表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
見えざる狙撃手
34/36

混乱

 鑑識課の皆さんの仕事が終わると、加藤さんが店の中に入って来て、事情聴取を開始した。依頼人の斉藤真琴さんは、加藤さんに犯人の心当たりを聞かれ、ウンザリした顔で答えていた。加藤さんは斉藤さんの話を聞き、かなりがっかりした顔になっている。仕方がない。斉藤さんには思い当たる事がないのだから、誰が尋ねようと同じ答えしか帰って来ない。今回に限って言えば、前回の時のように坂本さかもと龍子りょうこ弁護士が斉藤さんの言動を止めたりする事もなかったので、加藤さんにしてみれば、憤懣やる方ない結果だろう。

「これじゃあ、平井にどやされる」

 加藤さんが小声でそう言ったのを私は聞き取った。平井と言うのは、平井蘭警部の事。左京さんとも、そして現在探偵事務所を休職中のありささんとも同期で、もちろん、加藤さんとも同期なのだが、左京さんも加藤さんも蘭さんを酷く恐れているらしい。階級も同じなのに妙に卑屈なのは、そんな事情があるのだ。確かに蘭さんはその目がまさに猛禽類のような目で、こちらが萎縮してしまう鋭さがある。私も最初は蘭さんが怖かったけど、今はそうでもない。むしろ、蘭さんは私が警察庁のキャリアだったのを知っているので、逆に私を恐れているような気がする。キャリアだったとは言え、在籍したのは三年余りだから、そんなに気にされても困ってしまう。

 本来であれば、被害者である斉藤さんも警視庁に行くべきなのだろうが、狙撃犯がどこから狙っているのかわからなくなったので、しばらく動かない事になった。そこで、左京さんが蘭さんに直接事情を説明するために加藤さんと警視庁に行く事になった。

「お前、蘭の使いっ走りにされてるのか?」

 左京さんにそう言われても、加藤さんは敢えて否定しなかった。その通りだと自分でも思っているのだろうか?

「では、行ってきます」

 相変わらず顔を見て話してくれない左京さんに後の事を託された私は、純喫茶JINのマスターと坂本先生を交え、これからどうするか話し合う事にした。

「奴らの容疑が晴れた訳ではないが、これで真琴ちゃんがどう動くのかはわからなくなったはずだ。ビルの屋上から監視しているとしても、表から出なければ大丈夫だろう」

 マスターはここにいても何の解決にもならないから、移動すべきだと主張した。私もそれに賛成した。

「でも……」

 実際、狙撃された当人である斉藤さんとそれを間近で見た坂本先生の考えは違っていた。

「絶対に大丈夫って訳じゃないですよね?」

 斉藤さんは震えながら言った。それに対して、

「二人が狙撃犯と繋がっているのだとしたら、二カ所から監視できますよね? だとしたら、どこを通って行っても、見つかる可能性は否定できないと思います」

 先生は法律家らしい論理的な意見を述べた。するとマスターはニヤリとして、

「心配要らない。この店には地下があって、探偵事務所があるビルの地下と通路で繋がっている。そこを通れば、狙撃される事はないだろう」

 その話は私も初耳だった。多分、左京さんも知らないだろう。坂本先生と斉藤さんは目を見開いてマスターを見た。マスターは得意そうな顔で、

「これは誰にも教えた事はない。だから、狙撃犯がその通路を知る術はない。絶対に安全だよ」

 坂本先生はパッと嬉しそうな顔になり、斉藤さんを見た。斉藤さんもまだ震えが止まってはいないが、少しだけ笑みを浮かべて応じている。

「ビルの前の大通りは舗道も含めて人や車の行き来が多い。さすがに狙撃犯も狙えないだろう。警察の車両に警護してもらって、所轄か警視庁に行くのは難しい事ではないと思うよ」

 マスターが太鼓判を押したので、坂本先生も斉藤さんも地下通路を通ってビルに移動する事を決断した。私もまず何も起きないだろうと考えた。

「それでも、警戒するに越した事はないから、これを持っていくといい」

 マスターが渡してくれたのは、痴漢撃退用の携帯警報器だった。これを地下通路で使ったりしたら、こちらも大ダメージを受ける気がしたが、使う可能性は限りなくゼロに近いので、お守り代わりに斉藤さんと坂本先生に持ってもらった。

「私も同行しようか?」

 誰かと携帯電話で話していたマスターが通話を終えて言ってくれた。

「うん、一緒に来て、おじいちゃん」

 斉藤さんが目をウルウルさせて言ったので、マスターは心なしか顔を赤らめ、

「わかった」

 照れ臭そうに応じていた。坂本先生もホッとした顔になっていた。恐らく何もないだろうが、女三人で地下通路を歩くのははっきり言って私も心許なかった。マスターは表のドアを施錠し、窓の鍵を全部かけてから、厨房の奥にあるドアの前に私達を案内してくれた。そこを開くと、螺旋階段があり、降り切ったところに更に扉があった。

「この扉の向こうが隠し通路だ」

 重そうな鉄製の扉をマスターが押し開きながら告げる。私は思わず斉藤さんと坂本先生を見た。二人も私を見ていた。想定外だったのは、通路に明かりが点いていた事だった。そのお陰で、随分気が楽になった。

「どうしてこんな通路があるんですか?」

 歩きながら、坂本先生が尋ねた。すると一番前を歩くマスターは前を向いたままで、

「私が借りているビルと探偵事務所があるビルのオーナーは同じ人なんだよ。利便性を考えて地下通路を造らせたらしいんだが、使う機会がなかったというのが真相のようだ」

 確かに通路を進むと、左右に錆ついた扉がいくつも並んでいるのが見えた。各フロアからここに降りて来られる仕組みになっているのだ。だが、実際にこの通路の存在を知っているのは、テナントで入っている人の中ではマスターだけだと言う。

「寒いですね」

 坂本先生が息が白くなるのを見て呟いた。斉藤さんはショートパンツなので、余計寒そうだ。

「おじいちゃん、まだあ?」

 彼女はマスターの背中に抱きついて尋ねた。マスターは前を向いているのでどんな表情なのかわからないが、きっと焦っていたと思う。

「あ、ああ、もう少しだよ。真琴ちゃん、年寄りには刺激が強過ぎるから、抱きつくのはやめてくれんか」

 私は坂本先生と顔を見合わせてしまった。斉藤さんは巨乳だから、マスターはドキドキしているのだろう。

「よし、到着だ……」

 そこまで言ったマスターが不意に立ち止まり、私達に目配せした。え? どういう事かしら?

「妙だ。風が吹いている」

 マスターの表情とその言葉で、私は何が起こっているのか理解した。探偵事務所があるビルの方の扉が開いていて、空気が通り抜けているという事だ。つまり……。

「危ない!」

 マスターが斉藤さんを通路に伏せさせた。私もすぐに坂本先生と共に通路に伏せた。次の瞬間、パンパンという破裂音が通路に木霊こだました。銃声? 何故?

「全く、余計な詮索をしなければ、死ぬのはその能天気な女だけですんだのにね」

 そう言いながら、スコープが付けられたライフルを構えて通路の反対側に現れたのは、斉藤さんの恋人である芹沢翔の姉と名乗った新見つかささんだった。狙撃犯は新見さん? いや、さんなど付けなくていいだろう。

「ホントだよ。バカな人達だよ」

 新見の後ろから、芹沢も姿を見せた。二人共獲物を見つけたハンターのようにニヤついている。何がどういう事なのか、私には理解ができない。

「どうしてここが……?」

 二人が仕掛けたと思われる盗聴器はマスターが分解してくれたというのに……。しかも、この通路があるのを知っているのは、オーナーとマスターだけのはずなのに、どうしてこの二人が通路にいるの?

「教えてあげてもいいんだけど、もうすぐ死んじゃうあんた達が知っても、何も意味ないでしょ?」

 新見はそう言うと、けたたましく笑い出した。斉藤さんがまた震え出した。坂本先生も斉藤さんを気遣ってはいるが、自分も震えている。

「そう、そうだったのね? あの時、あそこでお姉さんとぶつかったのが……」

 斉藤さんは何かを思い出したようだ。新見は鋭い目で私達を睨み、

「失敗したよ。あんたは本当に何も見てなかったんだからね。骨折り損のくたびれ儲けだよ」

 するとマスターが私達を庇うように立ち、

「そうか。お前が首相を狙撃したんだな? それを真琴ちゃんに見られたと思い、狙っていたという事か」

 新見はフッと笑い、

「そうさ。目撃者は消さないといけないからね」

 絶体絶命。それが今の私達の状況を表現する一番的確な言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ