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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
見えざる狙撃手
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混乱その弐

 俺は何の収穫も得られなかった元同僚の加藤と一緒に純喫茶JINを出た。それもマスターに言われてだ。何故なのか質問しようと思ったが、マスターは首を横に振り、俺を追い立てるように店から出してしまった。

「後で連絡する」

 小声でそれだけ告げると、マスターは店に戻ってしまった。どういう事なのかわからない俺は呆然としてしまったが、

「おい、杉下、どうするんだ?」

 加藤に強い調子で言われ、ハッとして奴を見る。

「いや、事務所に戻るよ。悪かったな」

 俺は苦笑いして加藤に詫びた。

「何だよ」

 加藤は怪訝そうな顔で路地を鑑識課の連中と歩いて行った。マスターが何の目的で俺を追い出したのか何となくわかった。まだ何かあると思っているのだ。他の誰かがそう思ったのであれば、一笑に付すところだが、人生経験豊富で、裏社会にも通じているマスターが相手だと、そう決めつける事はできない。

(ここからあまり遠くに行かない方がよさそうだな)

 そう判断し、事務所があるビルに戻る事にした。よもや、芹沢と新見さんがどこかで監視している事もないだろうと思ったが、それさえ疑ってかからなければならない。何が正解かわからない事件だからだ。狙撃犯が狙っているかも知れないと思うと、何となく建物の壁伝いに歩いてしまう。だが、手動装填ボルトアクションの音は聞こえていないので、そこまで警戒する必要はないだろう。さっき店の前で狙われたのも、俺ではなく依頼人の斉藤真琴さんだ。そんな考え方は彼女に失礼だが、俺が狙われる理由はない。心に強く言い聞かせ、道を堂々と歩き、事務所を目指した。


 もうすぐビルの正面玄関に着く頃になって、マスターから電話が入った。

「今どこだ?」

 マスターの声は小さかった。大通りの喧噪けんそうにかき消されてしまいそうだ。

「今、事務所があるビルの前だよ」

「そうか、ちょうど好かった。加藤君はまだその辺にいるか?」

 マスターに尋ねられ、俺は周囲を見渡した。加藤は今まさに警察車両に乗り込もうとしているところだった。俺は慌てて手を振り、加藤を呼んだ。加藤はムッとした顔で運転する刑事に何か言うと、肩を怒らせて大股で近づいて来た。

「何だよ!?」

 俺は携帯を突き出した。キョトンとする加藤に、

「マスターが話があるそうだ」

「俺に?」

 加藤は首を傾げながら、携帯を手にすると、通話を開始した。マスターが何かを加藤に話している。加藤は只返事をするだけで、質問を返したりしない。マスターが加藤に何か指示をしているようだ。

「おい」

 加藤は携帯を俺に突き返して、マスターからの指示を教えてくれた。それを聞き、俺は目を見開いた。

「応援を呼ぶ。お前は見つからないようにどこかに身を潜めていてくれ」

 加藤は再び警察車両に近づくと、中から無線機を取り出し、指示を出している。それにしても、さすがマスターだ。そこに気がつくとはな。ますます、マスターの前職が気になって来た。探ろうとすると、消されそうで怖いが。俺はもう一度周囲を見回してから、ビルの正面玄関を入り、ロビーを抜けて、エレベーターホールの柱の陰に隠れた。マスターの読み通りだとすると、必ず狙撃犯が現れるはずだ。ロビーのガラス窓の向こうで加藤達が動くのが見える。裏口へ向かったようだ。それと入れ替わるように、芹沢と新見さんが周囲を見ながらロビーに入って来た。新見さんはゴルフバッグのような縦長のバッグを持っている。何が入っているんだ? まさか? すぐにその中身に思い当たった。やはり、犯人はあの二人だったんだ。マスターはそれに気づき、二人が動くのを見越しているのだ。凄過ぎだな。今回も美味しいところを持って行かれた気がする。まあ、そんな事はどうでもいいんだが。

 芹沢と新見はそのままロビーを奥へと歩いて行く。マスターが教えてくれた地下通路の入口に向かうつもりだ。マスター達はJINの方からこちらに向かっている途中のはず。恐らく、一緒に行動している斉藤さんと坂本先生は勿論の事、璃里さんにすら、目的を明かしていないだろう。大胆な罠だが、そうするしかない。危険はあるが、マスターはその辺りも折り込みずみだろう。

(さて、俺も行動に移るか)

 俺は芹沢と新見が地下通路への階段を下りた頃を見計らって、ロビーの奥へと進んだ。いきなり戻って来たりすると困るので、最警戒をしながら歩く。その時、裏手へと走って行く機動隊の姿をガラス越しに見かけた。さすがに手配が早い。俺は歩調を速めた。地下通路への階段があるのは、防火壁の向こうだ。壁に備えつけられた扉を押し開き、先へと進む。二人はすでに階段を降り切ったらしく、銃声が聞こえた。俺は焦った。マスター達に身に何かがあったのかも知れない。すぐに階段を駆け下り切ると、目の前にある開け放たれた鉄の扉の向こうにライフルを構えた新見とその後ろに立つ芹沢の姿が見えた。その更に向こうにマスター、そしてその後ろに璃里さん、坂本先生、斉藤さんの姿も見えた。

(おいおい、思った以上にヤバい状況じゃないか?)

 俺は一瞬怯みそうになったが、作戦通りに動く事にした。

「君達は完全に包囲されている。武器を捨てて投降しなさい」

 芹沢と新見は仰天して振り返った。後ろから誰かが現れるとは思っていなかったのだろう。地下通路は音が反響するので、俺の声だとは気づかなかったみたいだ。振り返ったら俺がいたので、更に驚いたようだ。

「どうしてお前が!」

 新見がライフルを構えた。この距離でそんなもので狙うつもりか? まあ、こんな事になるなんて想定していないだろうから、拳銃は用意していなかったか、そもそも銃はライフルしか持っていなかったのだろう。だが、斉藤さんを狙撃したあの腕前から察するに、舐めてかかれないのは確かだ。俺はどう動こうかと思案した。その時だった。

「うわ!」

 芹沢と新見の立っている両側の壁にある扉が開き、機動隊が雪崩を打って飛びかかった。芹沢と新見は抵抗する間もなく、屈強な機動隊員達に取り押さえられてしまった。

「怖かった!」

 斉藤さんと坂本先生がマスターに抱きついたので、マスターは目を見開き、救いを求めるように俺を見た。だが、俺は肩を竦めただけで、何もしなかった。むしろ、ちょっとだけ羨ましかったのは、妻の樹里には絶対に内緒だ。勿論、義理のお姉さんである璃里さんにも。

「芹沢翔、新見つかさ、殺人未遂の現行犯で逮捕する!」

 一番後から出て来た加藤が偉そうに言って、二人に手錠をかけた。二人はまだ何がどうしたのかわかっていないらしく、口をポカンと開けたままで連行された。加藤は機動隊と共に地下通路をビル方面へと歩いて行く。俺はマスター達と共にJINへと戻った。


 店に着き、マスターがコーヒーを淹れてくれ、種明かしをしてくれた。

「あの二人があっさり引き下がったのを見て、盗聴器がもう一つあるのが推測できた。だから、杉下さんに外に行ってもらって、退路を断つ役目をになってもらった訳だ」

 マスターが言うと、坂本先生がプウッとほっぺを膨らませて、

「酷いです。何も教えてくれないから、もうおしまいだと思いましたよ!」

「すまん、すまん。教えたら、余計怖くて顔に出てしまうだろうと思ったから、内緒にしていたんだよ」

 マスターは坂本先生と斉藤さんにカップを渡しながら苦笑いした。

「おじいちゃん、ホントに怖かったんだからね!」

 斉藤さんは一口コーヒーを飲んでから、ムッとした顔でマスターに抗議した。俺はその時、何が盗聴器なのか思い当たったが、

「斉藤さん、ポケットにしまった販促品のボールペン、それがもう一つの盗聴器だと思いますよ」

 璃里さんが先に指摘してくれた。斉藤さんはギョッとしてスタジアムジャンパーのポケットからボールペンを取り出した。マスターが寄越すように催促したので、斉藤さんはそれをマスターに放った。マスターはボールペンを受け取ると、テスターにかけた。

「やはりな。これが盗聴器だ」

 今度は俺に差し出した。俺はボールペンのインクを取り出した。するとそれはインクではなく、小さな機械なのがわかった。

「一件落着だな」

 俺はその機械をバキッとへし折って言った。するとマスターは目を細めて、

「いや、まだ終わっていない。ドアのガラスを弁償させる奴がいる」

 その言葉に俺と璃里さんは思わず顔を見合わせた。

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