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グランギニョルの蟲遣い -Insector's flood-  作者: 津上夏哉
第一章 正義の証明
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#07 『蟲の顕現』

 大した説明もされないまま静馬が連れて来られたのは、三城市の片隅にある店。

 目抜き通りからは二つほど路地に入ったところにあって、周囲に街灯があまりなく、夜になるとかなりの暗闇に包まれていた。道成は古くから日本にある商店街のような様相をしていて、静馬が普段見る欧風街とは一線を画していた。

 商店街とはいえ、ほとんどが軒先をシャッターで閉じてあるシャッター街。メインストリートに大規模な商業区域があるので仕方がないのかなと、静馬は少し残念に思った。

 しばらく道なりに進んでいると、ぼんやりと明かりの灯っている店が、一つだけあった。

 店の名前は、『雑貨屋アトランジェ』。

 今、瀬川によって静馬が連れて来られた店だ。

 外装は瓦葺きの日本家屋を改装したものらしく、その風情が残っている。軒先には木の板に隷書と思しき書体で店名が書かれていて、しかしその筆跡は荒く、一見とても読めるものではなかった。おそらく書いた本人に読ませる気がなかったに違いない。つっかかり気味の引き戸を開けると、古い書物を開いた時のような、「古い香り」としか形容できないような匂いが広がった。

 大小様々のテーブルが狭い空間に並べられていて、その上には雑貨屋らしく色とりどりの小物が並んでいる。ただどれも一般受けするとは言いがたいものばかりで、小さな木乃伊の標本のようなもの、心臓を模したキーホルダーのようなものも並んでいて、静馬はなんだか気が優れなかった。


「埃っぽくて済まないね。どうも、掃除というのが苦手なもので」


 苦笑しながら、瀬川は言う。ぼさぼさと無造作の髪を見て、きっとそうだろうなと静馬は思っていた。しかし、それにしては商品は整然と並べられていて、ところどころ掃除の行き届いている場所もあったので首を傾げた。

 瀬川は店内を抜け、奥にある部屋へと向かう。

 所狭しに物が置かれている所為で少し窮屈な店内と違い、奥にある空間はほとんど物が置かれていないので広く感じた。土造りの床は店を抜けても廊下となって奥に続いており、その途中に部屋が二つほど見える。片方は明かりがついて何か物音がしており、もう片方は音もなく、扉も閉じられている。

 静馬が誘導されたのは、前者の部屋の方だった。


「あっ、瀬川さんおかえりなさーい!」


 と、瀬川と静馬が靴を脱いで部屋に入るなり、快活な少女の声が部屋の中に響いた。

 畳で設えられた部屋には丸い卓袱台とその周囲に座布団が乱雑に置かれている。どうやら台所のような場所ともつながっているようで、そこから三角巾をつけた少女が顔を覗かせていた。


「あれ? えーと、お客さん……ですかー?」


 少女は静馬を見ると、一瞬だけ怪訝な顔になったが、すぐに晴々しい笑顔に戻った。


「ただいま琴子くん。そうだね、まあ、今のところはお客様かな」

「あっ、そうなんですね! いらっしゃいませー!」


 目を細めてニコニコ笑う少女に、静馬はどうしていいかよく分からず、ひとまず「どうも……」を頭を下げた。

 背の低い、小学生ほどの少女だろうか。

 静馬の肩ほどまで身長があるかどうかも怪しい。オレンジ色の三角巾とエプロンが、薄暗い室内で蛍光色となって輝いていたが、何よりも目を引いたのは、柚槻と呼ばれた少女の髪が、白髪交じりの茶髪である点だった。

 時々、ストレスが原因で中学生ほどの年齢でも白髪がぽつぽつ生えてくると言う話は聞くが、彼女の場合は、有名マンガのの天才医師のように半分ほどが色素を失っている。


「まずは、軽く自己紹介と行こうか」


 白髪が生えてくるには早過ぎるんじゃないかと静馬は思ったが、そんな思考は卓袱台の対面に座る瀬川の問いかけによって消え去った。

 気付けば少女も、隣の座布団に正座していた。


「先ほども名乗った通り、僕の名前は瀬川祐二。ここ『雑貨屋アトランジェ』で、まあ、平たく言えば慈善行為みたいなことをやっている。とりあえず、今日は名前と場所だけでも覚えて帰ってくれれば、それでいい。そして、彼女がうちで働いてくれている、琴子くんだ」

「はい! 私が『あとランジェ』従業員の、常戸琴子です!」


 静馬の表情が、一瞬硬直する。


「……えーと、もう一度、お願いしてもいいですか?」

「あはは、やっぱりそうなりますよね。絶対一回は聞き返されちゃうんです」


 困り気味に笑う少女――琴子は、恥ずかしそうに頬を掻く。


「とこと、ことこです! 間違えやすいけど覚えてくださいね!」

 間違いやすいとか、そういうレベルじゃない気がする。

 静馬は汗を垂らしながら、そう述懐した。




「君が目にしたものは、短絡的に言うと人間ではなくなったモノだ」


 琴子の淹れたコーヒーを一口飲んで、瀬川は語る。


「人が人で在り続けられるのは、己の理性が自我を保ち続けているからだ。もし人間から理性というものが失われれば本能だけで生きるということになり、他の動物と似た――悪い言い方をすれば知性に欠けた生き物と化してしまう。それくらい、人間にとって自分自身を制御する意志、理性というものは大事ということになる。これは恐らく、ほとんどの人が理解していることだろう。僕らに関わる話はここからだ。静馬くんは、PTSDというものを聞いたことがあるかい?」

「あ……はい。心的外傷、でしたっけ」

「そう、詳しい説明は省くけど、PTSDというのは突然の事故や病気、虐待などによって著しい精神的衝撃を受けたことによって、心身に影響を及ぼす疾患とされている。一般的にはトラウマなんて呼ばれ方もされているね。こうしたものを罹患した人間は往々にして、怒り、悲しみ、憎悪……様々の強い感情を抱くようになる」


 かちゃり、とカップを置く音を挟んで、続ける。


「例えば交通事故で大怪我を負った人ならば、車が目の前を横切っただけで事故のことを思い出し強い恐怖を感じる、みたいなことだ。先端恐怖症みたいなものも一緒くたに出来る。そして、この強い精神的な衝撃がその人の身体に見合う量を超えた場合――――〈蟲〉が発現するのだと、僕らは考えているというわけだ」


 蟲、と言う単語を強調して、瀬川は言葉を紡ぐ。


「あくまで蟲と言うのは、比喩的な表現だ。僕の場合は偶々昆虫に似た姿をしているけど、それは人によって変わる。例えば琴子くんも僕と同じ蟲の保持者であるわけだけど、その蟲は『虫』の姿形をしているわけではないんだ」

「蟲、ですか……」

「人間の蟲が発現した場合、大別すると二つのケースに分けられる。一つは、蟲の脅威に耐え切れずに死に至る。もう一つは、蟲の力を制御して、生き延びる。今回の場合、静馬くんが選んだのは後者だ」

「え、ちょ、ちょっと待って下さい!」


 落ち着いて話を聞いていた静馬だったが、突然告げられた事実に思わず声を上げる。


「僕が選んだのは後者ってことは、僕にも既にその、蟲っていうのが発現しているってことなんですか!?」

「うん、そういうことになるよ」


 静馬の驚きとは裏腹に、平静を装って瀬川は告げた。


「正確に言えば発現するための下準備が終わっている状態かな。あとは過去に経験した大きな事件を想起させるようなことがあれば、蟲は発現する」

「そんな! そんな、ことが……」

「信じられないだろうね。だけど君にはあの異形が見えていたし、僕の蟲だって見えていただろう?」


 静馬は紡ぎかけていた言葉を、切り取られる。

 余命宣告でもされたような気分だった。確かに、静馬にはあの異形の男が見えていた。そしてその男を燃やし尽くした瀬川の蟲も、しっかりと脳裏に焼き付いていた。

 否定の言葉が、これ以上思い浮かばない。


「それが何よりの証拠だ。蟲の姿が見えているということは、つまりは蟲を抱えているってことなんだからね」

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