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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
24/36

解決

 亜梨沙が乗り移った鷲鷹わしたか兵庫ひょうごは、仰天した状態のまま、警視庁に到着した。仰天しているのは奴だけではない。出迎えた元同僚の平井蘭と、ありさの夫の加藤も信じられないという顔で俺達を見ていた。そればかりではない。財界の大物である兵庫が出頭するという話を聞きつけて、警視総監までロビーに姿を見せた程だ。それだけこの事件の衝撃が凄まじかったという事だ。

 ありさは乗り移っているうちに兵庫が語らなかった事まで読み解いたようだ。事情聴取をした蘭に事件の全貌、そして兵庫が誰にどんな指示を出したのかまで、全て克明に語ったそうだ。兵庫の我欲の犠牲になった戸籍上の息子である重蔵氏が、俺を車に乗せた時に言った奇妙な一言、

「私にも独自の情報網がありましてね」

 その謎も解けた。重蔵氏は兵庫が自分を追い落とそうとしているのに気づき、兵庫が彼の周囲に配置したスパイ役の社員に対抗するために自分の子飼いの部下達を養成し、対抗して情報を集めていたのだ。だから、「私にも独自の情報網」という言い回しになったのだ。

 兵庫の証言で、戸籍上の孫で、事実上の息子である英吾も事情聴取をされる事になった。人に乗り移るのが楽しくなったのか、頼んでもいないのにありさは英吾にも乗り移り、実は兵庫の息子だと気づいていた事、それが自分には負担だった事、重蔵の死を悲しんでいる事などを語らせ、間接的にそれを知った兵庫に追い討ちをかけるように仕向けた。これを切っ掛けにして、ありさが悪さをしない事を祈るのみだ。

 当然の事ながら、身代わりで逮捕されていた営業部長の猿渡さるわたりみつる氏は釈放され、それと入れ違いに真の実行犯である狛犬興業の狛犬こまいぬ厳三げんぞうが逮捕された。厳三は兵庫が聴取を受けているのを知り、観念して自分から警視庁に出頭して来た。


 聴取を終え、一段落した蘭と加藤に呼ばれ、かつて存在していた「特捜班」の部屋に通された俺は、感慨に浸る事もなく、二人に質問攻めにされた。どうやって、あの兵庫を説得し、出頭させたのかと。事実を知れば、二人は飛び上がるだろう。

「さあ、どうしてだろうね。俺にもよくわからないよ」

 知る必要のない事もあるさ。そう思い、俺はありさの「活躍」を二人には話さなかった。

「明日から大変な事になるわ。株価は大暴落するでしょうし、建設業界はパニックね」

 俺を見送りながら、蘭は溜息混じりに言った。

「俺には関係ないけどな」

 そう返すと、

「無知はこれだから困るわ」

 最後の最後で毒を吐かれた。でも、苦笑いをしただけで、何も文句を言わずに「古巣」を後にした。


 純喫茶JINに戻ると、ありさと坂本さかもと龍子りょうこ弁護士と、土方ひじかた歳子さいこさんが 出迎えてくれた。

「杉下さん、日本経済がひっくり返ってしまうかも知れませんよ。財界の一翼を担っていた鷲鷹兵庫が犯行を自供して、逮捕されたのですから!」

 坂本先生は法律家らしいコメントを言いながら興奮気味に俺に顔を近づけて来た。会ったばかりの頃と同じ感じで、何だか懐かしかったが、

「あらあら、先生、とうとう左京とキスするんですか?」

 ありさの嫌味で我に返った先生は真っ赤な顔をして俺から離れ、ありさを睨んだ。

「杉下さんは妻帯者ですよ! そんな事をする訳ないじゃないですか!」

「あれ、という事は、左京が妻帯者じゃなかったら、キスするつもりだったんですか?」

 ありさは調子に乗って更に突っ込みを入れる。すると先生は、

「そうですよ。でも、私は理性的な人間だから、倫理に反するような事はしないんです」

 結構大胆な発言をした。俺は思わず先生を見てしまった。そして、「倫理」のかけらもない亭主持ちのありさを半目で見てやった。

「てへ!」

 何を思ったのか、ありさは落語家のように額をてのひらでパシンと叩き、舌を出した。やっぱりこいつの思考回路はよくわからない。

「あ、その、えーとですね……」

 先生は言ってしまった事の重大さに気づいたのか、俺を見てアタフタしていた。最初の頃と違い、可愛いと思えるようになった。

「坂本先生、あまり杉下さんをその気にさせてはいけないよ。私と違って、彼はまだ現役なんだからね」

 カップに淹れたてのコーヒーを注ぎながら、マスターがニヤリとする。

「わかっています。でも、杉下さんは奥様を愛していらっしゃいますから、私のような小娘は相手にしてくれませんよ」

 やんわりと予防線を張られたのかな? まあ、そうでなくても、俺は妻の樹里を悲しませるような事はするつもりはないが。

「杉下さん、本当にありがとうございました。警視庁から国交省に話が行って、私、復職する事になりました」

 土方さんが嬉しそうに教えてくれた。

「そうですか。それは良かった」

 俺は握手をしようと右手を差し出したのだが、何故か土方さんはビクッとして坂本弁護士の背後に隠れてしまった。まだ怖がられていたのかと思い、項垂れかけると、

「ごめんなさい、杉下さん。私、ついその……」

 彼女は申し訳なさそうに詫びてくれた。まあ、いいんだけどね。土方さんは何度も詫びと礼を繰り返して、先生と共に店を出て行った。報酬は振込にしてもらった。現金だと手癖の悪いありさが一部をネコババするからだ。

「杉下さん、一体どうやって兵庫を追い込んだのかね?」

 マスターは二人が店を出たのを確認すると、すぐにそう訊いて来た。蘭達にも先生達にも話さなかったが、マスターにならいいかと思い、種明かしをした。さすがのマスターも完全には信じられないという反応を示した。

「それにしても、ありさちゃんはすごい特技を身に着けたもんだねえ。向かうところ敵なしの探偵事務所じゃないか」

 マスターがありさをべた褒めしたので、ありさがまた調子に乗る。

「でしょ、でしょ、マスター? ね、聞いた、左京? 私ってば、有能な所員よね?」

「まあな」

 確かに今回の事件を解決できたのは、ありさのお陰なのは間違いないので、そう応じておいた。ただ、こいつはすぐに図に乗る性質たちだから、気をつけないといけない。

「これでようやく、アパートに帰れるよ」

 俺は二杯目のコーヒーを飲み干して、席を立った。

「帰ったら、樹里ちゃんといい事たくさんするんでしょ?」

 ありさはニヤリとして言う。俺はビクッとして、

「バカ、そんな事する訳ないだろ! お前と一緒にするな」

 するとありさは目を見開いて、

「可哀想な樹里ちゃん。お帰りのキスもしてもらえないんだ」

「キスかよ!」

 俺はつい突っ込みを入れていた。そしてマスターに視線を戻す。

「マスター、世話になったな。また何かあったら、相談に乗ってくれるか?」

 するとマスターはニッとして、

「もちろんさ。こんなにわくわくしたのは久しぶりだからな。こっちこそ、またお願いしたくらいだよ」

 俺はマスターと握手を交わし、店を出た。

「あ、待ってよお、左京」

 するとありさが追いかけて来た。

「何だよ、ありさ。俺はアパートに帰るんだ。お前も加藤のところに帰れ」

 鬱陶しそうに言うと、ありさはムッとして、

「そんな事言うと、樹里ちゃんに私とキスした事言うぞ!」

「お前が無理矢理したんだろ!」

 理不尽全開の開き直りをして来た。呆れるしかない。

「祝杯くらいあげようよ。ね?」

 ありさは今度は甘えて来た。そう言われると、あまり邪険にはできない。

「ああ、そうだな。じゃあ、お義父とうさんのところでいいか?」

 お義父さんとは、樹里の母親の由里さんのご主人である西村夏彦さんの事だ。以前樹里が働いていた居酒屋の経営者である。

「ええ? 居酒屋? バーにしようよ。報酬を決めたの、私だよ」

 ありさは食い下がって来た。

「わかったよ。じゃあ、この前マスターに教わったカクテルバーに行くか」

「わーい、左京大好き!」

 ありさが抱きついて来たので、すぐに押し戻し、俺は携帯を取り出した。

「あ、樹里か。ちょっと遅くなる。ああ、寝ていていいよ。事件が解決したから、ありさと祝杯をあげるんだ」

 普通はそんな事を言うと女房というものは疑うのだが、

「そうなんですか」

 樹里は疑ったりしない。本当に俺には勿体ない女性だ。

「明日の朝の洗い物や洗濯は俺がするから」

 ちょっとだけ申し訳なく思ったので、そう言い添えた。

「よおし、今日は左京の奢りだから、朝まで飲むぞ!」

 ありさが叫ぶ。

「ふざけるな、割り勘だよ」

 冗談を言うと、ありさが口を尖らせる。まあ、いいコンビかも知れないな、俺達は。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。一旦完結です。

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