表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

4 マリアンヌ・ヴァイザー 13歳 〜学院生活1年目〜

 ロイヒリン公爵の屋敷で働き初め、二度、夏薔薇が咲き、そして枯れた。手は荒れ果てた。絹のようだと讃えられた私の髪は、艶を失ってひさしい。日記をめくっても、悲しい事ばかりしか書かれていない。

 かびたパンの表面をナイフで削り、塩の味しかしない具の入っていないスープに浸して、柔らかくして食べる日々。



 しかし、そんな生活にも大きな変化が訪れた。


 私も貴族学院に入学したのだ。この国の貴族の子女は、12歳になると学院に2年間通うことが義務づけられている。フェルディナント・ベンダール殿下も12歳になられ、この学院に入学する。

 王子の付き人が必要という話になり、私の存在をロイトリン公爵は思い出したらしい。そして、私は、1年遅れで貴族学院に入学することになったのである。

 私も貴族学院に入学できたということは、私は名前だけでも、まだ、貴族なのだろうか。どうして私は生かされているのだろう?


 貴族学院の校門。

「殿下。ありがとうございます」と、シルヴィアがフェルディナント王子の右手に導かれながら優雅に馬車から降りる。

 フェルディナント王子は、シルヴィアの婚約者であるから、エスコートされるのは当然だ。そう、この光景は当たり前に私の目の前で繰り返されてきた。婚約破棄が行われた2年前から……。


「殿下。私達、同じクラスですって」とシルヴィアは、フェルディナンド王子の左手を両手で抱きしめている。当然、私も殿下の付き人として2人と同じクラスだった。私は、寄り添って歩く二人の影を踏まない距離を歩く。3歩退いて、従者は主人の影を踏まず。もう慣れた距離だった。ただ、夕暮れ時、影が伸びてしまうとき、寂しい気持ちになる。これはきっと、夕暮れが人を寂しい気持ちにさせるからだろう。


 

「子爵の娘風情が、気安く私の婚約者に近づかないでくださらない。身分を弁えなさい」とシルヴィアが殿下に近づこうとする貴族の子女をなじっている。婚約者は公爵の娘であるシルヴィアだとは皆知っているが、殿下は側室を持つことも可能だ。殿下に気に入られれば、側室——つまり、玉の輿に乗ることだって出来る。それに、シルヴィアが男子に恵まれず、自分が男子を産めば、次世代の王母となる可能性がある。殿下の気を引こうとする令嬢がいないはずがない。

 それに、2年前の夏薔薇と白薔薇の争いで、白薔薇派は実権を握ったものの、王を廃することができなかった。摂政政治という傀儡政権を作り上げることが精一杯だった。この国は王族を中心に回っている。そのことは変わらない事実である、と知らしめる結果になった。ロイトリン公爵家が権力を握っているが、自分の娘が男子を産めば、次の実権を握るのは我が家だ! と野心を抱かない貴族は皆無だった。裏を返せば、ロイトリン公爵の地位も、十年後、二十年後にはひっくり返っている可能性があるのだ。


 カフェテリアで昼食を取るときなど、絶好の機会と言わんばかりに、貴族の令嬢は殿下に群がる。殿下の近くの席に座れば、自然と会話が生まれる。そうすれば、男女の距離も縮まるかもしれない、という打算であろう。


「私は、殿下と2人で食事をしたいのです。忠告をしても、聞かないのであれば、体で覚えさせるしかございませんね。駄犬も鞭の痛みをしれば——」とシルヴィアは群がってくる


 シルヴィアは、頭上に魔法で火球を作り出す。明らかに脅しの領域を越えた魔力だ。防御陣を張らなければ、火傷では済まない威力だ。実際に、殿下を取り巻いていた貴族令嬢達は自分の身を守るために防御陣を展開している。


「なっ」と、シルヴィアは驚きの声を上げ、そして私を睨み付ける。


「従者風情が、でしゃばるでない!」と、シルヴィアは私を叱責し、手の甲で私の頬を打った。

 私が水球を作り出し、シルヴィアの火球を相殺したからだ。


「お言葉ですが、私は、フェルディナント殿下の従者です。あなたの従者ではありません。殿下の婚約者であるあなたが万が一にでも、他の方を傷つければ、殿下の名誉が傷つきます。」と私は平坦な口調で答える。頬を叩かれるくらいは日常茶飯事だ。いまさら、怯んだりなんかしない。


「なっ。逆賊の娘が生意気ね」とキッとシルヴィアが私を睨む。


「私の愛しいフェル。こんな人混みの多い場所ではなく、中庭で食事をとりましょう」と、シルヴィアは優しく殿下に微笑み、殿下をカフェテリアから連れ出していく。それを残念そうに見つめる貴族令嬢達。


「マリアンヌ。殿下と私の食事を中庭に持って来なさい」と、去り際にシルヴィアは私に言った。



 ・


 貴族学院という開かれた学びの舎。殿下にもご友人ができた。

 アドルフ・ホルツマン。ホルツマン侯爵家の2男。チェスの腕前が殿下と同等であるらしく、常に一進一退の攻防をしている。84戦28勝32敗24引き分けというのが殿下の戦績だとか。放課後にアドルフ様とチェスを興じられる日も多い。


 バルナー・ヴェルガ—。騎士団長ゲオルグ・ヴルガー侯爵様のご長子だ。騎士団長のご子息だけあって、剣捌きが鋭い。殿下も並大抵の腕前ではなく、学友の中で唯一本気で剣術の試合ができる方。殿下は、ヴェルガ—様と共に汗を流されることがお好きなようだ。


 シルヴィアも、殿下が同性の方と交流されることには無関心らしく、殿下がアドルフ様とチェスをされている時は、優しい微笑みを浮かべながら殿下に寄り添ってチェスの成り行きを黙って見守っている。

 バルナー様と剣の鍛錬をされている際には、シルヴィアは黄色い声援を送ってくる礼状達に睨みを効かせることに夢中なようだ。虎視眈々と、汗をかいた殿下に手拭いを持って来る令嬢がいないかも牽制している。


 もちろん、従者の私は殿下のご友人方と口を聞いたことなどない。殿下とも、暫く口を聞いていないのだけれど。



「殿下が1位であることは分かるのだけど、どうしてあなたも同点1位なのよ!」と、シルヴィアが私をテストの成績が張り出された掲示番の前で詰る。

 国語、歴史、魔法学の3教科300点満点。殿下と私は満点で、殿下と同じだった。掲示番に書かれた殿下の名前の横には、私の名前があった。


「従者のくせに生意気ね」と頬を膨らませているシルヴィアを殿下が優しくなだめている。

 シルヴィアだって、298点じゃないか。さすが僕の婚約者だと、殿下の優しい声がする。シルヴィアに対して。


「当然です」とシルヴィアは機嫌を直したらしく、殿下にエスコートされて食事に行った。私も2人の邪魔にならないように距離を取りながら2人に従って後方を歩く。


 私は、あの暗い屋根裏部屋で寝起きしている。朝陽も、夕陽も入ることのない、いつも真っ暗な屋根裏部屋。学院から帰れば、召使いとしての仕事がロイヒリン公爵家の屋敷で待っている。仕事が終わればくたくたで、すぐにでも寝てしまいたい。だけど、私の部屋には、蝋燭がある。暗闇の中に揺らめく炎がある。その炎は、パンドラの箱に残った私の希望だった。その炎の中で私は必死に勉強をした。蝋燭だけが私の希望だった。蝋燭が燃え尽きる時間は短い。私は、毎晩、蝋燭の明かりを無駄にしないように必死に勉強していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ