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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
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決着

「まだ習いたてでしてね。自信はないのですよ」

 慇懃無礼という言葉がある。今の鷲鷹わしたか兵庫ひょうごの言動はまさにそれだと思った。俺のような小者に敬語で話すのは余裕の現われなのだろう。何とも不愉快だ。

「さ、どうぞ」

 兵庫は俺を微笑んで見る。

「いただきます」

 毒でも入っているかと思ったが、毒殺するくらいなら、ここまで呼び込まずに駐車場あたりで絞め殺されているだろう。茶道の作法など全くわからないので、俺は茶碗を両手で抱えると、グイッと一息で飲み干した。思っていたより熱くなく、苦くもなかった。

「結構なお手前で」

 そんな決まり文句があったのだけは知っていたので、会釈をして言ってみた。

「そうですか。ホッとしましたよ」

 相変わらずニコニコとした顔だが、その目の奥が決して笑っていないのは、長年警察にいたお陰でわかった。

「本題に入ってもいいですか?」

 俺は茶碗をそっと畳みの上に戻して切り出した。兵庫は正面を向き、微笑むのをやめて俺を見た。背筋がゾッとした。射るような目とはよく聞くが、まさにそれだった。

「いいですよ。伺いましょう」

 兵庫は俺の背後を取ろうとしたSPモドキ二人を手で制した。俺はチラッと二人を横目で見てから、

「国交省の役人、貴方の会社の営業マン、そして貴方の戸籍上の息子さん。全て、貴方のお考えで命を落としたのですね?」

 直球勝負を仕掛けてみた。兵庫は一瞬目を細めたが、

「なるほど。私が思った以上に事情をご存知のようですね」

 再びにこやかな顔になる。余計不気味だ。俺は更に、

「それだけじゃありません。重蔵さんは貴方の子供ではない」

 兵庫は今度はわざとらしく目を見開く。呆れた役者だ。

「ほお。それもご存知でしたか。そうです。あれの母親はとんだ淫売で、どこの誰とも知れない男の子種であいつを産んだのですよ」

 兵庫は自分が被害者だと言わんばかりの顔をしている。吐き気がしそうだ。

「だから貴方は、その仕返しとばかりに、重蔵さんの奥さんを寝取り、英吾さんを産ませた。そうですね?」

 俺のその言葉に兵庫の本性が少しだけだが垣間見えた。手にしていた茶筅をグシャッと握り潰したのだ。

「トシの奴、まだ衰えていないようですね。そこまで見抜いているとは」

 笑みを封印し、また俺を射るような目で見る兵庫は肉食獣にしか見えなかった。背後のSPモドキからも闘気が感じられるような気がする。

「実の息子ではない重蔵さんを陥れるために、自分の会社の社員を殺し、無関係な国交省の人間を殺した。そして会社から追い出すだけでは飽き足らず、その重蔵さんをも殺害させた。そんなにあの人が憎かったんですか? そんなに英吾さんに跡を継がせたかったんですか!?」

 俺は興奮してしまった。我欲のためにそこまでの事をしたのが人として、人の親として、そして人の子として許せなかったからだ。

「何もかも私が悪いように思っているようですが、違いますよ。そもそもの始まりは、重蔵が私を脅迫した事なのですからな」

 肉食獣の目は封印したようだが、先程までの「好々爺」の雰囲気は微塵もない鋭い刃物のような顔と口調だ。思わず震えそうになったが、何とか堪えた。

「脅迫?」

 先を促すために鸚鵡返しに言ってみる。すると兵庫は握り潰した茶筅を横に置いて、たもとから手拭いを出して手を拭きながら、

「そうです。あいつは私に英吾の事で脅しをかけて来た。あれは俺の息子ではない、あんたの息子だ。これを公表されたくなかったら、経営から手を引き、英吾も取締役から外せとね」

 話の真相は最早知る術はない。重蔵氏はこの世にいないのだ。何とでも作り話はできる。しかし、この期に及んでそんな見え透いた嘘は吐かないだろうから、事実だと思われる。

「だから殺したんですか? だから、無関係な人間を巻き込んだんですか?」

 それでも到底納得がいく事ではない。重蔵氏はともかく、営業の人間と国交省の課長は完全なトバッチリだ。そして、俺の依頼人である土方ひじかた歳子さいこさんもそうだ。

「さて。重蔵に関わりのある人間が死んでいるらしいですが、私は無関係ですよ。もちろん、重蔵の一件もね。あの事件の犯人は逮捕されているでしょう?」

 兵庫はニヤリとして俺を見る。確かにどの事件も、兵庫に繋がる証拠はない。彼が指示したという証明すらできない。だからこの男は俺を呼びつけ、茶を振る舞うという余裕を見せつけているのだ。何とも悔しい状態だが、こればかりは俺にはどうする事もできない。

「まあ、それでも、貴方の推理もなかなか興味深いものでしたよ。只、小説や映画なら面白いですむが、現実の世界ではそんな妄想は誰も取り合ってくれませんね」

 兵庫は俺が何も反論できないのを承知で更に畳み掛けて来る。

「場合によっては、貴方を名誉毀損で訴える事もできるのですよ、杉下左京さん。しかし、貴方はトシの友人らしいから、トシの顔に免じてそこまではしないのです。そこをよく理解していただきたい」

 兵庫の目つきが更に凄みを増した。もはや企業人ではない。任侠の世界にもこれ程の迫力を出せる人物は少ないだろう。少なくとも、鷲鷹建設の下請け会社である狛犬興業の社長の狛犬こまいぬ厳三げんぞうには到底無理だ。

(そろそろか?)

 ここまで言われ放題の俺だが、何も人間サンドバッグになるつもりでノコノコやって来た訳ではない。ここからが、まさに「俺のターン」なのだ。

「杉下さん、お帰りください。貴方は私が心配するような存在ではない事がわかりました。これ以上あれこれ詮索しないのであれば、安心して生活ができると申し上げておきましょう」

 兵庫は勝ち誇った顔で言った。俺がヘヘーッと土下座して引き下がると思っているのだろう。

「はあ? 何を言っているんですか? 貴方はこれから警視庁に自首すると電話を入れて、俺と一緒に出頭するんですよ」

 俺は何とか噛まずに言う事ができて、第一段階終了の合図を出せた事にホッとした。

「何を言い出すのかと思ったら……。見下げ果てた人ですね、貴方は。この期に及んで、そんな戯言たわごとを言うのですか? 残念ですよ、杉下さん」

 兵庫の目は怒りではなく哀れみを含んだものになった。まあ、何とでも言え、という心境だ。背後のSPモドキは殺気を消している。もう俺を始末するまでもないと思っているのだ。

「もう一度言います。貴方は警視庁に電話をして、自首すると言い、俺と一緒に出頭します」

 俺はある人物に念を押すように言った。兵庫は呆れ果てた顔で俺を見、苦笑いをしている。

「超能力者にでもなったつもりですか? 哀れな人だな、貴方は」

 兵庫は俺を嘲笑っていたが、自分の身体が自分の意志と関係なく動き、部屋の隅にある電話機に近づき始めたのに気づいて目を見開いた。SPモドキ達は仰天して顔を見合わせている。

「お前達は下がれ。杉下左京さんの言う通りだ。これから私は警視庁に連絡して、自首をする」

 兵庫は口が勝手に動いて言葉を発しているので、愕然としているようだ。俺も一度やられたが、催眠術どころではない。全く抵抗ができないのだ。SPモドキ達は、兵庫が命じたのでそのまま部屋から出て行ってしまった。

「ああ、警視庁ですか? 私は鷲鷹建設の鷲鷹兵庫です。三つの事件の事でお話したい事がありますので、これから私立探偵の杉下左京さんと出頭致します。よろしくお願いします」

 兵庫は目を見開いたままで受話器を置き、

「では、出かけましょうか、杉下さん」

 そう言うと、部屋を出て行く。俺は逆転劇が想像以上にうまくいったので、一瞬唖然としてしまった程だった。種を明かせば、高校時代以来の腐れ縁である加藤ありさ(旧姓:宮部)が得意の幽体離脱で兵庫に取り憑き、その身体を操っているのだ。証拠がないなら、自白をさせてしまおう。これが俺がありさに頼んだ作戦だった。部屋の外で控えていたSPモドキは唖然としたままで、俺と兵庫を見送った。エレベーターホールで待っていた警備員も同様だ。ありさが操る兵庫に怒鳴られて、慌てて俺の車をエントランスの前に横づけした。


 駐車場から表に出たところで蘭から電話が来た。ありさが兵庫の身体を使ってポケットから携帯を取り出し、俺の耳に当ててくれた。

「何があったのよ、左京? さっき、鷲鷹兵庫から出頭すると電話があったわ。しかも、あんたと一緒にするって言ったそうよ」

 蘭は興奮気味に喋っている。俺は苦笑いして、

「知ってるよ。その時、俺はすぐ横で聞いていたから」

 蘭が唖然とする姿を思い浮かべながら、俺は車を警視庁へと走らせた。

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