第10話 住民登録
ー 105日目 ー
「ということはさ、マミは物心ついてからしばらくの記憶がなくて、時計の置いていないどこかに監禁されていた、と考えるのが自然だよな。」
「そして、私はナオの部屋から出てきた。」
「おい、ちょっと待て。状況証拠で100%、俺が誘拐犯じゃないか!」
「そうだな。その上メイド喫茶で働かせていたということになるな。」
「東村。そういうなら、俺はその店の常連だったお前と偶然の再会を果たしたという設定にするぞ。」
「う、それは・・・いや、無理やり店に呼び込んだのはお前とマミさんじゃないか。」
「まあまあ、3人とも、変なことで盛り上がらないで実務的に行きましょうよ。」
割って入った牧田が二人に助け舟を出しつつ、東村に質問をする。
「東村さん、マミさんが生まれたのは日本の国土の上ですよね。国籍法第2条1項第3号によれば
『日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。』には日本国籍を取得する、とあります。
マミさんはクラス99において国籍があるかもしれませんが、その国籍は、日本で「国籍」として認知されますか?」
「私も所轄官庁の人間ではないので正確ではありませんが、常識的に考えて異次元の国籍を、日本が国籍と認めることは有り得ないでしょうね。」
「ならば、我々の世界においては、マミさんは今、既に日本の国籍を取得していることになる。問題は住民票に記載されていないことだけという事になりませんか?」
「理屈は成り立ちますね。」
「東村、お前の人脈でなんとかなるか?」宮崎が尋ねた。
「法務省には大学同期が何人もいるから、この解釈は押し込める。法務省から中川区に、マミさんの住民票登録を受け付ける様に指導すれば、認めさせられる筈だが、スムーズにする為には牧田さんにも中川区の住民課に一言、圧力をかけて貰った方が良いな。」
「わかりました。住民課には、書式に不備がなく、法務省も承認しているにも関わらず、決済をしないのであれば私の方で問題化すると通告しましょう。マミさんが生まれた時に日本にいたという事を証明するには、出入国の記録を確認すればよいでしょうか。外務省もなんとかなりますか?」
「私、昨年まで出向で外交官をしていたのです。ですから、外務省の方も任せてください。」
「私、そんなに簡単にこっちの人間になれるの?!」
トントン拍子に進む話を聞いていたマミが皆に向かって質問し、宮崎もマミに質問をする。
「そっちのルール上の問題はないのか?クラス1との約束で、他のクラスに干渉しちゃいけないとか。」
「テクノロジーを持つ前のクラスへの干渉は控える様に言われているけど、既にテクノロジーを手にしたクラスへどう関わるかの規定はないよ。あとで戻って一応、確認しておくよ。」
どうやら問題はなさそうだ。それにしても、東村のスーパー官僚ぶりが凄い。
「よし、これで飛びっきりの看板娘が1人、立候補できるな。政策+見た目で一気に取りに行こう。」
「見た目って、いつもの服で選挙ポスター撮って良いの?」
「メイド服でか?!」「メイド服でですか?!」
一同の視線がマミの表情に集中した。
「政策もきちんとしたものがあるし、何より市民の利益を叩き出すことが明らかな政党だ。あとは人気取り、そう、テレビに出ている人気者を連れて来るのと同じくらいの支持集めのためには、それも良いかもしれない。」
東村が淡々とつぶやいた。
「東村さんて堅物そうに見えるけど、結構計算高いよね」
マミの感想である。
宮崎達は、マミをこちらのクラスで議員にしようとしていた。
まずは中川区議会議員に。いずれは国会議員に。
マミは25歳であるから、区議会にせよ、国会にせよ、ちょうど被選挙権を持てるお年頃だ。
ビジュアルも良い。
「マミさんが立候補すれば、区議会議員なら容姿だけでトップ当選しますよ。ただ、区長となると厳しい。流石に30万票を取るのはそれだけでは無理でしょうね。」とは牧田のお墨付きだ。
そう、ちょっと若くて綺麗な女の子が出たらトップ当選してしまう様な日本の選挙。使えるものを使わない手はない。本人が嫌がっている訳でもなし、いや、ノリノリなのだから、なおさらである。
「ところで、皆に相談なんだが」
宮崎が切り出す。
「テクノロジーを小出しにするのは必要なこと。クラス98の生き残りどもがいる以上、露骨にテクノロジーを見せ付けたら、敵対行動を取られるのは明らかだ。順を追って政治の世界を抑えていくのは良い。だけど、医療に関してはなんとか早めにこちらに持って来れないだろうか。私たちが民主主義のプロセスを従順に守っている間に・・・私達が自己の正当性にこだわっている間に失ってしまう命があるのは耐えられない。なんとかして、中川区だけでも住民が病に罹らない様にできないだろうか。」
「それなら同級生の澤田が適任だな。」
東村が答えた。宮崎と東村の同級生である。宮崎が尋ねる。
「あいつ、今、何をやってるんだ?」
「親父さんのやっていた町医者を継いでいる。それも、この中川区でだ。真面目なやつでな、『いずれ町医者になるとしたら、町の皆から最初に相談を受ける医者になる。自分が知らない事があってはならない。』と、そう考えて、静岡医大を卒業してから各地の大学病院を転々として、あらゆる診療科で経験を積んで来た。それこそ麻酔科から内科・循環器・整形外科までな。緊急医療の経験も豊富だ。俺らの同級生の中でもあいつほど、医療技術を広く把握している人間は誰もいないよ。」
宮崎と東村の出た高校は日本有数の進学校で、政治家や医師、弁護士などを多数輩出している。医師になった者は同期の中で50人以上いる。その一方でコメディアンや小説家なども卒業生に多数いるという不思議な校風で、その中で澤田の真面目さについては仲間から定評があった。
真面目さといえば、東村も負けていない・・・東村にはこんな逸話がある。
まだ入省してまもない新人官僚の頃、とある大企業に先輩達と総勢十五人で会議に出掛けた事がある。午前11時には終わる筈だった会議は時間を超過し、12時半まで続いた。
企業は気を利かせて昼食を会議参加者の人数分、用意してくれた。
東村が目の前に見た弁当は、それは到底、五千円では済まないであろう、超高級弁当だった。
先輩達が礼を述べ、食事を始める中、東村はその弁当に箸を付けなかった。
国家公務員には饗応を受ける際の基準があり、三千円を超える飲食の提供を受ける場合には、前日までに事務に届出を出さなければならなかった。
会議が長引き、相手企業の好意で出されたものと分かっていても、東村にはルールを破る事ができなかった。東村自身、今でもこの経験については「自分の判断が正しかったか分からない」と言う。しかし、こういう人物だからこそ、宮崎達が全幅の信頼を置いているのだ。
常に患者の為を考える澤田が信頼に値するのと同じ様に、東村もまた、国民を常に裏切らないという意味で信頼に値するのだ。
「それじゃあ、澤田に頼もうか。」
「俺が声を掛けておくよ。薬の許認可なども絡むから、それも俺の方で話を付けて来る。中川区の区民健康診断を充実させて、そこで区民の病気を一網打尽に発見、投薬しよう。マミさん、そんな万能薬みたいなのはありますか?」
東村が尋ねる。
「あるよ。ナオには全身スキャンをして貰ったけど、1週間くらい掛けて良いなら、何種類かの薬を用意すれば、投薬で治せる。薬は錠剤だからそんなに嵩張らないし、私達のクラスから持って来よう。」
「健康診断の件は私の方で動きます。区長は健康診断に関しては理解があり、内容の充実を望んでいましたから、うまく押し込みます。医療としての詳しい説明は、さっきの澤田さんでしたっけ?その方からしていただけると助かります。」
牧田が話を受けて、この日の会議はお開きとなった。