第5話 出発
ー3ヶ月前ー
フジスペースクラフト社。
幹部社員と一部の技術者たちが集まって、飛行機の模型を見上げている。
「今日はまだこの謎解きはして貰えないのか?」
1人が呟き、全員が納得いかない表情で、その飛行機に視線を集中させる。
東村から渡された素材で造られたその飛行機はずっと旋回を続けているのだった。動力源としては何も付けていないのにも関わらず。
日本でも遅まきながら、民間による宇宙開発が進められつつある。今ではロケットの立ち上げは、その業務の多くをベンチャー企業に委託するかたちで進められている。中でもトップを走るのは昨年行われた宇宙往還機コンペで優勝を勝ち取り、見事、政府からの補助金100億円を手にした新興のこの会社であった。東村が言うには、賞を獲得したのは偶然ではなく、技術力が他者と比べて群を抜いているらしい。
アメリカの後を追い続け、これでやっと日本も宇宙開発レースの最前列に並べたのかもしれない。コンペ優勝機は三島工場で造られ、現在もここにあった。今、その機体は改造作業が施され、「クラス往還機」に姿を変えている。
「クラス」とは、それぞれの違う次元を区別する為に使う用語であるが、これも宮崎の解説による。それによれば、
この地球上に住んでいるのは、我々人類とこの世界にいる動物、植物達だけではない。全く同じ場所に、全く違う次元が存在し、それぞれの次元の人類(人類と呼ぶかどうかは定かではないが)が存在する。
どこかの次元で、物理的に地球を削ってしまえば・・・つまりは、掘るという事だが、その場合には他の次元でも地球は削られることになる。しかし、削ったもの・・・土や砂、鉱物など・・・それらは各次元にしか存在しない固有の物質となる。
我々が地下鉄を掘れば、他の次元のその場所にも穴が開く。どの次元でも、使い易い平地が生活場所として利用される。かくして、それぞれの世界で、好き勝手に地下を掘っていると、他の次元においても「突然地盤の下に穴が開いて崩落」ということが起こるのだ。
これが、崩落事故が最近続発している真相だという。
丁度、我々と同程度に進化をした次元があり、その次元でも地下を開発している為、相互に影響を及ぼし合っているということらしい。本来は、我々は既に「進化したクラス」の存在を知り、相互に干渉し合わない様な行動を取るステージに来ている筈なのだが、これまで何かが足らず、このような事になっている。おそらく、我々と先を争って掘ってる連中・・・相手先のクラスも、私達同様、「落ちこぼれクラス」なのだろう。
さて、完成したクラス往還機は、相手先クラスの人間 ー 宮崎によると名前は「マミ」だという ー 彼女の指示に従った仕様の機械に仕上がっていた。基本的には昨年優勝した機体のロケットノズル配置を少し変更した程度である。急降下中に、思い通りの方向にほんの少しだけ進路変更出来る様にする必要があったが、元々、進路制御機能はこの機体に備わっていたし、それをごく小さな角度で行える様に改良すれば良かった。
ただ一つの、かつ、重大な問題は、このような過激な乗り物に、宮崎が耐えられるかということである。
そう。マミが出した条件は宮崎自身が訪問すること、であった。他の人間が来ても対応は出来ないという。異次元社会に行って、サポートを全く受けられないのでは何が起こるか分からない。招待を受けた人物が行かざるを得ず、往還機の改造中、宮崎は他の航空機の後部座席に座らされ、猛特訓を受けさせられていた。これは宇宙飛行士ですら負担を感じるチャレンジであっただろうが、一番の難所であった「極度の高所恐怖症」は訓練1週間目でなんとか克服できつつ、いや、麻痺しつつある。
「乗ってみますか?」
フジ社の技術開発部長の熊谷が宮崎に声を掛けて来た。
クラス往還機は特別仕様のボーイング777の主翼の下に吊るされている。操縦席へは小型飛行機用のタラップが接続されていた。一人乗りだから、宮崎だけがタラップを登り、他の者は下で見守る事になる。人間魚雷に乗り込むような気分になるのは気のせいか。
「電源は入れておきます。一通り、操作パネルは起動しますので、ご確認ください。」宮崎はうなずくと機内に入って行った。ロケット燃料はまだ入っておらず、勿論、母艦のジャンボジェットも飛び立つ事は無い。操作パネルは点灯するだけで、システムは起動しない・・・筈だった。
宮崎は乗り込むと、正面の操作パネルに手を触れた。 10インチくらいの大きさの画面はタブレットを埋め込んだ様な形状になっており、画面には「ようこそ!」と表示されている。そして、「ID:NAOMIYAZAKI/pass:_______」と出ている。
その文字を数秒見つめていると、空欄だったところに「1234」と数字が打ち込まれる。これは実は虹彩認証が自動で登録されたという合図だ。
「操作パネルで色々と試してみて大丈夫ですよー!外部カメラ映像などはシステムを起動しなくても観れますから!」
下から熊谷の声がした。
「通信ON」宮崎が語りかけると「どこに送りますか?」と音声で返答しつつ画面にも表示される。
「周波数をコード99に設定」
「内容は?」
「ネコネコネコ」
「『ネコネコネコ』と発信しました。」 パネルでの操作が必要なものもあるが、ほとんどは音声操作に対応している。
東村は「またあいつ、ふざけてやがる・・・」とつぶやき、周囲の人間も苦笑している。
宮崎はふざけてはいなかった。ふざけたフリをしていたが、これはマミへの初めての近代的な通信であった。この日に備えて、クラス100の大気圏外に電波受信衛星を設置してくれてあり、それを通して、クラス99と通信が可能になっていたのだった。今日の試乗で、暗号を送る事で、マミは、この機体が宮崎の搭乗機だということを把握出来る。マミの側では宮崎以外の搭乗者を呼ぶ気は無かった。 そう。他の誰かが使う言葉を暗号にしておけば、電波の渦に紛れてしまう。だから、あえて・・・ふざけたメッセージを選んでおいたのだった。
「OK」の字がディスプレイに数秒浮かび、そのあとは何もなかったように元の画面に戻った。
「一通り、見られたらそろそろ降りてきてください!」
熊谷に促されて、往還機から降りた。
ー 当日 ー クラス100
数々の特訓をこなして、宮崎は一応の適性を手に入れることができた。強力なGに耐えられる体力。恐怖に耐えられる精神力。よく短期間でここまで出来たと自分でも感心する。
今日、これから往還機に乗りクラス99へ出発する。
「いよいよだな、宮崎。」
フジスペースクラフト社の三島飛行場に、東村も1週間前から滞在し、私の最終特訓に付き合ってくれていた。付き合ってくれていたと言っても奴はガラス越しにビールを飲んでいただけだが。
「東村は随分、良い休暇を取っていたようにも見えたけどな。」
「まあ、たまには休ませてくれ。結構忙しいんだ。」
「いや、感謝してる。こんな何十億も掛かる、誰も信用しない様なことを実現してくれたんだもんな。」
「礼を言うのは早い。さっさと行ってテクノロジーをたくさん持って帰って来い。」
「ちゃんと、こっちの体制は整えとけよ。」
「分かってる。任せておけ。」
空港の技術スタッフに促されて、宮崎はクラス往還機に乗り込む。
乗り込むと、昨日と同じ画面が出ていた。
操作パネルに触れると訓練通りの表示が出てくる。マミからのメッセージなどはまだ何もない。「 5分後 母機離陸」
「10分後 切り離しロケットエンジン噴射開始」
「15分後 最頂部到達下降開始」
上から三行は訓練通りのメッセージだ。
ただ、一番下が訓練時は「35分後 滑空開始」であったのが、
「35分後 オートパイロット解除」
となっている。
そう、1週間前にこの機体に乗り、実機訓練をした時には、最後は滑空してグライダーの様に飛行場に戻ってきた。しかし今回は違うのだ。
おそろしいことに・・・今回は、フル加速しながら地表に突っ込むのだ。その過程である速度に達した時、僅かに進路を変える。そのズレの角度により別のクラスに突入できるという。計算上は地表に着く5秒前ー それはほとんど墜落寸前 ー その時に起こる出来事だった。マミの言葉がもし事実でなければ、そのままドカンということになる。
落下時の速度はクラス移動の為のエネルギーとして消費され、行き着いたクラスではこの機体は速度ゼロとなり停止するらしい。突然急停止したら私自身にどんな力がかかるのか、とか心配は尽きないが、「大丈夫」という先方の言葉を信じるしかない。
まあ、それくらいのリスクはあるだろう。タダで大きなものが手に入る訳などない。
機内のスピーカーからメッセージが流れる。
「母機離陸します。」
4点式シートベルトを確認する。心配症なので何度もしまっていることを再確認する。
まあ、今回、万一の時はこんなもの役には立たないのだが。
加速を始めたかと思うと、10秒程度でふわっと浮き上がった。
ディスプレイには900秒からのカウントダウンが始まっている。現在は800。「エンジンチェックOK」
「制御系統・燃料系統オールグリーン」
と表示されている。そう、日本語表示だ。基本は英語表示のシステムだが、緊急時にパニクるといけないので、日本語表示にしておいてもらった。英語のほうがカッコ良かったかな、そんなことを考えていると、あっという間に時間が過ぎる。
「切り離しをします。5・4・3」
ゴォーという音でロケットエンジンが噴射を始める。
「2・1・0」
斜め上を向いた777から切り離された後、ほぼ垂直になり急上昇をする。大気圏ギリギリまで上昇して、そこから一気に下降するのだ。燃料の続く限りのフル加速をしながら。
画面に「受け入れ準備できてます。心配しないで大丈夫。マミ」と表示される。今日初めての連絡。やっと来た。もう少し早めに安心させて欲しかったが。
すでに下降を始めている。画面がふと暗転すると再点灯し、
「オートパイロット解除」と表示される。音声でも同じ言葉を伝えてくる。
脇に操縦桿はあるが、複雑なことをしないのならばディスプレイだけで事足りる。「フル加速」アイコンと「仰角0度」アイコンをタップする。
地面に向かってどんどん加速していく。正気の沙汰じゃない。
再度ディスプレイに文字が浮かび上がる。
「進路北へ0.1度ー自動設定しました。」
「3秒後に転進します。」
3秒後、目前に海面が見えてきたと同時に機体が少し向きを変える。フジスペースクラフト社で入力した設定ではない。マミの遠隔操縦だった。
うわあああああああああ・・・!!!
そこで気を失った。