさまとしか言えないほどの二人の関係は、今晩もきっとベッドの上で燃え上がるのだろうか。
「教えてくれてありがとう。それに今度仕事があったら、キミの力を借りてもいいかな?」
「あんまり組織と関わるのは好きじゃないんだが……」
「あら、案外好戦的ではないってわけね」
「当たり前だ。バトルジャンキーをお求めなら妹のほうにでも声をかけてくれって」
「妹?」
「この学校の一年だよ。名前は叢神晶っていうんだが、うちの跡取りだからその手の経験も積ませた方がよさそうだし」
「跡取りって……キミが継ぐわけじゃないんだ」
「我が家にもいろいろ事情があるんだ」
家庭の事情と言われて、美玲はこれ以上の詮索を避けた。自分だって両親のことがあるし、むやみやたらに聞かれたくないだろうと。ただ叢神晶という妹の存在は彼女の頭の片隅にインプットされた。
そしてお昼の予鈴に合わせて二人は屋上から出て、各々の教室に戻っていった。
傍目にはお昼休みのデートに見えた今回の邂逅のことを開は友人らに茶化されるも、それをきっかけに勘違いだったことへの落胆の色がぶり返す様子を見て彼らもこれ以上の話はしなかった。
そして翌週。
「行ってきます。お母さん、八兵衛さん」
「行ってらっしゃい」
秋田家に引き取られたあけのは義母となる秋田美恵子とすっかり打ち解けていた。
引き取られるに当たって美恵子から提示された条件は三つ。一つめは美恵子のことはお母さん、ハチのことは八兵衛と呼ぶこと。二つめは家族として余計な遠慮はしないこと。そして3つめは今はまだ川澄あけのと今まで通り名乗ることだった。
ハチの呼び名だけはあだ名になれていたため戸惑ったものの、他は一切問題はない。
美恵子には異人症のことを伏せて経緯を説明したのだが、彼女は息子が半身不随になったことへの悲しみと義理の娘ができるという喜びで戸惑った末、喜びを優先した。こんな時に喜びを第一に考えられるのは彼女の素養なのだろうが、それ故にあけのは暖かく秋田家に迎えられた。
秋田家は既に父親は他界している。
孫の顔も見られずに死んだ亭主を思えば、自分はそれが見られそうだと登校するあけのの背中を美恵子は見送った。
冷静に見れば犯罪くさい年齢差だがこの母はむしろでかしたと息子を心の中で褒めつつ居間でお茶をすすった。