2 マリアンヌ・ヴァイザー 11歳 ①
没落侯爵家の生き残り、逆賊の娘、王子の元婚約者。それらは、全て私のことを指している。
11歳のこの時まで、私は王子の婚約者だった。社交会があれば、王子にエスコートされるのは、世界中何処を探したって私だけだった。私しかいなかった。
しかし、そんな世界は突然終わりを告げた。
我が父、ヴァイザー侯爵家は、権力争いに負けたのだ。正確に言えば、勝ち馬に乗れなかったということであろう。この国は、長らく王族を中心とする夏薔薇と、ロイトリン公爵家を中心とする冬薔薇派に別れて権力争いをしていた。そしてその争いは、公爵家が勝利した。
多くの貴族の血が流れた。
「何も心配は要らないよ」と父が優しく私を抱擁した。母が目に涙を溜めて私のホッペに優しくキスをした。そして、屋敷を出て、迎えに来た馬車に乗って行った。それが父と母の生きた姿を見た最後だった。
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「マリアンヌ・ヴァイザー。お前とフェルディナント王子の婚約は解消とする。王子の新たな婚約者は、我が娘、シルヴィア・ロイトリンとする。以上のことを了承するか?」とロイトリン公爵が宣言する。王座には以前と同じようにベンダール王と王妃様が座られているのだけれど、肩身がとても狭そうだ。そして、摂政として王の傍らに立つロイトリン公爵は、胸を張っていた。この国の権力の頂点に立っている。いにしえに行われていたという摂政政治を再開させ、内政、外交、軍事、全ての実権を握った男、レオンハルト・ロイトリン。私の大好きだった、尊敬していた父と母の仇。
どうして私は生かされているのだろう?
「了承致しました」と私は答えた。婚約の契約は、双方の合意によって執り行われねばならない。ロイトリン公爵の宣言を私は受け入れる他はない。それは12歳の私にでも分かる。この提案を断ったとして、私に待っているのは毒殺だろう。もしかしたら行方不明となって、どこかで生きながらえることができるかも知れない。しかし、それは砂浜でエメラルドを拾うようなものだ。
「フェルディナント・ベンダール。マリアンヌ・ヴァイザーとの婚約を解消する。新たな婚約者は、シルヴィア・ロイトリンとする。以上を了承するか?」と、ロイトリン公爵は王子に言う。
フェルは静かにそれに了承した。
儀式は続いていく。
「シルヴィア・ロイトリン。フェルディナント・ベンダールとの婚約を了承するか?」
「了承したします」と長い銀色の髪を優雅に流し、シルヴィアの透き通るような声が王座の間に響いた。そして、彼女は私の方を見て、にやりと笑う。
これは彼女の復讐なのだろうか。夏薔薇派から私が選ばれ、王子の婚約者となったのは2年前だった。冬薔薇派から選出されたのは、彼女だった。そして、私との婚約が決まった瞬間、確かに私は彼女に見下した笑みを送った。今度は彼女が、あのときの私と同じように、私に笑顔を送っている。
「以上で、婚約解消の義及び、婚約の義を終了する」とロイトリン公爵は宣言した。
さよらな。私の愛するフェル。私の咲き乱れた恋の花が枯れた瞬間だった。
婚約の解消が終われば、私はもう用済みであろう。どこかの深い森へと私は連れ去られていくのだろう。
「マリアンヌ・ヴァイザーはこの場に残れ」と、ロイトリン公爵は私に呼びかけた。
義を終えた、フェル——いや、フェルディナント殿下とシルヴィア・ロイトリンは退出していく。
今更何を? まさか、この場で? 王座の間を自らの血で穢すことなんて嫌だ。
王座の間の扉が閉まった音がした。そして、ロイトリン公爵は口を開いた。
「お前を、殿下の召使いとして働くことを命じる」
私はその言葉に驚き、思わずロイトリン公爵を見上げた。侯爵令嬢として育った私が、召使いなど出来るはずもない。
「不服か?」とロイトリン公爵は言う。
「拝命致します」と私は頭を垂れた。
「陛下もそれでよろしいですかな。王子の教育係として、元婚約者と突然引き離すと、殿下の情操教育に影響が出ると判断致しました」
ロイトリン公爵は、「王子の教育係」を強調した。フェルディナント殿下は、もう自分の父母と自由に会う機会を奪われているのだろう。
王妃様の膝に涙が落ちた。私のことを本当の娘のように可愛がって下さったお義母様。いつも柔やかな笑みを浮かべていらしたのに……。心なしか瘠せられたようだ。
「では、以上だ。マリアンヌ・ヴァイザーは、明日より、我が屋敷にて働く用意をしろ」
言葉が上手く飲み込めなかった。殿下と引き離さない、というのはパンドラの箱に残った希望のようだった。しかし、ロイトリン公爵の屋敷で働くというのは——。
「殿下は、我が屋敷で成人となるまでお過ごしになられるのだ」とロイトリンは、私の困惑した姿を見て補足した。
つまり、フェルも人質なのだろう。