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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
見えざる狙撃手
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狙撃手の影

 俺は携帯電話を革ジャンのポケットにねじ込み、ジッとこちらを見ているマスターに顔を向けた。

「狙撃されたのは首相で、公安が動いているそうです。それから、その事実はメディアには一切公表されていません」

 俺の推測では、マスターはかつて警察庁か公安調査庁にいたはず。だから、その手の展開はよく知っていると思われた。だから、全然驚いた様子はない。

「じゃあ、真琴は首相を狙撃した犯人を目撃しているかも知れないという事ですか?」

 坂本弁護士はせわしなく楕円形の黒縁眼鏡を右手の人差し指で上げながら言った。俺は彼女を見て、

「恐らくそうでしょうね」

 坂本先生は目を見開いて依頼人である斎藤真琴さんを見た。斉藤さんもさすがにガタガタ震え出している。

「何でよ……。私、本当に何も見ていないよ……。どうして狙われるの?」

 斉藤さんは涙ぐんで坂本先生に詰め寄った。坂本先生は斉藤さんの両肩を掴んで、

「貴女は見ていないつもりでも、相手はそうは思っていないの! 思い出して! 何を見たのか」

 顔をグッと近づけて問い質した。しかし、斉藤さんは首を横に振り、

「見てないよ! そんな人見ていたら、忘れる訳ないじゃん! 私、そこまでバカじゃないよ」

 彼女は嘘を吐いているとは思えない。そして、忘れてしまったとも思えない。残された可能性は、犯人の思い違い、あるいは確かに見たのだが、それとは気づかないような状況だったというもの。いずれにしても、こちらが五里霧中状態なのは同じだ。坂本先生はフウッと溜息を吐き、

「わかったわ。決して貴女を疑っている訳ではないのよ。貴女の事が心配なの」

「うん……。それはわかってる……。だから、私も思い出したいんだけど、そんな人、見ていないのよ……」

 斉藤さんは涙を手の甲で拭いながら応じた。俺は璃里さんが言っていた事を思い出し、もう一度マスターを見る。

「マスター、警察庁の板倉信康という人、知ってるか?」

 ほんの一瞬だが、マスターの顔が険しくなった。どうやら知っているらしい。そして、触れられたくない話のようだ。

「いや。その男がどうかしたのか?」

 マスターはそれ以上訊くなという顔で俺を見た。俺は苦笑いして、

「いや、何かあった訳じゃないんだが、璃里さんが、俺がここにいる事を教えて、ここに連絡するように言ったら、動揺していたみたいだと言っていたので、知り合いかな、と思ったんだよ」

 するとマスターはクルッと背を向けて、

「そうか。覚えておくよ」

 新しい豆をミルで挽き始めた。そして、

「私も店のガラスを割られた被害者だからな。警察庁が何かを知っているのなら、全部教えてもらいたいものだ」

 その声は今まで聞いた事がないような低くくて迫力のある声だった。マスターはちょっと怒っているのだろうか? まずいな。

「杉下さん、あんたが心配する事はない。私が怒っているのは警察庁に対してだからな」

 マスターは俺の心を見透かすかのようにそう言ってくれた。

「あ、そうなんだ」

 俺はホッとして応じた。そして、ふと疑問点を思い出し、斉藤さんを見た。

「ちょっといいですか?」

「はい?」

 坂本先生に慰められていた斉藤さんは充血した目で俺を見た。俺は彼女を見たままで、

「芹沢さんから何かもらったものを身に着けたり、持ち歩いたりしていませんか?」

 坂本先生は俺が何を知りたいのか気づいたらしく、斉藤さんを見た。だが、斉藤さんはポカンとした顔で、

「え? もらったもの、ですか?」

 首を傾げて考え始めた。マスターも俺の質問の理由を理解したらしく、豆を挽く手を休めてこちらを見ている。

「そうです。何でもいいんですが」

 俺は斉藤さんの思考を促すように頷いてみせた。斉藤さんは怪訝そうな顔のまま、再び過去を思い出そうとした。しばらく沈黙が続き、マスターが新しく淹れてくれたコーヒーの香りが店全体に広がった頃、ようやく斉藤さんが目を上げた。

「そう言えば、出張先で買って来たって、お守りをもらいました」

 彼女はバッグの中から名刺大の神社のお札のようなものを取り出した。厚みはそれ程ないが、見るからに怪しいものだ。

「ちょっと拝見」

 俺はそれを斉藤さんから受け取り、感触を確かめた。中に何かが入っているような感じがする。

「貸してくれ」

 マスターがカウンターの向こうから右手を延ばした。俺はお札をマスターに渡した。マスターはそれの重さを確認するように右手を上下させた。そして、スッとカウンターの下に潜ると、電流を計るテスターのようなものを取り出し、それに繋がっている棒状のものをお札に当てた。その途端、テスターモドキからザザザッと音がした。

「発信機だ。間違いない。真琴ちゃんは彼氏に盗聴されている」

 マスターの言葉に斉藤さんは目を見開いた。やはり、あの芹沢という男、狙撃犯と何か繋がりがあるのか? 斉藤さんが発信機を付けられたお札を持っているのであれば、後をつけなくても、彼女がどこにいるのか把握できる。マスターはお札を破って中から小さな機械を取り出した。

「発信機も許せんが、このお札も真っ赤な偽物で、ご利益なんかないぞ」

 マスターは憤然として破ったお札モドキをカウンターの中のゴミ箱に叩き込んだ。そして、発信機の中身を分解し、機能を破壊した。

「ここから先は警察の領分だな」

 俺はポケットから携帯を取り出すと、元同僚の平井蘭に連絡を取った。坂本先生は相変わらずの「警察アレルギー」らしく、ムッとした顔で俺を見ているが、さすがに反対はできないようだ。

「何、左京?」

 蘭の声は不機嫌そのものだった。俺は苦笑いして、

「最近、警視庁管内で立て続けに起こっている狙撃事件の重要参考人を知っているんだが、聞く気あるか?」

 すると蘭は、

「それ、本当なの!?」

 大声で尋ね返して来た。俺は携帯を思わず耳から放して、

「本当だよ。ついさっき、JINの店先で狙撃されたんだ」

「何ですって!?」

 更に大声が帰って来たので、俺はマスターと顔を見合わせた。

「狙われたのは誰なの?」

 蘭が食い気味に質問して来る。俺はまた苦笑いして、

「お前の嫌いな坂本先生の親友だよ」

「ええ!?」

 鼓膜が破れたら、治療費を捜査一課に請求しようかと思うくらい、蘭の声は耳に響いた。

「そこから動かないで! すぐに加藤君が行くから!」

 俺は蘭に璃里さんと合流して来るように頼んだ。蘭も璃里さんにはあれこれ世話になっているし、彼女が警察庁の元キャリアだと知っているので、拒否はされなかった。そう言えば、ありさだけじゃなくて、蘭も妊娠しているんだっけ。だから加藤が来るのか。あいつ、すっかり蘭の手下扱いだな。

 蘭との通話を終えると、すぐに璃里さんに連絡し、加藤が迎えに行くので、一緒にJINに来て欲しい旨を伝えた。

「もう、左京さん、酷いです」

 携帯を革ジャンのポケットに戻した時、坂本先生が口を尖らせて言った。俺は何の事だろうを思い、彼女を見て、

「はあ?」

「平井警部にあんな事を言わなくてもいいじゃないですか!」

 どうやら、坂本先生は「お前の嫌いな」と言った事に不満があるようだ。

「じゃあ、大好きなって言った方がよかったですか?」

 俺はニヤリとして訊いた。坂本先生は顔を赤らめて、

「それはもっと嫌です!」

 更に口を尖らせた。俺はマスターと顔を見合わせて笑った。そして、自分の彼氏が犯人の関係者かも知れないとわかり、固まってしまっている斉藤さんを慰め、マスターが淹れてくれたコーヒーのカップを手渡した。

「翔君、酷い……」

 斉藤さんはまた泣き出してしまった。坂本先生は尖らせていた口を元に戻し、斉藤さんを慰めた。

 さて、芹沢の奴、どう出て来るかな? 斉藤さんには申し訳ないが、少しだけ楽しみになって来た。

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