滝野川橋
「テクノポップスって、言うんでしょ」
滝野川橋まで来た時、横を通り過ぎた車から大音量で流れていた音楽を聴いてその人は言った。「和伸君の部屋でいつも流れているから、おばさん覚えちゃった」。
化粧気のない唇の端を器用に曲げた得意気な表情に僕は耐え切れなくなり、持っていたコンビニの袋を川に向かって投げ捨てた。川面には今日一日分の役目を終えた太陽が細切れになってオレンジ色に光っていた。僕はそれを見ながら、心の中で呟いた。世界なんて、みんな細切れになってしまえ。
分かっている。もう四年も経つのだ。母がいなくなったことを悲しんでいても何も前に進まない。分かっている。あのコンビニの店長の言う通りだ。消しゴムとポテトチップス。計百八十八円。それだけでも、万引きは犯罪だ。親に連絡するのも当然のことだ。そして、それよりも大事なことを僕はそろそろ分かるべきなのだ。でも、一体どうすれば…。
「そう言えば今日、テスト返される日だったよね」
その人は唐突に切り出して、返答を待たずに僕の鞄から答案用紙を引っ張り出した。
「何すんだよっ」
僕の手を押しのけ、その人は答案用紙を広げて生物五十五点、世界史三十二点、と声に出した後、それらを丸めて川に投げ捨てた。
「いいじゃない。前に進むには捨てるのが一番。前がどっちか分からなくなったら、おばさんがこっち、って手を振ってあげる。死ぬまで。私、和伸君のお母さんには何も勝てないかも知れないけど、前がどっちかくらいは分かるから」
その人の乾いた唇は少し震えていた。たまには口紅でも差せばいいのに、と思った。
「どうでもいいけど、テクノポップを複数形にするのはやめてよお母さん、ポテトチップスじゃないんだから」
いつしか橋の下には藍色の空が流れていた。
「…。えっ、今私のこと…。ねぇ、もう一回言って」