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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
見えざる狙撃手
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思わぬ展開

 日が高くなっているとは言え、季節は冬。ビルのロビーから一歩外に出ると、身体全体を冷気が包み込むような錯覚に陥りそうだ。

「どこへ行くんですか?」

 緊張感のない依頼人である斉藤真琴さんがニコニコしながら尋ねて来た。俺が口を開くより先に、

「このビルの裏手にある純喫茶よ。カフェやコーヒーショップとは趣きが違うから、落ち着くよ」

 斉藤さんの紹介者でもある坂本さかもと龍子りょうこ弁護士が説明してくれた。すると斉藤さんはニヤニヤして、

「詳しいね、龍子ったら。探偵さんと何度もそこに行った事あるんだね?」

 その途端、坂本先生の顔が湯がいたトマトみたいに赤くなった。相変わらず感情の起伏がわかり易い人だ。

「な、何度か行った事あるけど、仕事でよ! あんたが想像しているみたいな事はないんだから!」

 先回りをして墓穴を掘るタイプだ。ちょっとだけ可愛いと思ってしまう。いや、実際美人で可愛いのだが。あ、すまん、樹里。

「そうなんだ」

 斉藤さんはしてやったりというような顔で坂本先生を見た。坂本先生はムッとした様子だったが、言えば言う程自爆すると思ったのか、ツイと顔を背けた。俺はその話を聞いていないフリをし、そのまま路地裏へと歩を進める。璃里さんとも共通の認識を得られたので、自信が増したのだが、斉藤さんの彼氏である芹沢翔という人物が怪しいのは確かだ。どこかで見ているかも知れないと思った俺は、曲がるはずの角をそのまま真っ直ぐに進んだ。坂本先生があれっという顔をしたので、斉藤さんにわからないように「喋らないで」と合図を送った。先生はさすがに弁護士だけあって、そういう仕草には敏感なようで、すぐに理解して、頷いてくれた。俺は一本先の路地を曲がり、更に突き当たりを戻った。

「ねえ、探偵さんは方向音痴なの?」

 斉藤さんが真顔で言う。俺は苦笑いして、

「いや、ちょっと事情がありまして、意図的に遠回りしているんです」

 それから、純喫茶JINへと繋がる角を曲がった。ここなら、芹沢がどこかから見ていたとしても、俺達の姿は捉えられない。何故なら、この角はどこからも見えないビルの谷間だからだ。やがて俺達はJINの前に着いた。くすんだのか、元からその色なのか、薄黄色の壁のビルを覆う蔦。薄汚れた白い看板。いつもと変わらない光景だ。

「さ、どうぞ」

 俺は昔ながらのドアを押し開き、二人を先に中に入らせた。

「いらっしゃい」

 カウンターの奥で、胡麻塩頭の小柄な老人が言う。相変わらずの仏頂面だが、決して不機嫌な訳でも、人間嫌いな訳でもない。愛想笑いを売りにしたくないその店の主。名前は知らないが「マスター」で通っている。

「奥、開いてるよ、杉下さん」

 マスターは俺を見て奥へとあごをしゃくった。

「こんにちは、マスター。お邪魔します」

 すっかり顔馴染みになっている坂本先生が微笑んで挨拶すると、

「おう、しばらくだったね、龍子ちゃん。そちらの女性が例の人だね?」

 マスターは少しだけ笑顔になった。「龍子ちゃん」か。そう言えば、現在産休中の幽霊所員の加藤ありさも「ありさちゃん」と呼ばれていたな。マスターは女性は全員ちゃんづけで呼ぶのかな? でも、璃里さんは「璃里さん」と呼んでいたな。まあ、いいか。

「はい。親友の斎藤真琴です」

 坂本先生が紹介すると、

「よろしくね、おじいちゃん」

 斉藤さんはいきなりフレンドリーな口調で言った。ありさでもそこまで砕けた話し方はしない。彼女のランクは、樹里の親友の船越なぎささん並みだな。要するに「不思議ちゃんレベル」という事だ。

「し、失礼よ、真琴!」

 坂本先生が慌てた様子で斉藤さんをたしなめた。するとマスターは大声で笑い、

「いやあ、これくらい思い切ってくれると、逆に爽やかだよ、龍子ちゃん。よろしくな、真琴ちゃん」

 斉藤さんに負けないフレンドリーさを発揮した。マスターの性格を掴みかねてしまう。俺は苦笑いし、

「いや、ここでいいよ、マスター。さっき電話で話した件だが、何か情報は入ったかな?」

 カウンターの端の席に座った。その隣に坂本先生が座り、斉藤さんが更にその隣に座る。

「コーヒーを飲んでからにしようか」

 マスターはその日一番の豆を使って、挽きたてのコーヒーを淹れてくれた。香りと味を存分に堪能した俺は目で催促をし、カップをソーサーに戻した。するとマスターは俺のカップを下げながら、

「幾人かから、都内の各所で起こった狙撃事件の情報は入った。しかし、これと言って役に立ちそうなものはないな」

「そうか」

 俺はチラッと斉藤さんを見てから応じた。斉藤さんは未だに他人事ひとごとのような顔のままだ。

「もう一つ、斉藤さん以外がどこかで狙撃されたという情報はなかったかな?」

 俺は気になっている事を尋ねた。斉藤さんが狙われるのは、どう考えても狙撃犯を目撃したからとしか思えないからだ。

「それらしい事もあったようだ。どこから狙撃されたのかわからないという事件だ」

 マスターはお代わりを要求するように差し出された斉藤さんのカップにコーヒーを注ぎながら言った。坂本先生がハッとして俺を見る。

「真琴は犯人を見ているという事ですか、左京さん?」

 法律家の顔の坂本先生が言った。するとマスターが、

「左京さん?」

 眉を吊り上げて坂本先生を見る。坂本先生はそれに気づいて、

「な、何でしょうか?」

 マスターはニヤリとして、

「いや、別に」

 とぼけてしまった。坂本先生の顔がまた赤くなった。忙しい人だな。

「その狙撃事件は誰が撃たれたんだ?」

「政治家だ。幸い弾は当たらなかったが、狙撃現場が特定されていない。弾道を調べたら、あり得ない距離から撃たれたらしい事がわかった」

「どこかの国の某スナイパーみたいだな」

 俺は唯一の愛読書の劇画を思い浮かべた。昔、張り込みの時、暇潰しによく読んだものだ。そして、斉藤さんを見た。

「え? 何ですか?」

 二杯目を飲み終えた斉藤さんは、キョトンとした顔をして俺を見た。

「本当に狙われる事について、心当たりはないんですか? よく思い出してください」

 俺は坂本先生越しに斉藤さんを見つめた。

「そんなに見られても、ないものはないんですよ、探偵さん。誰かと間違えているんじゃないですか?」

 斉藤さんは肩を竦めて言った。


 しばらく、俺はマスターに調べて欲しい事を頼み、事務所に戻る事にした。璃里さんから電話があり、警察庁方面からの情報が入ったのだ。

「さすが、璃里さんだな。今回は私はあまり力になれないかも知れないな」

 マスターが残念そうに言い、送り出してくれた。その時だった。

「まさか!」

 俺は自分の耳を疑ってしまった。また手動装填ボルトアクションの音が聞こえたのだ。

(どこだ?)

 慌てて上を見る。ここを狙うとしたら、場所は限られる。

「左京さん?」

 坂本先生が俺の挙動を変に思って声をかけて来た時、微かに発射音が聞こえた。いや、聞こえた気がした。

「危ない!」

 俺は斉藤さんに本日二度目の抱擁をし、その場から飛んだ。次の瞬間、JINのドアのガラスがバシュッと割れ、その向こうの床に何かがり込んだ。

「戻って!」

 俺は先生と坂本さんを店の中に押し込み、ドアを閉めた。

「杉下さん、今のは?」

 マスターが顔色を変えてカウンターから出て来た。俺は斉藤さんを支えるようにして椅子に座らせてから、

「狙撃された。でも、どうしてここにいるのがわかったんだろう?」

 俺の推理は的外れだったのだろうか? 芹沢さんはたまたま挙動が不審だっただけで、事件には無関係なのか? 狙撃犯はあの時からずっと斉藤さんを尾行していて、ここに来たのも把握していたのか? 謎が多過ぎて、俺は混乱してしまった。

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