表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
見えざる狙撃手
30/36

ある狙撃事件

 左京さんを送り出してから、私はバッグから携帯を取り出し、かつての同僚にもう一度電話した。母の落とし物の件で、裏技に協力してもらった警察庁の同期の男性だ。在籍中、何かと私を気遣ってくれたのだが、女子の同期の話では、下心があるとの事。私も中学生ではないので、それくらいは予想していたから、さして気にはならなかった。むしろ、ちょっとだけ嬉しかったのかも知れない。何しろ、大学を飛び級で卒業したため、同期と言っても年上ばかりで、付き合いにくくて困っていた時だったのだ。彼だけは私を奇異な目で見ないで、極普通に接してくれていたから。

「警察庁始まって以来の天才だよ」

 直属の上司にそう紹介され、同期ばかりでなく、先輩達にも厳しい目で見られていた私は、職場で孤立しかけていた。そんな相談を占い師の母にしても、

「今年はあんたは運気が悪いから、我慢の年だよ」

 そういった答えしか帰って来なかった。アメリカに単身渡って宇宙開発の仕事をしている父に電話で相談しても、

「そうなのかね」

  そんな応じ方しかしてくれない。妹の樹里の口癖の「そうなんですか」は父からの遺伝だとその時確信した。そんな境遇だったから、尚の事、その同期の男性が私にとっては気持ちが安らぐ存在となった。彼の名は、板倉信康。戦国時代の武将にいそうな名前だが、ご先祖様は武士ではないそうだ。

「やあ、璃里ちゃん。今日は嬉しいな。一日に二度も璃里ちゃんから連絡が入るなんてさ」

 板倉さんはテンションが上がっているようだ。当時、同じ部署の人達には、ちょっとしたマスコットキャラと化していたので、皆「璃里ちゃん」と呼んでいた。だから、今更やめてくださいとは言えない。私は苦笑いして、

「お仕事中何度も申し訳ありません。実はちょっと調べていただきたい事があるんです」

 時間がないので、単刀直入に告げた。すると板倉さんは声を低くして、

「璃里ちゃんが働いている探偵事務所絡みであった事件かな?」

 いきなりそこまで言われたので、ちょっとびっくりしてしまった。だが、冷静に考えてみると、左京さんは狙撃があった事を近くの交番の巡査に話している。巡査は当然の事ながら、所轄に報告したろう。そして、一連の狙撃事件を捜査していると思われる警視庁捜査一課にそれは伝えられたはず。板倉さんの所属部署は警察庁刑事局だから、知ろうと思えばいつでも知る事ができる立場にある。しかし、それを勘案しても、早過ぎる反応だと思った。

「何故それを知っているんですか?」

 疑問に思ったので尋ねてみた。すると板倉さんは笑ったようだ。少し間があって、

「実はね、ある大物政治家が狙撃される事件があって、犯行声明が警察庁に送られて来たんだ」

「え?」

 政治家が狙われ、犯行声明が警察庁に送られたとなると、公安部が動いているのか? 日本の警察本部で、公安部があるのは警視庁だけ。他の道府県警察本部では、警備部がそれと同じ役割を果たしている。首都警察である警視庁は、過激派などに対する対策が他府県より手厚くされているという事だ。

「公安部が動いているのですか?」

 私はカマをかけるつもりではなかったが、そう言ってみた。すると板倉さんは、

「そうだよ。さすが璃里ちゃんだね。犯行声明は公開されていないし、政治家の狙撃自体メディアに伝えていない。完全に秘匿事項として公安が受け持っている」

「狙撃されたのは、閣僚級、あるいは首相ですね?」

 今度は完全にカマだったが、板倉さんは気にした様子もなく、

「そうだよ。璃里ちゃんだから言っちゃうけど、首相が狙撃されたんだ」

 板倉さん、今は一介の主婦でしかない私にそこまで話してしまっていいんですか、と問い質したくなった。

「で、探偵事務所のクライアントは一体どこの誰なのかな?」

 板倉さんのその質問で、何故情報を教えてくれたのか、理解できた。ギブアンドテイクという事なのだ。私は一瞬迷った。所長である左京さんが話すのならともかく、依頼人に確認もせずに伝える事はできない。

「それは私の立場ではちょっと……」

 はっきり拒絶するのではなく、言葉を濁した。すると板倉さんは、

「あれあれ? こちらの情報はすっかり聞いておいて、それはないんじゃない、璃里ちゃん?」

 思い過ごしかも知れないが、その口調は非難めいて聞こえた。事件の事だけではなく、狙撃された斎藤真琴さんが当事務所の依頼人である事も突き止めているとなると、本当は全部知っているのかも知れない。そこで、私は一つの賭けに出た。

「所長の杉下左京は純喫茶JINにいますので、そちらに連絡してください。そうすれば、回答が得られると思います」

 すると効果は覿面てきめんだった。

「え? そこにいるのかい、所長さんは?」

 電話越しであるにも関わらず、板倉さんの動揺ぶりが伝わって来た。以前、左京さんに、

「JINのマスターは、昔、警察庁か公安調査庁にいたと思われるんですよね」

 そう聞いた事があったのだ。確かにマスターの情報網や、時々見せる鋭い眼光はその手の類いの仕事をこなして来た人達特有のものに見えた。短い期間ではあったけど、警察庁に身を置いていた私には何となくわかったのだ。

「あら、JINをご存知なんですか?」

 私はとぼけて言った。板倉さんはJINに行った事はないだろうが、マスターの事は知っているのではないかと思えた。

「いや、行った事はないよ。コーヒーがうまいので、有名な店だよね。一度は行きたいと思っているんだ」

 板倉さんは子供でもわかるような嘘を吐いた。でも、敢えて追及はしなかった。

「ああ、すまない、璃里ちゃん。仕事に戻らないといけないんだ。切るね」

 板倉さんはそれ以上私に突っ込まれたくないのか、逃げるように通話を終えてしまった。改めて、マスターの底知れない凄さを感じた。私はクスッと笑い、左京さんに電話をかけた。

「はい」

 左京さんはワンコールで出てくれた。

「警察庁の元同僚に確認しました。いろいろわかりましたよ」

 すると左京さんは、

「ありがとうございます。今、マスターにも頼み事をしたところです。これから戻りますね」

「はい」

 私は通話を終えると今度は紅茶の用意を始めた。お湯が沸いた時、携帯が鳴った。左京さんからだった。

「はい、璃里です」

 私はにこやかな顔で出たのだが、

「たった今、斉藤さんがJINのドアの前で狙撃されました」

 衝撃の答えが返って来た。思わず携帯を持つ手が汗ばんだ。え? どういう事? 狙撃犯が後をつけていたというの? ちょっと考えられない。左京さんの話だと、JINに行くのに回り道をしたそうで、容疑濃厚だった斉藤さんの恋人の芹沢せりざわしょうさんにはどこに行ったのか確認できないはずだとの事。だとすれば、芹沢さんは容疑者から外れ、調査は振り出しに戻る事になる。

「そちらに戻るのは非常に危険なので、しばらくここにいます。璃里さんも気をつけてください」

 左京さんは声を低くして言った。その言葉で不安になるほど私も弱い人間ではないが、表に出にくくなったのは事実だ。

「では、知り得た事を伝えますね」

 私は左京さんに板倉さんから聞いた事を全て話した。左京さんは通話が途切れたのかと思うくらい黙ってしまった。

「マスターも政治家が狙撃された事を掴んでいましたが、それがよもや首相だとは……」

 あまりにも狙撃犯が大きな事件を引き起こしているのを知り、驚いているようだ。

「公安も、警察庁も、斉藤さんの事を掴んでいるようですから、そのままそこにいた方がよさそうですね」

 私が言うと、左京さんは、

「え? どういう事ですか?」

「彼等はマスターが怖いらしいですよ」

 私は少し笑いそうになりながら告げた。左京さんもどういう事なのかわかったらしく、

「なるほど。やっぱりそういう事なんですね」

「そうですね」

 そばでマスターが聞き耳を立てていたのだろう、電話の向こうで、

「私の悪口を言ってないか?」

 左京さんを問い詰めているのが聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ