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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
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鷲鷹建設

 純喫茶JINのマスターのカレーライスを貪るように腹に入れた俺は、草食動物のようにゆっくりと咀嚼して食べている坂本弁護士と土方ひじかた歳子さいこさんをジッと見ているのも悪いと思い、席を立ってフロアに行き、カウンターに座った。

「ご馳走さん、マスター。相変わらず、天下一品のカレーだね」

 お世辞ではなくそう言ったのだが、無愛想が具現化したようなマスターはチラッと俺を見ただけで何も言わない。この店に来る客がどれほどいるのか知らないが、誰一人マスターの態度に腹を立てる奴を見た事はない。カレーもそうだが、本業のコーヒーも絶品なのだ。あれを飲んで、マスターの無愛想ぶりを非難できる豪傑はいないだろう。

「私は愛想を売っている訳ではない」

 以前、マスターはどこかのハンバーガーショップの経営者が聞いたら激怒しそうな事を言った事がある。俺が、

「どうしてそんなに愛想がないんですか?」

 そんな不躾な質問をぶつけた時だ。なるほどと思ったが、商売をしている以上、それは必ずしも得策ではないとも思った。だが、店は繁盛しているようなので俺の心配は余計なお世話だった。本来は夕方の五時で看板なのだが、俺は構わずに立ち寄っていた。マスターは別に閉店だとも言わず、奥の部屋が空いているかどうかだけ教えてくれるのだ。気に入られたと勝手に解釈し、その好意に大いに甘えさせてもらっている。それに人探しの時など相談すると的確な答えをしてくれるので、かなりありがたい存在でもある。

「お、ありがとうございます」

 回想に耽っているうちに目の前に鼻孔をくすぐるコーヒーの入ったカップが置かれていた。

「今度出す新しいブレンドだ。試飲してくれ」

 マスターは背を向けたままで言った。無愛想というより、人見知りなのだろうか? だが、俺は相当な回数ここに来ているのだから、顔を見て話すのが怖いとか嫌だという事もないだろう。やっぱり変わった人だ。

「冷めないうちに飲んでくれ」

 俺がカップを見たままでいるとそう言い添えてきた。苦笑いしてカップを口元に運び、かぐわしい香りを楽しみながら一口飲んだ。苦味の中にほのかに酸味があり、甘味もごく僅か感じられる。絶妙な配合だ。

「うまいよ、マスター」

「うまいのはわかっている。他に感想は?」

 マスターはムッとした顔で俺を見た。その迫力のある目に一瞬ギクッとしてしまった。この人、喫茶店を始める前は何をしていたんだろう?

「ああ、いや、苦味と酸味と甘味のバランスが抜群だね。このコーヒーを出すのなら、今度から俺の『いつもの』はこれに変更するよ」

 マスターの眼力に圧倒されながらも感想を述べた。

「そうか。わかった。手間を取らせたね」

 一瞬微笑んだ気がしたが、また無愛想な顔に戻った。顔の筋肉が形状記憶されているのだろうか? 

「ご馳走様でした」

 そこへありさと坂本弁護士と土方さんが現れた。坂本弁護士は全員分の皿を載せたトレイを抱えている。マスターはチラッと彼女達を見ただけで頷きもせずに俺が飲み終えたカップを下げ、背を向けてしまった。

「あの、おいくらでしょうか?」

 坂本弁護士は明らかにマスターの無愛想ぶりにおかんむりのようだ。ツカツカとマスターの顔が見える位置まで進んでトレイを差し出した。

「それは店のまかないの残りだ。売り物じゃないよ」

 マスターはトレイを受け取り、シンクに皿を置きながら答えた。坂本弁護士はまた顔を赤くしていた。バツが悪いのだろう。

「で、では、お皿は私が洗います!」

 彼女は赤い顔のままでカウンターの中へ回り込もうとフロアを走り出した。

「あんた達は私の個人的なお客さんだ。そんな事はしなくていい。客に食事を出すのは当たり前だし、食器を洗うのも迎えた方の仕事だろ? 違うかね?」

 マスターが初対面の人にそんなに言葉を発するのを俺は初めて見た。ありさも同じなのか、驚いている。坂本弁護士はますますバツが悪いようで、更に顔を赤くしている。土方さんはどうしたらいいのかわからない顔でオロオロしていた。

「それより、ここにありさちゃん以外の女性と来るなんて、何があったんだね、杉下さん?」

 マスターはありさをチラッと見てから俺に視線を移した。ありさを「ありさちゃん」と呼ぶなんて、他には多分一人もいないな。

「マスターから訊いてもらえて、話が早い。坂本先生、話していいね? この人は頼りになるよ」

 俺はやかましい弁護士にまずお伺いを立てた。すると弁護士は肩を竦めて、

「確かに貴方よりは頼りになりそうですね。どうぞ、お話ください。いいですよね、土方さん?」

 依頼人である土方さんに尋ねる。土方さんは我に返って、

「あ、はい、構いません」

 そう言ってぎこちなく微笑んだ。それにしても弁護士先生は相変わらず口が悪い。こんな女が俺に気があるだなんて、ありさもすでに耄碌もうろくしているとしか思えない。俺はマスターを見て口を開いた。マスターは俺の話を黙って聞いていたが、鷲鷹わしたか建設の名前と黒のワゴン車の話になった時、表情を険しくした。

「マスター、鷲鷹建設を知っているんですか?」

 俺は話を終えるとすかさず尋ねた。するとマスターは俺を見て、

「あそこの相談役の兵庫ひょうごは私の小学校時代の同級生だよ」

 思わぬ答えだった。俺は目を見開いた。坂本弁護士も驚いたようだ。

「数年前に同窓会で会った時、息子が良からぬ事を企んでいると嘆いていたが……」

 マスターの話は続いているが、俺には「兵庫」という存在が気にかかった。

「マスター、話の腰を折って申し訳ないが、兵庫っていうのは誰ですか?」

 俺の初心者のような質問にマスターは憤然とした顔になった。

「鷲鷹建設の創業者の名も知らんのか、あんたは?」

 坂本弁護士と同じ目をされる。要するに軽蔑の眼差しという奴だ。

「その創業者の兵庫氏が、息子が良からぬ事を企んでいるとおっしゃったのですか?」

 俺の代わりに坂本弁護士が訊いてくれた。マスターは彼女に目を向け、

「そうだ。兵庫の息子は重蔵じゅうぞうと言って、二代目の社長に就任している。兵庫も強引な経営手法で決して誉められた人間ではなかったが、息子はそれに加えて法律スレスレの荒技も使うらしい」

 自分の畑に近い話になってきたので、坂本弁護士の目が生き生きとしている。

「例えばどんな事でしょうか?」

 彼女は身を乗り出して尋ねた。マスターは皿を洗いながら、

「そこまでは聞いていない。只、自分も奇麗な経営はしていなかったはずの兵庫が心配するのだから、推して知るべし、だね」

「そうですね」

 坂本弁護士は椅子に戻り、腕組みをして考え込んだ。マスターは皿を拭きつつ、

「証拠もないのに下手な事は言えないが、土方さんの元同僚が鷲鷹の社員と会っていた事から考えると、ワゴン車は関係者の仕業と考えて間違いないな」

 俺はマスターの分析力を目の当たりにして、この人は以前警察関係者だったのではないかと思った。坂本弁護士と土方さんは、すっかりマスターを尊敬の眼差しで見ていた。俺を見る目と全然違うのは小学生にもわかるくらい明白だった。

「ワゴン車を運転していた者の顔は見ていないのかね?」

 マスターは弁護士と土方さんを交互に見て尋ねた。ああ、ますます俺の存在意義が失われていきそうだ。

「暗くなっていましたし、他の車のライトが眩しかったので、顔はわかりませんでした」

 坂本弁護士は土方さんと囁き合ってから答えた。マスターは黙って頷き、

「だったら、そちら方面は杉下さんの元同僚達に任せるしかないな。顔認識システムを使えば、すぐにわかるだろう」

 やはりマスターは昔警察関係者だったとしか思えない。まあ、それはこの際どうでもいい事だが。

「でも、鷲鷹建設の警備を請け負っている会社は警察OBで占められているんです。警察は信用できません」

 坂本弁護士の警察アレルギーがまた発症した。マスターは、

「信用する必要はない。利用するのさ。なあ、杉下さん?」

 最後に俺に花を持たせてくれるつもりなのか、そう振ってきた。俺は苦笑いして、

「ええ。それから、俺の知り合いの連中は、警視庁でも鼻摘み者で、むしろ先生が嫌う警察とは一線を画した存在だと思いますよ」

 坂本弁護士に視線を移して言った。それも意図的に顔を近づけて。ありさが言うように彼女が俺に好意を持っているのなら、また顔を赤くするはずだ。

「そ、そうですか」

 坂本弁護士は真っ赤になって俯いてしまった。予想以上の効果に俺の方が引いてしまう。

(本当に俺に気があるのか?)

 美人だがうるさい女なので、彼女の思いがわかって返ってやり辛いと思った。

「な、何ですか?」

 坂本弁護士は俺がまだ見ているのに気づき、赤らんだ顔でムッとしながら睨んできた。あれ?

「じょ、女性の顔をそんなに間近でしつこく見つめるのは、場合によってはセクハラになりますよ、杉下さん」

 そんな事を言い出した。やっぱりありさの勘違いだ。こいつは俺の方が自分に気があると思っている。迷惑な話だが。

「弁護士の先生、杉下さんは女好きそうに見えるが、既婚者だよ。あんたにそんな感情はないと思うよ」

 マスターが見かねたのか、助け舟を出してくれた。あまりフォローになっていない気もするが、まあいいだろう。すると坂本弁護士は、

「ええ!? 杉下さん、結婚しているんですか!?」

 今度は大袈裟に驚いた。情緒不安定なのか、この女は?

「そうそう。一回り以上も年が違う若いとね」

 ありさがニヤニヤしながら言う。その表現は誤解を招くぞ。

「既婚者に見えませんか?」

 俺は苦笑いした。すると坂本弁護士は今度は怒り出した。

「見えませんよ! お調子者には見えますけど!」

「はあ?」

 ちょっとカチンと来てしまったが、ここは我慢だ。

「さっきの話の続きですが、昼間は俺が土方さんのガードをして、夜は加藤が土方さんのアパートに泊まる、という方法でいいですか?」

 俺は弁護士を見ずに土方さんを見た。土方さんはムッとしたままの坂本弁護士をチラッと見てから、

「ええと、その……」

 返事に困っている様子なので、

「貴女の事です。貴女が決断していいんですよ」

 弁護士の割り込みを防ぐために言い添えた。弁護士の表情が更に険しくなったが、構わない。こいつが同意しないのであれば、土方さんと直接交渉だ。感情の起伏の激し過ぎる女は仕事の邪魔にしかならない。

「私はその、坂本先生のご意見をお聞きしたいのですが……」

 土方さんはこっちが脱力してしてしまうような事を言い出した。先が思い遣られるぞ。

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