バックアップ②
———太陽。
人類を有史以前から照らし続ける灯にして、人の心の在りどころ。
暗闇を打ち払う正義の象徴として、太陽を信仰する者も多い。
また、科学的にも数多くの恩寵を与えると言われている。
例えば体内時計。学者によれば、人は毎朝太陽の光を浴びて、体内時計を調節しなければいけないように作られているとか。
そんな太陽の力を思い通りに引き出し、圧倒的な強さで輝きを放つ戦士がいたのならばーー。
さぞかし、数多くの民からの賞賛を得たのだろう———。
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辺りは煙に覆われて、何も見えない。少しずつ煙が晴れていくと、荒れた地面が剥き出しになった。ロビンフッドの大魔法、『純然たる正義の矢』の影響だ。
この力はロビンフッド最大の力。万物を貫く鋭利なる矢。されど、厳密には彼一人の力ではない。世界中にいる、彼の正義に賛同する者達。その力の集合体を代理として使っているにすぎない。故に、仲間が多ければ多いほど強さを増す。
「ふーっ……こんなもんか……」
ロビンフッドが着地した。とっさに受け身を取った為、落下の衝撃は最低限で済んだ。その顔は得意げで、勝利を確信していた。
「ガレス⁉︎ 貴様、何をしたーー⁉︎」
その様子を、遠目に眺めていたのはハダー。彼はガウェインに絶対的信頼を寄せていた。その力にも、その精神性にも。しかし、拠り所だったガウェインが危機に陥った事で、先程までの威厳は崩れ去った。彼はロビンフッドの元へ駆け寄る。
「何って、攻撃さ。戦ってるんだから当然だろ?」
ロビンフッドがすまし顔で返した。両手は真横に広げられ、『やれやれ』のジェスチャーをしている。
「違う。私が聞きたいのは彼の安否だ。君の魔法なら、分からない筈は無いだろう?」
「敵に仲間の無事を聞くなんて、相当家臣思いな王様だこと。いいぜ。ガレスーーいいや、ガウェインなら大ダメージで再起不能だろうよ」
聞くや否や、ハダーは呆然とした顔で煙の中を見ようとする。しかし、依然煙は濃く、何も見えやしない。彼はロビンフッドに目線を移す。
「何だと⁉︎ よくも……よくも、よくも貴様‼︎ 加えて、ガウェインだと……⁉︎ 誰の事を言っている⁉︎ ふざけるな! 奴はガレスだ!」
それは、彼が珍しく激怒した瞬間だった。顔にはシワが浮き彫りになり、声も一段と大きくなった。
「あー、うん。落ち着けよ。あいつはただ弱かったから負けた。それだけだろ?」
「五月蝿い! ガレスの仇め………言い訳など聞くか! 『雷電矢』ォォ!!! 」
彼の右手が後ろに引かれる。そこに左手を添えて、弓矢の形を空で作った。その手はギチギチと震えている。雷が矢の形に整えられると、彼は握った右手を広げて雷を射出させた。そんな光景を見ても尚、ロビンフッドは動じない。
「『魔封の矢』」
ハダーに対して、彼は落ち着き払った手捌きで応戦をする。『雷電矢』は高速で飛んで来ていたが、使用者の動揺が精度を鈍らせた。彼の矢はそれすらも射抜き、遂には『雷電矢』は消失した。
「なっ……⁉︎ ば、馬鹿な、ふざけるな!」
「残念だったな、王様。戦場では強さこそが物を言う。お前の地位や名誉なんてモノは意味がないんだよ」
怯み、同様するハダー。底知れぬ相手への畏怖か、その場に尻餅をついてしまった。これを好機と見たロビンフッドは、短剣を取り出しハダーの首筋に突きつけようとする。
「これで終わりだ。喰らえっーー!」
その刹那。
「『緊急装甲・起動』ーー!」
赤い閃光が辺りを走った。
それは光速で広がり、土煙を晴らし暗闇をも照らす。輝きは凄まじく、周囲の人々は一斉に目を眩ませた。しかし、同時に温もりも感じたという。まるで太陽の如き、暖かさを———。
「ぐっ⁉︎」
突然の強襲には、ロビンフッドと言えども不意を突かされた。一瞬だが、彼もまた目を眩ませた。目を開けるとそこにハダーはいなかった。
「何だと……⁉︎ どこに行った⁉︎」
光の正体も気になったが、まずはハダーを探そうと辺りを見回す。すると、彼は一つの人影を見つけた。それも、さっきまで煙が立ち込めていた場所で。その男の顔を見た途端、彼の顔が青ざめた。
「ーー‼︎ お、お前は……」
金色の髪。美しく鋭い剣。赤い鎧。その隆々とした腕には、ハダーが横抱きされていた。
「死んだ筈じゃ、無かったのかよ……⁉︎」
白亜の騎士として、この世界でも名を馳せた英雄。
「ーーご無事ですか、我が王よ」
ガウェイン。高潔なる精神を持った、騎士の英雄だ。
「………なっ、ガレス⁉︎ 無事だったのか⁉︎」
「ええ。王の為、力を振り絞って参上致しました」
すると、ハダーは胸を撫で下ろし溜息をついた。表情も、どことなく安心そうだった。
「フッ……お前が無事で何よりだ。ところで、ガウェインとは一体ーー」
彼が問いかけ終わる前に、ガウェインが答えた。
「———では、私から。ガウェインとは我が真の名です。我が能力には日の出でぬ時、最大限の力が出せぬという弱点がありました。かの大戦に集いし英傑には、我が能力を良く知る者もいるでしょう。故に、偽りの名を使っていた次第です。王よ。今まで黙っていて、申し訳が立たぬ次第でございます」
彼は黙って耳を傾けていた。少しの沈黙の後、彼は重い口を開いた。
「成る程。お前の考えはよく理解出来た。言いたい事は山々だがーー」
ガウェインの腕を触り、降ろそうとする。彼は自らの足で立とうとしたのだ。
「王よ⁉︎ お身体に障ります、どうかこのまま」
「このまま降ろせ。奴と手を合わせて、私は感じた。『やはり、スピリットと渡り合えるのはスピリットだけなのだ』と。この国を守る為には、この道しか無いのだ。ーーだから、代わりに戦ってはくれまいか?」
ガウェインは悩ましげな顔をした。仮に、送り出した先で彼が死んでしまえば、示しがつかない。しかし、王の命令は絶対だ。それに、彼にはやるべきことがある。一国の王として部隊を率いて敵を倒して、国をまとめる。そして、日々増大する他国の脅威から、民を守ることだ。
「———承知しました。必ずや逆賊を討ち果たし、私も後から追いかけます。どうか、どうかお気をつけて」
ガウェインは腕を下げて、優しくソッと降ろした。彼はスタンと地に足を付け、遠くへ駆け出して行った。だが、それを黙って見ているロビンフッドでは無かった。
「逃すかよっ!」
駆け出した彼の首筋目がけて、一筋の矢が射られた。だが、当然と言うべきか。矢は剣に落とされた。
「待たれよ。我が主の邪魔はさせぬ!」
追おうとするロビンフッド。その前に立ち塞がるガウェイン。彼は剣を突き付けた。
「ハァ、またあんたか。色々気になるけどよ……何だ、その鮮やかな鎧はよ?」
「切り札、とだけ言っておこう。生憎、貴様を迅速に処理しなければいけない事になったのでな」
それだけ言うと、彼は切り掛かってきた。
「ハァッ!」
さっきまでの戦いと同じように、ロビンフッドは軽々と躱そうとした。だが、彼の攻撃の方が早かった。ロビンフッドの左腕に赤い線が引かれた。
「何ッ⁉︎」
想定外の出来事に、動揺するロビンフッド。その隙に、再び彼の斬撃が振りかざされる。ロビンフッドは、短剣で必死に応戦した。その剣技の中、彼はとある事を感じた。
「力が……前より増してやがるのか⁉︎」
その言葉が示した通り、しばらくして彼の短剣は破られてしまった。彼は背後に押し出され、胴体はよろついていた。
「逃さんぞ!」
追撃を仕掛けるガウェイン。それを見る暇すらなく、彼は飛び上がり、近くの建物の上へと登った。そして、弓矢を構えて射り始めた。
「最初から飛ばすぜっ!」
彼も危機感を持っていたのだろう。矢を放つスピードは前よりずっと速くなっていた。だが、同様に、ガウェインが回避するスピードも前よりずっと速くなっていた。
「これ以上、長引かせられては厄介だな……。『聖炎』!」
ガウェインは立ち止まり、詠唱を始めた。その間も矢は彼の鎧に当たっていたが、赤い鎧は全てを弾いていた。遅れて、彼は左手から聖なる火の玉を放った。圧倒的な速さでロビンフッドに迫り、遂には彼を屋根から落下させた。
「うわっ⁉︎」
即、体制を整えたものの、その体に蓄積された痛みは尋常ではない。彼は必死で弓矢を構えた。
「へ……へへっ。本気ってとこかい?」
「当然だ。貴様を必ず討ち果たすと、王に誓ったのでな」
「その、王に誓うってのがよくわかんねぇのさ。あんたの正義を、自分みたいな馬鹿にも分かるように教えてくんねぇか?」
彼はおちゃらけた口調で問う。自らの傷や弱みを隠して、逆転のチャンスを狙いながら。
ーーだが。返って来たのは、予想外の答えだった。
「逆に問おう。貴様の正義とは何だ?」
「———は? 質問に質問で返す奴がいるか?」
ガウェインの答えに呆れたのは、ロビンフッド。生真面目なガウェインだったら、自分の問いに正面から答えるだろうと踏んでいたからだ。
「おっと、失礼。貴殿の正義がどんなものか、つい知りたくなっただけだ」
「その思いは自分だって同じさ。所詮は別の世界の、無関係の国の王様に、どうしてそこまでの忠義を尽くせるのか。倒しちまう前にいっちょ聞いておきたかったのさ」
少し怯みつつも、主導権を渡すまいと、彼は畳み掛けるように説明を加える。
勿論、本気でガウェインを倒せると思っている訳ではない。俗に言う『煽り』だ。例え、強い精神の持ち主だとしても、人であることには違いない。人である以上、その精神には必ず、僅かだろうと隙がある。
そして、その隙を突くことが出来れば勝機はある。それを広げる為の戦略だ。
「ああーーなるほど。貴殿は理由が知りたいのだな。ならば話は早い。私はただ、かつてのやり直しがしたいだけだ。私の過去は、貴殿もよく知っているだろう」
「ああ。アーサー王の死に目に会えなかったんだろ? そりゃあよく。自分、あんたの物語はお気に入りだったからさ」
彼は頷いて答えた。その様子は不真面目そうだったが、声はやけにはっきりしていた。まるで、心から言っているかのように。
「ほう……それは予想外だったな。———だが」
そこから、ガウェインは声の格調を一気に上げる。張りのある、威勢のいい声へと。
「一気に腑に落ちたよ。不真面目そうに見える貴殿が、何故こうも主人の命に従い、異界の人々に肩入れするのかが。加えて、貴殿の大魔法に乱れが感じられた訳もな」
所詮は言いたい持論の前振り、前菜のようなもの。だが、それでも剣のような鋭さを持って、言葉が彼の心に突き刺さる。
それでいながら、彼はしっかりと普段通りの態度だけは保っていた。彼は何事も無かったかのようにおちょくる。
「……ハッ、突然どうしたよ? 時間は無いんじゃなかったのかい?」
しかし、その声には、確かに心の乱れが現れていた。今まで見逃して来てしまった、大きく波打った心の乱れが。
「迷っているのだろう? 理想の正義を貫くべきか、それとも非情に徹するべきか」
「ッ……!!!」
たかが、一言。———されど、一言。
その一言が彼の心の、矛盾という穴に突き刺さった。とても鋭く、とても冷徹に。さらにガウェインは続ける。
「貴殿は、私とは別の正義を、信念を持っていると見受けられる。恐らく、弱き者の味方であろうとしたのだろう? 国を覆すことで、民を救おうと。ーーだが」
一息ついて、ガウェインが言葉を発し続ける。彼は黙って聞いているしかなかった。
「なまじ冷静だったのが仇を成したな。冷静だったが故に、彼らとの意識の統合が出来ず、立場がはっきりと定まらなかった。己の立場が不明瞭だったが故に、緑衣隊内部に溝が広がっていった。そして、信念と行動との間に歪みが生じていった。貴殿は、その歪みという渦に足元を取られたのだよ」
「くっ………好き勝手、言いやがって……」
彼の手が怒りに震える。それでも、直接的な行動へは移さない。いや、移さないのではない。移せないのだ。
「好き勝手も何も、私は貴殿について正しいことを言ったまでよ。それに、これも立派な戦場での策の一つであろう? ーー私としては、あまり好みではない策だがな」
ガウェインの追い打ち。堂々とした声色で発せられたそれが、怯んでいた彼の心を更に抉る。一度突き刺さった言葉は、心の中でどんどんと膨らみ、その傷を広げていく。
「くっ………!」
彼は相変わらず、何も言い返せなかった。
もし、ここで彼が何かしら言い返していたのなら、この後の結末も少しは変わっていたのかもしれない。けれども、彼はガウェインの言葉を受け入れてしまっていた。自分が間違っていたと信じ切ってしまっていた。
戦いとは、主義主張のぶつかり合いと言い換えることも出来る。それが正しいか間違っているかは関係なく、どれだけ勢いを持って信念をぶつけ合えるか。その視点から戦いを見たとき、既に彼は負けている。勢いで勝るより前に、まず自分が自分を信じられていないのだから。
その事は、ガウェインもよく知っていた。ガウェインは彼を見て、自らの勝利を確信した。ガウェインはこう語りかけた。
「ーーさて、最期に言い残すことは?」
「ああ、山程あるね」
彼は飄々とした口調で返した。いや、今の状況からすれば、薄っぺらい口調と言った方が適切だろうか。生気は薄く、顔にも暗さが付き纏っている。
「そうか。貴殿も立派な戦士の一人、出来れば願いを聞き届けてやりたかった。願わくば、本来の勇姿も見たかったものだ。だが……」
ガウェインは、ロビンフッドに全てを答えさせはしなかった。実のところ、彼に時間はあまり与えられていなかったからだ。
戦場の最中では、いつ、何が起こるかわからない。つまり、ハダーの命は生と死の狭間にあるようなものだ。彼の役目は王を守ること。その勅命を果たすには、ロビンフッドとの戦いはすぐに終える必要があった。
加えて、鎧を真紅に染めるその魔法は制限付きだ。今こそ絶対的な力を有しているが、いつ無くなるか分からない。
戦いで隙を作る事は負けを誘発してしまう。王を守る為にも、非常事態に対応出来るだけの余力は残しておきたかったのだ。
彼は一息つくと、力を込めて続けた。
「我が王にとっての、障害である事に変わりは無い。ここで朽ち果てるがいい!」
そう言い放ち、彼は攻撃を繰り出す構えをした。掛け声と共に、彼は力を込める。その様は、まるで彫刻のように美しく。
「ハァァァァ———!」
剣は紅い光を宿す。剣からは、太陽にも匹敵するであろう程の高熱が放出されている。余りの暑さに空間は揺らめき、彼自身の神聖さを引き立てていた。
より一段と魔力を込め、彼は剣を力強く振り下ろす。
「受けてみよ。『万物切り裂く太陽剣』‼︎‼︎」
次の瞬間、剣から斬撃が放たれた。それは高熱を放ち、煌々と輝きながら大地を揺るがす。軌道の先には当然、ロビンフッドがいた。
「何っ……⁉︎」
ロビンフッドは、手を交差させて斬撃から身を守ろうとする。しかし、その程度で防げる攻撃ではなかった。彼の疲労のせいもあってか、正面からまともに攻撃を食らってしまった。
「くっ……ぐわぁっ‼︎」
腕は血まみれ、トレードマークの緑のマントはボロボロ。立ち姿もおぼつかず、最早勝敗は決した。
それでもガウェインは、彼に追い討ちをかけようと走り込む。彼の存在を完全に断ち切り、反抗する勢力の希望を奪う為に。
「ーーその命、頂戴致す」
彼は剣先を急所に向ける。右腕を後ろに引き、力を溜める。ロビンフッドは瀕死の体に鞭を打ち、決定打となるであろう一撃を避けようとした。
しかし、血だらけの体ではそんなことが出来るはずもなく。急所から僅かに狙いをずらすのでやっとだった。
抵抗は虚しくーー。真っ赤に燃える刃が、鋭く体を刺す。
「がっ、ぐはあああっ………‼︎‼︎」
全身を裂くような痛みと、体を焼き尽くすような痛み。その二つが混ざり合い、絶痛となって彼を蝕む。戦いで受けた傷のせいもあってか、ガウェインが剣を抜いた後も苦しみは続く。
「がはあぁぁぁ……‼︎‼︎」
その後も彼は叫び続ける。苦悶の表情を浮かべながら。手を抑えて傷口を防ごうとしても、焼け石に水。叫ぶ声は激しくなるだけだ。
しかし、ガウェインがその様子を眺めることはなかった。今すぐにでも主君のもとへ向かわなければいけなかったからだ。
「『緊急装甲・停止』」
彼は魔法を解除すると、整った足取りで城へと向かった。
◇◇◇
「ふぅ……」
つい、溜息が漏れてしまった。一戦を終え、疲労しているのだろうか。
だが、休息を取る訳にはいかない。私には王を守るという使命があるからだ。こんなことをしている間に事が起きてしまっては、騎士の名折れ、後悔してもしきれないだろう。
ーーもっとも、それ以上の後悔は既にしているのだが……。
二度と惨劇を繰り返さない為にも、私は王城を目指して歩く。城は権威の象徴であり、防御施設。王がいらっしゃるに違いない。城には見張りの兵も多少はいるだろうが、油断は出来ぬ。
確かに緑衣隊は、二大支柱の片方を失った。しかし、民の力ほど恐ろしい物はない。王と血を分けたミューネ・ヴェルゴンドが如何程の傑物かも、分からないところが多い。戦いの情勢が一変する可能性も否定できない。
「急がねば」
そう呟き、私は歩みを進める。辺りはやはり、夜だというのに騒々しく、ところどころに火の手があがっている。きっと、多くの民が苦しんでいる筈だ。出来るものならその全てを救いたい。
しかしーー。ヴェルゴンドを統治し、民を外敵から守りうるお方はハダー様ただ一人。あのお方以上に我が国の現状を知る者はいない。
魔法の才でいえば王女の方が優れているかもしれぬが、我が王との間には圧倒的な経験差がある。実際に、玉座に座り国をお治めになった、何物にも代え難い経験が。そんな素晴らしきお方を失ってたまるものか。
私は胸に手を当て、強く握った。
————————————————————————
さて……と。なんとか城内への侵入に成功した。
構造は、前来た時におおよそ把握している。さっさと玉座の間に到達してしまい、相手に圧力をかけなければ。そう考えた矢先の出来事だった。
「待て、女。緑衣隊の仲間か?」
突然、私の前に槍が突き出された。見たところだと、相手は兵士のようだ。簡素な鎧に身を纏い、険しい顔をしている。
「さぁ? 仲間かと言われれば仲間だけど、仲間じゃないと言われたら仲間じゃないかしらね?」
私は適当にごまかす。こんな雑魚に不意でも突かれて、やられちゃったら洒落にならないからね。
「訳の分からんことを言うな。本当の事を言……」
「『水蛇』」
相手が言い終わらないうちに、魔法を詠唱する。私の手から水の蛇が飛び出し、相手を縛った。兵士は身動きできなくなり、持っていた槍はその場に力なく落ちた。
「くっ……貴様っ‼︎」
兵士が私に向かって叫んでいるようだ。けれど、耳を貸す暇なんてない。
「待、待て! 話はまだーー」
増援に駆けつけられるのはまずい。私は目もくれずにその場を立ち去った。背後からの声は、闇夜の中に消えていった。
玉座の間を目指す最中に、私は考える。
もし、白亜の騎士———ガウェインが私達に敵対するなら、日が昇る前に倒さなければいけない。聞いたところから推測するに、アレの忠誠心は相当のもののようだ。キノミヤも、『彼は向こうの世界では忠義の人として知られている』と言っていた。
と、すれば。彼がハダーを裏切るようなことをするとは思えない。ハダーの方も、意思を簡単に変えるような人間には見えなかった。分かりきっていたことだが、決戦は避けられないか。
「でも、これでいいわ」
そう、自分に囁いた。
ここでガウェインを倒してしまえば、彼はラグナロク最初の脱落者になる。そうすれば、私は今後、優位な位置に立てる。ヴェルゴンドの人々を仲間につけることだって出来るのだから、これ?上にいい策はない。
ーーキノミヤには言いそびれてしまったが、まぁ、いいだろう。アイツは私のスピリット。私の命令に従ってくれるに違いないから……。
そんなことを考えていたら、玉座の間の手前に着いていた。張り詰めた空気が辺りを支配している。しかし、なんだか様子が妙だ。
「……あら?」
ここに来るまで、何回も兵士達を見かけた。やはり非常時、警備にも意識が払われているようだ。実際、私も危なかった。
だが、一番重要な筈のこの部屋には、不思議にも護衛の兵士はいない。不可解すぎる。
何の理由があってそんなことを? 兵の数が足りない……なんてことはないだろう。ここに至るまでの兵士を、こちらに回すだけでいいのだから。
まさかとは思うけど……私を殺すための、罠?
あり得ない話ではない。ガルドアの森では、あれ程の火の海を鎮火した身だ。裏切り者のアドニスとやらから、要注意人物として情報が渡っている可能性もある。どちらにせよ、目を付けられていてもおかしくない訳だ。
しかし、ここまで来たんだ。引き返して絶好の機会を逃すよりも、ひたすら突き進んで、何としてでもガウェインを倒すべきだ。ラグナロクに参加している、他の魔道士達から抜きん出る機会でもある訳だし。
私は警戒しながら、扉を開ける。そこにはーー。
「……来たか」
白亜の鎧に身を包んだ、ガウェインがいた。彼は玉座の前に忽然と直立していた。しかし、ハダーはいない。私は問い質そうと、口を開いた。
「ハダーはどこへ?」
「我が王はここにはいらっしゃらない。貴様のような不埒者の前に、姿を現わすような愚かな方ではないという事だ」
……何よそれ、答えになってないじゃない。
「そう。貴方の王様は私達を舐めきっている、と解釈していいかしら?」
私は皮肉を込めて返した。すると、彼の表情がこわばった。
「ーー何という無礼、許すまじ!」
その一言が引き金になったのか。彼は流れるように剣を抜く。その様は、まるで竜のように豪快で。
「貴方がその気なら、私も答えるわ!」
だが、恐れる必要なんてない。今は夜だ。この状況では、ガウェインは真の力が発揮できない筈。
夜が明けてしまう、その前までにーー全力で叩き潰す‼︎
力強く向かってくるガウェイン。その姿を見て、思わず怯えてしまいそうになる。しかし、ストレイス家の末裔たる私が、こんな些細なことでつまずいていては御先祖様に申し訳が立たない。
その勇ましさに圧倒されないように、私は右手に魔力を宿した。
「『風刃』‼︎」
魔力が風として実体化し、私の掌の中を舞う。
だが、これで終わりではない。これはほんの始まりに過ぎない。
「集え、躍動する風よ!」
その流れを操り、鋭利な剣に鍛え上げる。すぐさま風が集まり、一つの洗練された風の剣となった。私は形成された剣を握った。
「こんなものかしら……」
この魔法はそんなに長くは持たない。そもそも、魔法そのものが自然の在り方を捻じ曲げて、奇跡を起こすモノだ。本来なら実態を持つはずがない風を、ある一定の形に変えて留めるというのだから、長く持たないのも仕方ない事なのだ。
「それで私を討つ気か?」
声のする方に目線をやった。すると、ガウェインは今にも剣を振り下ろそうかという様子だった。待つ暇もなく、彼は剣を振り下ろした。
「当然よ……!」
攻撃を防ぎながら私は返した。手には攻撃の圧がのしかかり、紡ぎあげられてきた剣の業の深みが、嫌という程伝わってきた。このまま競り合えば、向こうに利があるのは明白。ならばーー。
「『大地拳』ッ!」
空いていた左手をしっかりと握りしめ、力を込める。そして、間髪入れずに彼の鎧のど真ん中へ、岩と化した拳を突き刺した。衝撃は鎧を伝い、彼の肉体に与えられた。
「なっ……⁉︎ ぐはっ!」
彼の体勢はみるみるうちに崩れ、少し吹き飛ばされて室内の柱にもたれかかった。
ーーやはり。こちらが剣を出せば、相手は剣で応戦してきたか。この戦法を続けていければ、遠距離からの魔法攻撃を心配しないで済む。けれども、やはり慣れない剣を使い続けるのはリスクが大きい。魔力も余計に消費してしまう。
私は渋々、『風刃』を解除した。すると、ガウェインが問いかけた。
「貴様、何故剣を使わぬ?」
「だって、私は魔道士だから。得意じゃない技術で勝つよりも、身に染み込んだ力で勝つ方が身にあってるから」
私は整然と言い切った。彼も納得したらしく、表情はどこか晴れ晴れとしていた。
「そうか。ならば、こちらも好きにさせて貰おーー」
しかし、今は一刻を争う戦いの最中。相手を待ってなんかいたら、どうされてしまうかなんてわからない。私は彼の言葉を遮って、詠唱を始めた。
「燃え盛る火よ、飛びかかれ!『火炎連弾』!」
火の玉を打ち込みながら、後ろに下がり距離を置く。無数の火の玉は、彼の元へ導かれるかのように激突していった。
彼は反応する暇もなく、煙に飲まれていった。余波で、背後の柱までもが砕け散った。彼も相当の傷を負っただろうかと考えた、その時だった。
「やぁぁぁっ‼︎‼︎」
威勢のいい叫びと、力強い一振りが煙を晴らす。間髪入れずに、煙の中からゆっくりと歩いてきたのはーーやはり、ガウェインだった。
「これ以上、我が王の聖域を荒らさせはせんぞ!」
彼は決然と言い放ち、左手を剣に添えると、魔法を放った。
「『付加・聖炎』」
手が退けられた時、剣は光り輝く焔を宿していた。魔法が発動したことにより、周囲の雰囲気が僅かに重たくなった。彼は剣をこちらに向けて、威勢のいい掛け声と共に襲いかかってくる。
「はあぁっ‼︎」
重厚な剣が、炎を揺らしながら軽々と振るわれる。力強く、しなやかな斬撃は躱すだけでも一苦労だ。これが長引けば長引くほど、勝利は厳しくなるだろう。だったらどうする?
……そんなの、決まっている。相手の隙を突いて確実に致命傷となる一撃を当てるだけだ。
『魂溶かす深炎の槍』なら倒せるに違いない。だが、彼は歴戦の勇士。回避される可能性だってゼロではない。外した場合、チャンスはピンチへと後退してしまう。
ここは魔法で動きを封じて、必中の一撃を叩き込むべきだ。それも、解きようがない強力な魔法を。私は早速詠唱に取り掛かる。
「大いなる流れよ、我に力をあた……くっ⁉︎」
しかし、彼は余りにも素早く、そんな暇すら与えずに襲い来る。止むを得ず詠唱を中断し、回避に徹した。その最中でも、隙を見計らって詠唱を再開しようとした。
「大いなるなが……がっ⁉︎」
しかし、その度に彼の横槍が入り、まともな進展はなかった。攻撃を回避するだけでも精一杯で、ただただ時間だけが過ぎていった。
「ぜえ、ぜえっ……」
無意識のうちに息が漏れ、無駄に体力も消耗してしまった。一瞬でも気を抜けば、いつ切られても可笑しくない状況だ。
対して、ガウェインの斬撃にはあまり乱れが見られなかった。当然、精度は落ちているのだがーーそれでも尚、彼が繰り出す攻撃は素早い。中々、隙を見せることもない。
それでいて、会話をする余裕さえ残していた。彼は拍手と共に私を褒め称えた。
「その身のこなし、流石だ。だが……」
次の一瞬。瞬時に彼は私の傍に立ち、剣を構えていた。獰猛な視線が心臓を突き刺すかのように光る。
「避けてばかりではどうにもならんぞっ!」
鋭い一斬が空気を焼く。魔法を放ち、咄嗟に軌道をずらそうと試みた。
「『風結界』っ!」
即座に身体中を風が覆い、攻撃を和らげる膜となった。風はガウェインを吹き動かし、攻撃の軌道をずらした。おかげで致命傷は防いだ。
「ぬぅっ!」
間も無く、彼が切り返してきた。ギリギリでかわして事なきを得た。
が、その時。足元に妙な感触を覚えたのだった。ふと、足元を見るとーー。
「なっ⁉︎」
そこには焦げた布の切れ端があった。色と形から推測するに、私のコートの一部で間違いない。高貴だったそれは、見るも無残な姿で転がっていた。条件が少しでも違っていたら、私自身がこうなっていたに違いない。
今戦っている相手は人智を超えた『英雄』。優れた魔道士であろうと、太刀打ちは厳しい存在だと。そう、否応無しに感じ取らざるを得なかった。
だがーー。諦める訳にはいかない。勝ちたいという思いは、こちらだって同じだ。
「……これ以上、長引かせてたまるもんですか!」
決意を新たにし、右手を胸に当てながら息を吸う。気持ちを十分に落ち着かせたところで、詠唱を唱え始める。
「大いなる流れよ、我に力を与えよ!」
隙を見計らっていては、いつまでたっても勝利を掴む事は出来ない。多少の危険を冒すことも、時には必要だ。
「そうはさせん!」
やはりと言うべきか、ガウェインが剣を振った。鋭い軌道が、私の側を通ろうとする。危険な状況
ーーしかし。今の私に、与えられたチャンスはきっとこの一回きり。今こそが、無理を承知で突き進む時だ。
「そしてーー」
彼の斬撃を全力で避ける。詠唱を続けながら。
「何っ⁉︎」
「万物を束縛せしーー」
彼は攻撃を繰り返す。しかし、当たる気は微塵も無い。いや、当てさせてたまるものかーー!
「鎖となるがいい!」
研ぎ澄まされた精神は、私を斬撃から無意識に避けさせ、私はそれに応えて詠唱を続ける。
そしてーー。
「ハァァーーッ! 『束ねられし大気鎖』!!」
呪文の最後の一節。それを唱え終えると、握り拳を開いた。
指先に風が集まり、十の小さな螺旋を形作る。小さいながらも、激しく渦巻く螺旋を。
「縛れッ!」
私は命じる。
すると螺旋は勢いを増していき、中ぐらいの大きさの鎖を形作った。そして、意思を持つかのようにガウェインのもとへ放たれた。
彼は瞬時に剣を構え、これに抗おうとした。
「この程度の鎖、打ち砕いて見せ……何ッ⁉︎」
しかし、彼が攻撃を行う前に、鎖が四肢に纏わりつき、体を壁に押し付けた。戦いの疲労のせいもあってか腕の力は抜け、聖剣は床に落ちた。
「この鎖……速い!」
白亜の鎧が壁にめり込んでいく。彼は足に力を入れて踏ん張ったが、それでもこちらの勢いを殺しきることは出来なかったようだ。
「ぐっ……ぎぎっ……解け……ぬっ!」
「待ってたわ……この時を!」
私はニヤリと笑う。さぁ、そろそろ決着の時だーー!
「『岩石剣山』! これで貴方はもう逃げられない!」
床から隆起した十の岩柱。それらに鎖の反対側、つまり指側の端を飛ばして括り付けた。
「我が右腕よ、燃え盛れ、貫け。そして溶かせ!」
私は左腕を突き出して、彼の心臓に照準を定める。そして、右腕を引いて力を溜めた。魔力が充填されて、右腕は徐々に灼熱の槍と化していく。
私は目をカッと見開き、力を込めた声で決然と叫ぶ。
「くらえーー。『魂溶かす深炎の槍』‼︎‼︎」
深紅の槍は、何もかも溶かすほどの高温を宿す。私は神経を研ぎ澄まし、ガウェインの心臓に突き刺した。
「ぐっ……がはァッ⁉︎」
攻撃を受けるとすぐに、彼は傷口へと視線を動かそうとした。
ーーが、既に痛みが全身に行き届いていたのだろうか。自然と、首の動きさえ鈍くなっていた。
「こ、これが貴様のッ……!」
「ええ。私の『全力』よ」
「素晴らしい。もっと、力のある時に戦えたならばッーーもっと、長く楽しめただろうに。今にもこの身が尽きようというのが、ただただ心惜しいッ……」
彼は苦しそうだったが、どこか笑っているようにも見えた。こちらも賞賛されて悪い気はしない。
槍には返り血がついていた。鎧の一部も赤に染まっていた。右腕には鼓動の感触もある。どうやら、致命傷である事には間違いない。
しかし、彼はしぶとく耐えている。スピリットの並外れた肉体がそうさせるのか。それとも、騎士としての矜持がそうさせるのか。
だが、それももうすぐ終わる。力をグッと強め、槍をより深いところへ刺そうとした。
その時だったーー。
「いいやッ、まだ朽ちる訳にはいかない! 我に眠りし太陽の力よ。どうか、恩寵を———ー『緊急装甲・起動』ッ……‼︎」
ッ⁉︎ ガウェインの体内が……煮え滾っている⁉︎
彼の鎧……いや、肉体そのものが赤く輝いている‼︎
「ぐっ……⁉︎ だふっ!」
膨大な熱量に押し出され、体から槍が押し出されてしまった。つられて、体ごと吹き飛ばされてしまった。中々の距離だったが、壁に押し付けられないようになんとか踏ん張った。
「…………ぐっ?!」
……なんて強さだ。さっきまでとは比べ物にならない。そもそも、彼の力は夜の間は3分の1になるのではなかったか? 確かにそう聞いた筈だが。
現に、先程までの彼は今にも死にそうだった。さっきまでの様相が全て演技である可能性は、あまりにも低い。だとすると……この力は一体……?
疑問符は消えないまま、私の脳内を舞う。しかし、『それ』に囚われてしまえば大局を見失ってしまう。今取れる最善の行動はーー。
「『液状束縛』ッ!」
粘着性を持った水の塊ーージェルを、正面に生成する。相手が反応を示してしまう前に、瞬時に投げつけた。これで包み込まれた者はスライムの内部にいるような感覚を味わう。つまり、熱だけに留まらず動きまで抑えることが出来る。
今の私に必要なのは時間だ。それさえあれば彼に勝つ為の策を講じて、倒すことが出来る。それが無理だったとしても、援軍が来る可能性だってある。つまり、これは、時間稼ぎの為の魔法なのだ。
ジェルは真っ直ぐに飛んでいき、彼の肢体を覆う。
「やった! 命中し……⁉︎」
だが、そこにあったのはーー溶かされて、流れ出して、原型を失ったジェルだった。
「う、嘘でしょ…………」
あの一瞬で溶かしたというのか⁉︎ けれど、溶かされた瞬間は見えなかった。彼が時間を操ってその瞬間を見させなかったーーなんて、ファンタジーな話ではあるまい。
時間を操る魔法は最上級の中の最上級。とびっきりの奇跡だ。この世界において、これを持つ者はゼロ・レオンハルトただ一人と言い伝えられている。おかげで、時間魔法は実在するかも怪しい。
そもそも、ガウェインが時間を操れるならばとっくに使用している筈だ。そして、そんな逸話があるならキノミヤも、ロビンフッドも反応しないのはおかしい。
ならば、導き出される答えは一つ。
『ガウェインは切り札の大魔法で自身の身体能力、熱量を増加させている』
こう解釈すれば、ジェルが即座に消し飛んだのにも合点が行く。形を維持できなくなったのだーー彼の圧倒的高熱の前に。
「考察は済んだか?」
ガウェインが問う。
「大方はね」
軽い笑みを返してみせた。未だ、自分は『余裕』だと誤認させる為に。
「この短時間でそこまで済ませるとは……。マーリンには及ばずとも、中々の知性の持ち主だ。敬意を表そう」
マーリンが誰なのかはわからないが、恐らく『以前いた世界』の知り合いなのだろう。
「だが!」
彼は啖呵を切り、言葉を紡ぐ。
「私の、ハダー様の為に命を賭ける覚悟を上回ることは、不可能だと思え‼︎」
露骨な挑発。
挑発に乗ってしまうのは、相手のテリトリーの中に入る事と同義。ここは相手が痺れを切らすのを待って、わざと攻めさせる。強化された彼がどれほどのパワーを行使できるかは、未知数なところも多い。それを知る為にも、今は攻撃できない。
————————————————————————
———ーしばらくの間、どちらも攻撃を仕掛けようとはしなかった。両者ともお互いの真価を知りたがっていたのだ。
フィリアからしてみれば、先程起こったガウェインの強化の度合いが気がかりだ。彼女の体力はそう長くは持たない。木宮の援軍もそう期待できそうにない。
だから、彼女はガウェインが体力を使い果たした瞬間に、残りの魔力を解き放とうと目論んでいた。その為にはさっきのように、魔法を無駄撃ちすることがあってはならない。『魂溶かす深炎の槍』のデメリットである、魔力を使い果たしての気絶は、まだ訪れそうにない。もっとも、気力で持ち堪えているだけなのだが。
一方のガウェインからしてみても、フィリアの真価は見えなかった。実のところ、彼女の切り札は『魂溶かす深炎の槍』の一枚だけだったのだがーー彼は過信していた。僅かな時間で自身の能力を見切った才に。彼女にはまだこちらに見せていない『奥の手』が存在し、こちらが隙を見せた瞬間に発動するのだろうーーと。
それにーーこれは彼女は気づいていない事なのだが、『緊急装甲・起動』には時間制限が存在する。本来なら、ガウェインは夜間には全力を出せない。日が最も高く昇った時、全力を出せるのだ。
しかし、『緊急装甲・起動』はその摂理を捻じ曲げている。生前から恩寵を受ける度に、彼の中に僅かに蓄積されてきた太陽の力を一気に解き放っている、という寸法だ。この手法によって解き放たれた力は膨大なものだ。普段の三倍、それすら上回る力を発揮する。
しかし、あまりにも強大すぎる力には代償が存在する。彼の場合のそれは、時間制限だ。一分か、十分か、それ以上かーー。明確な制限はガウェイン自身にすら分からない。けれど、それは間違いなく訪れる。魔法が切れる前にケリをつけなければならないのだ。
目線と目線がぶつかり合う。どちらも、蛇に睨まれたカエルのようにピクリとも動かない。そのまま時間だけが過ぎてゆく。周りの状況は刻一刻と移り変わっていたが、この二人の間の状況は、依然動こうとはしなかった。
そんな中、戦局が動いた。先に動いたのはーーガウェインだった。
駆け出すガウェイン。その手には聖剣ーーガラティーンが。聖剣は光を湛えて、紅に輝いていた。夜の帳と混じり合い、妖しく光る。
繰り出された剣筋は余りにも素早く。フィリアが右方へ回避するのを待たずに、左肩に切り傷をつけた。程なくして、そこから血が流れ出す。彼女は傷口を見ようともせずに、直立の姿勢を貫いていた。
すぐさま、彼は突きの体勢を取る。剣先の延長線には急所があった。息を吸い、気を整える。
「はぁぁぁっ……ふっ!」
力強さを伴って駆け出す。その速さは駿馬のようで。
彼女はすぐさま、『風烈破』を自らの下に放った。本来ならば、これは攻撃魔法である。
しかし! 今の彼に正面からぶつかるのは、石コロで城壁を壊そうとするくらい無謀だ。彼女は応用を利かせた。そして、爆風で上空に飛び上がり、攻撃を回避しようとしたのだ。目論見通り、爆発の余波で彼女は飛び上がった。
ガウェインはすんでのところで動きを止め、爆風から距離を置いた。そして、辺りを見回す。フィリアの姿を探る為だ。その姿はすぐに捉えられた。
「上か……ッ!」
「『付加・突風』!」
風がナイフをコーティングした。ナイフは彼の首筋へと投げられた。風の勢いと投擲の勢いが重なり、速度は増していく。
「やあああっ!」
剣をナイフの軌道上に置き、攻撃を弾く。カラン、という音と共に攻撃は弾かれた。
間も無く、背後から足音が聞こえた。彼女は自分を飛び越えて飛んできたのだ、と彼は推測した。彼は振り向いて、剣を振り下ろそうとした。両腕は剣を動かし、刻一刻と距離を縮めていく。
今にも刃が頭部を叩き割ろうかというその時ーー、彼の動きは突如鈍り出した。
「なっ、何がーーハッ‼︎」
その理由に気づいたとき、彼は表情を一瞬で変えた。普段の彼からはとても想像が出来ないくらいに、青ざめていた。
ーー『首筋』が傷つけられていたのだ。しかも、鋭利なモノによって。
「岩を水で磨いて、鋭い刃物に変えたーー」
「何ッ、 ……いつの間に⁉︎」
「岩だったら、高温の中でも形を保っていられる。『風烈破』で生まれた煙の中で、この魔法ーー『岩流刃』を唱えていたのよっ!」
ナイフ攻撃は囮。真の狙いは彼の首筋を掻っ切ることだと、彼女は告げた。
「貴方がこれ以上動こうというのなら、この腕を動かすわ。死にたくないなら……わかるわね?」
「つまり、降伏しろと?」
「ええ。どちらにとっても戦いを長引かせたくは無いはずじゃないかしら?」
少しの間の後、彼が口を開いた。
「それなら私は動くまい。しかし降伏もしない。何故か? 他の戦場で奮戦している仲間達を裏切ることになるからだ。『誇り』は『勝ち負け』を上回ると、私は信じている」
「素晴らしい忠義ね。私も見習いたいくらいだわ」
けどね、と付け足してから彼女はこう言った。
「アンタ程、理想に生きていくだけの余裕はないのよっ……‼︎」
ゆっくりと岩の刃を動かしてゆく。さっき以上の量の血が喉元から飛び出して、彼女の服にかかった。それでも彼女は動じないーー筈だった。
「あ……熱いッ⁉︎」
何という事だろうか。血が沸騰している!
血が降りかかった箇所の布は、無残な姿で焼け落ちている。一部の血は破れた箇所から素肌にかかった。その凄まじい熱さに思わず、攻撃の手を緩めた。
「こ、これは……⁉︎ ……なるほど、そうか。どうやら形勢を動かしたようだな。私すら把握していなかった『能力』が」
「くああぁぁ……!」
彼女は叫んだ。熱さに耐えきれず、ついにはナイフを落としてしまった。
「こんな、ことって……⁉︎」
「ーー君は素晴らしい魔道士だ。多彩な魔法の使い手であり、切れ者でもある。その強さにーー純粋なる敬意を表そう。だが、な」
一呼吸おくと、彼は言葉を続ける。
「『数』が違うのだよ……修羅場を乗り切ってきた『数』がな。ーー真の強さとは偶然を利用出来るかどうかだ! 私は今、好機を掴んでいる。君はもう助からないだろう。我が血は体ごと煮え滾り『沸騰』を始めているからな……」
その最中にも、熱は腕から体、足へと伝わっていく。思考と動きを鈍らせるのに充分ーーいや、充分すぎる熱さで。
「私が取るべき道は一つ。君を殺して国を守るという、忠義の道だ。ーーハアアァァァ……‼︎ 」
彼は自分に鞭を打ち、全身の力という力を聖剣に宿した。鎧から紅が抜け落ちる代わりに、刃は真紅に染まっていく。
剣を振り上げ、彼の全身全霊を込めて叫ぶ。
「くらえ、我が究極の業をッ‼︎ 『陰翳を裂く太陽剣』ンンッ‼︎‼︎」
途端に、聖なる焔が剣から溢れ出す。その様は形容しがたい美しさーー力強さを宿していた。
「ヤアアァァッッ‼︎‼︎」
彼女は反撃することもなく、ただその場に座り込んでいただけだったら。剣は自然の摂理に従って振り下ろされていく。そして、彼女の頭部の寸前まで近づいたーー。
「………『大ッ……爆炎ッ』‼︎」
その瞬間、引鉄が引かれた。
◇◇◇
剣が振り下ろされる最中、彼女は僅かに動いていた。熱魔に侵されながらも、諦めてはいなかったのだ。体力は虫の息だ。生憎、高度な魔法は放てそうにない。
しかし、『魔銃』ならある。既に弾は込められている。アレならば即席で魔法を行使できる。
胸のポケットに、手を震わせながら伸ばす。触ったと同時に、引鉄に指を絡めた。
この企みを彼に気づかせてはいけない。彼女が勝利するための前提条件となるからだ。彼に『最後の一手』を奪われてしまってはマズいのだ。
力を振り絞り、素早い手つきで魔銃を抜く。頭と剣の距離は30cmもなかった。その時、銃口は鎧を睨んでいた。
弾丸が風を切る。彼の動きが止まり、よろめくのにそう時間はかからなかった。
「な……⁉︎ 貴様ッ、何を……っ!」
「『着弾』したようね……」
爆発音を伴って、彼の鎧は半壊した。素肌は露出し、流血も少なくはない。だがーーその顔には微笑があった。生気が、誇りがあった。
「なっ‼︎ その道具は……。まさか、こんな奥の手があったとはなっ……! そいつは『技術』か?」
「そうよ。先祖代々受け継いできた、誇りよ‼︎」
「『誇り』か……。そいつは厄介だな。誇りは何物より強いのだから、な……」
剣に宿っていた魔力を体内に戻して、彼は構える。魔力はまだ残っている。
ふらつく足で踏ん張りながら、彼女は魔銃を構える。弾数はまだ残っている。
「ーー行くぞッ‼︎ 鎧よ、再び燃え盛れ‼︎『緊急装甲・起動』ンッ‼︎‼︎」
鎧を真紅に染め上げ、迎撃態勢を整える。熱気が空間を包む。
もうさっきの手段は使えない。そのまま魔弾を撃ったところで、切られるか弾かれるのがオチだ。
ーーさぁ、彼女はどう動くか?
肉体は再び、聖なる熱気に包まれた。生半可な攻撃は受け付けない。受け付けるとしたら、それは大魔法クラスの攻撃か、熱の影響を受けない物理攻撃。
残存魔力から考えて、『大爆炎』を放つのが最善の手。
「ハァァァァッ……‼︎ 『大爆炎』‼︎」
しかしーーそんなことは、ガウェインも把握していた。
発弾後すぐに火球を放ってワザと爆発させた。自分に着弾するのを防いだのだ。いくら鎧が強固とはいえ、直接喰らうのは危険が高いからだ。
残り弾数は三つ。このまま闇雲に撃ち続けても、状況は好転しない。それどころか、負けを自分から引き寄せるだけだ。
ーーそれでも。魔弾の射手は魔銃を構えていた。
「やめたまえ。そいつが私に効かないことくらい、君なら分かるだろう?」
「……」
「それが答えか……残念だ。君はもう少し賢いと思っていたのだが……」
琥珀色の眼で標的を見据えて、引鉄を引いた。
「ーー『大爆炎』‼︎」
「『炎球』!」
彼女が射撃した刹那。鏡写しのように火の球が飛んできた。魔弾は回転しながら直進していく。その軌道の前には炎球が。二つは衝突して……。
いや! 衝突しなかった。炎の球は、そのまま進んでいた。しかし、魔弾は軌道を捻じ曲げて床へと向かっていた。
普通ならこんな芸当は出来ないが……。彼女の場合はあらかじめ『付加・突風』と、小声で唱えて、魔弾に風の力を与えていた。
風の力で魔弾の軌道をズラしたのだ。
「なるほど、私を背後から撃とうとしていたのか……。だが、軌道は逸れてしまったようだな」
「くっ……くそっ!」
「惜しかったな。正確に制御できていたならば、勝ってい……⁉︎」
その瞬間、床が崩れ落ちた。
ーー魔弾の軌道は、確かにズレていたのだ。しかし。魔弾は床に当たっても尚、回転を止めることなく突き進んでいた。『それ』が、予想外の事態を引き起こしてしまった。
「なっ⁉︎」
「嘘⁉︎」
両者ともが驚きを隠せなかった。爆炎の中、ガウェインは瓦礫から瓦礫へと飛び、直での落下を防いだ。
「ぐっ……! いっ、たぁ〜〜〜‼︎」
一方のフィリアだったが、受け身はとったものの、痛みは収めきれられなかった。長期戦のダメージも相まって、既に瀕死寸前。それでも、彼女は立ち上がる。
「ハァ……ハァ……」
(この期に及んでも、彼は露骨な疲労を見せていない。前々から感じていたが、やはり彼の精神力は並外れている。
弾は二つあるが、向こうだって簡単には当てさせてくれないだろう。付加魔法で小細工を仕掛けるのは当然だが……さて、どう仕掛けようか?
私が死んでもキノミヤの命は残る。最悪、アイツだけでも生き残れば、ラグナロクへの『参加資格』は失われない。宿願だけは絶対に果たさなくては。
しかし……私だって、死ぬのは嫌だ。産み育ててくださったメアリーお母様。くださったヘンリーお父様。使用人のザンチさん。そして、ロベルトお兄様。他にも沢山の方々が私を支えてくれた。
でも、『滅びの日』でみんな死んでしまった。本当の意味でストレイス家を継げるのは、私一人しかいないのだから……。)