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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
見えざる狙撃手
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また久しぶりに事件

 自伝か。俺の半生を本にする。何だか、ウキウキしてしまいそうだ。とは言え、いくら俺が考えなしな人間でも、この話が妻の樹里の自伝のついでなのくらいはわかっている。妻の樹里は映画の主演を六本もこなし、あっと言う間にスターダムに上り詰めたのに、俺との生活、いや、生まれてくる子供の事を最優先に考え、あっさりと女優を引退した。だから、出版社が目を付けて、その半生を本にしたいのはよくわかる。樹里の夫でありながら、彼女の子供の頃の事や、俺と出会う以前の話はほとんど知らない。だから、樹里の自伝は俺も興味がある。是非読みたい。

「左京さんが最初の読者になってくださいね」

 樹里に笑顔全開でそう言われ、俺は今年一番の喜びを感じた。

「るりがいちばんだよ、ママ」

 それを聞いていた愛娘の瑠里にそう言われては、親バカな俺としては譲るしかなかった。

「瑠里が一番でいいよ。パパは二番」

 瑠里に言うと、

「にばんはあっちゃんだよ」

 却下されてしまった。「あっちゃん」とはちょっと嫌な響きだ。元同僚の平井蘭と加藤ありさの合同結婚式を妨害しようとした窃盗犯のベロトカゲの本名が六本木厚子だからだ。ライバルである同じ窃盗犯のドロントには「あほのあっちゃん」と呼ばれているそうだ。だが、瑠里が言ったのはそのあっちゃんではない。保育所の同じくまさん組の男の子の名前だ。それはそれで別の意味で気になってしまう。


「え?」

 そんな事を回想しながら、瑠里を保育所に送り届けてアパートに戻る途中で、俺はライフルの装填音を耳にした。目の前の大通りにはひっきりなしに車が行き交い、クラクションやタイヤの軋む音や怒鳴り声が聞こえている。そんな騒音だらけなのに、俺の耳には確実に手動装填ボルトアクションの音が聞こえたのだ。

(どこだ?)

 俺はすかさず周囲にあるビルの屋上付近を見渡した。すると道路の反対側のビルの屋上から銃身を突き出して狙いを定めている奴を見つけた。黒いニット帽を被り、サングラスをかけ、防塵マスクらしきものを着けているので、容貌どころか性別すらわからない。俺はそいつが狙いをつけている対象を急いで探した。

(あの子か?)

 舗道を歩いている若い女性がいる。その周辺には誰もいないので、恐らく彼女が標的ターゲットだ。ロンドンブーツみたいな靴で、この寒空の下だというのにショートパンツ。素足ではなく、ピンクのタイツを履いている。上は袖だけ白であとは黒いスタジアムジャンパーで、メジャーリーグのロゴが入っている。厚着をしているのか、スタイルはわからないが、ほっそりした脚から考えて、太ってはいないようだ。ショートカットなので実年齢より若く見えているかもしれないが、樹里と同年代の二十代前半か?

「危ない!」

 俺は引金トリガーが引かれるのを察知して、慌ててその子を抱きかかえるようにして庇いながら舗道に倒れ込んだ。銃弾がその直後に舗道のアスファルトにり込んだ。

「大丈夫ですか?」

 彼女を気遣いながら起き上がった。するとその子は俺を見るなり、

「あ、ありがとうございました!」

 顔を引きつらせて、そのまま駆け去ってしまった。俺は狙撃手スナイパーが気になってビルの屋上を見たが、すでに姿をくらませていた。二発目は諦めたようだ。人だかりができて来たからだ。

「何があったんですか?」

 そこへ近くの交番から制服警官が走ってきた。彼も銃弾が地面に減り込んだ音を聞きつけたのだろう。

「あれ、左京さんですか?」

 警官は辛うじて俺を覚えていてくれた。瑠里を連れて歩いていて、職質された事があるからな。

「ああ。狙撃された」

「え? 左京さんがですか?」

 警官は顔色を変えて人混みを掻き分けて俺に近づいた。俺は苦笑いして、

「いや、狙撃されたのは女性だ。もう行っちまったよ」

「そうなんですか」

 警官は樹里の口癖を言った。


 俺は交番で事情を聞かれ、駆け去ってしまった女性の容姿を尋ねられた。倒れ込む時に抱きかかえたので、彼女のおよその体重と身長はわかった。それから、結構な巨乳なのもわかったが、人格を疑われそうなので、言わなかった。

「また何かお尋ねする事があるかも知れませんので」

 警官は敬礼して俺を見送ってくれた。彼は俺が以前警視庁にいたのを知っている。庁舎で何度か顔を合わせた事もあるそうだが、俺は全く記憶になかった。瑠里を連れている時、どうして俺だとわからなかったのだろうと思ったら、

「お嬢さんを連れていた時、髭を剃っていなかったからですよ」

 そう言われて納得した。ああ、そうか。あの子が慌てて駆け去ったのはそのせいか。俺は口の周りの髭だけが妙に濃い。だから、朝、剃る時間がないと、まるでコントの泥棒みたいな顔なのだ。瑠里は慣れているので怖がらないが、保育所の子達に泣かれた事があり、髭を剃っていない時は門の手前で制止されてしまう程だ。

「お」

 アパートに帰り着いた時、携帯が鳴った。慌ててジャージのポケットから取り出す。樹里のお姉さんの璃里さんからだった。

「おはようございます。今から事務所に依頼人を連れて行きますので、よろしくお願いします」

 璃里さんは近くの警察に見つかった落とし物を受け取りに行って、ある人物にあったらしい。その人物とは、我が事務所と同じビルの最上階にいる坂本さかもと龍子りょうこ弁護士だ。またあの女と関わり合いになるのかと思うと、気が滅入りそうになるが、取り敢えず彼女が口やかましかった理由がわかり、その後はロビーやエレベーターで出くわしても、笑顔で挨拶してくれるので、あまり邪険にするのも悪いかなと思っていたところだ。

「坂本先生のお友達が、今朝狙撃されたそうなんです」

 璃里さんの言葉に俺は仰天した。それってもしかして……。

「ショートカットでスタジアムジャンパーを着て寒いのにショートパンツを履いた巨乳の子ですか?」

 勢い余って「巨乳」とまで言ってしまい、焦った。璃里さんは「巨乳」には突っ込まず、

「どうしてご存知なんですか?」

 坂本弁護士の友人を知っている事に驚いていた。まあ、それはそうだな。俺はさっきあった事を手短に話した。璃里さんは姪の瑠里が通っている保育所の近くで狙撃事件が起こった事に衝撃を受けていた。

「とにかく、事務所に行く間にいろいろ事情を伺っておきますので」

 璃里さんは、ありさが妊娠して仕事を休むので、代わりに俺に妙な女が接近しないか監視して欲しいと頼まれたそうだ。ありさの奴、何を考えているんだ。まあ、ありさが頼まなくても、俺もまた璃里さんに復帰して欲しいと思っていたので、ある意味渡りに船だったのも事実だ。璃里さんは坂本弁護士とも面識があるし、元警察庁のキャリアだったのも手伝い、絶大な信頼を置かれている。きっと俺よりうまくあれこれ聞き出してくれると甘い事を想像しながら、アパートの部屋に入ると、出かける準備をした。

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