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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
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戦慄のシナリオ

 地下鉄の階段を駆け降りた俺はまたハッとした。

(まずい、手持ちの現金が……)

 恐れたとおり、財布の中にはもう事務所に戻る電車賃にも届かないかも知れない小銭が入っていた。階段を駆け上がり、地上に戻った。途端に喧騒が耳に飛び込んで来た。

(この辺に銀行はあったかな?)

 キャッシュカードがあるのを確認してから、周囲を見渡した。俺の記憶が正しければ、総務省が入っている合同庁舎内にコンビニがあるはずだ。祈るような気持ちで、俺は合同庁舎を目指した。

(それにしても……)

 俺は鷲鷹わしたか兵庫ひょうごという人物の頭の中はどうなっているんだろうと思った。何が目的なのかと。重蔵氏の存在が気に入らないのであれば、殺すまでもなく経営陣から遠ざけるとか他にやりようはあったはずだ。命まで奪う理由は何なのか? 理解しがたいのだ。


 記憶は間違っていなかった。合同庁舎内にコンビ二は確かにあり、俺はなけなしの金を預金から引き出した。タクシーでも戻れるくらいの軍資金は手に入ったが、すぐに入金をし直さないと、公共料金の引き落としができなくなってしまう。妙な現実を突きつけられ、挫けそうになる。気を取り直して、純喫茶JINのマスターに連絡し、兵庫氏の事で何か知っている事を思い出しておいて欲しいと頼むと、もう一度地下鉄への階段を駆け降りた。警備の警官と目が合ってしまい、不思議そうな顔をされたので、苦笑いをして会釈した。それはそうだな。何度も階段を行き来していれば、変に思われる。元警察官だと知られているから声をかけられないけれど、見かけない人間だったら、完全に不審者だ。ところが、苦笑いをしたままで階段を降りたので、昇ってきたサラリーマン風の若い男に訝しそうな目で見られてしまった。


 地下鉄で有楽町まで向かいながらも、俺は兵庫の真意をあれこれ考え続けた。しかし、納得がいく理由に思い当たれなかった。山手線に乗り換え、五反田に向かう途中、マスターから着信があった。俺は五反田駅に到着し、ホームに降りてから折り返した。

「杉下さん、近くにテレビはないか?」

 いきなりマスターにそう言われ、ポカンとしてしまった。

「いや、今はまだホームにいるからテレビはないよ。どうしたんだ?」

 取り敢えず何があったのか尋ねてみた。

「今、兵庫が記者会見をしている」

「記者会見? どういう事だ?」

 俺は改札を通り抜けながら訊いた。

「奴が何故あんな事をしたのか、全てわかる記者会見だよ。録画しているから、戻ったら観てくれ」

 マスターの声が興奮気味だったのは、それほど衝撃的な記者会見だという事だろう。俺は足早に構内を抜けると、JINに向かって走った。事務所があるビルの前まで来た時、通帳の残高の事を思い出した。クライアントの土方ひじかた歳子さいこさんに言って、報酬のいくらかを先にもらおうかとも思ったが、それはいくら何でも情けないので、同じ情けない事にしても、身内ですませようと思い、妻の樹里に電話した。

「はい」

 樹里の嬉しそうな声が聞こえた。もちろん「嬉しそうな」というのはあくまで主観だ。

「すまないな、心配かけて。頼みがあるんだが」

「何でしょうか?」

 人を疑うという事を知らない素直な樹里らしい反応だ。俺はそのせいで自分の不甲斐なさを呪いたくなった。だが、悠長な事を考えている場合ではない。

「俺の通帳の残高が不足しているんだ。悪いんだけど、月末まで五万円ほど貸してもらえないだろうか?」

 心の中で土下座して言った。すると、

「左京さん、私達は夫婦なんですよ。お金の貸し借りなんて水臭いです。わかりました、すぐに振り込んでおきますね」

 樹里ならそういうと思って頼んだ訳ではないが、申し訳なさ過ぎて泣きそうだ。

「ありがとう、樹里」

 腰が折れるくらい頭を下げた。近くを通りかかった人達は、きっと驚いただろうが、そんな事は気にならない。

「パーパ、ちゅきだお」

 愛娘の瑠里の声が聞こえた。今日は仕事は休みなのだろうか? すでに曜日の感覚が麻痺している。

「パパも瑠里の事、好きだよ」

 瑠里が嬉しそうに笑う声が聞こえた。俺は通話を終え、裏路地へと歩を進めた。


「左京、更に大変よ!」

 店に入ると、カウンターにはありさばかりでなく、坂本さかもと龍子りょうこ先生と土方さんもいた。

「杉下さん、鷲鷹重蔵殺害容疑で、遺体の第一発見者である営業部長の猿渡さるわたりみつるが逮捕されましたよ」

 先生が興奮気味に教えてくれた。土方さんは震えたまま先生にしがみついている。

「何だって? 容疑者まで用意していたのか?」

 俺はカウンターの向こうにいるマスターに目を向けた。マスターは頷き、

「用意周到の極みだよ。とにかく、記者会見の映像を観てくれ。兵庫が何故こんな手の込んだ事をしたのか、よくわかるから」

 俺はありさと先生達に目配せして、カウンターを回り込み、奥の厨房兼休憩室に行った。スペース的には大半が厨房なのだが、その片隅に二畳敷の畳があり、その上に小さな卓袱ちゃぶ台と十四インチくらいの液晶テレビとブルーレイディスクレコーダーがある。

「百聞は一見に如かずだ。観ればわかる」

 マスターがリモコンを操作した。テレビ画面に再生された映像が映し出される。場所はどうやら鷲鷹建設の会議室のようだ。それにしても、もの凄い数の報道陣だ。少なく見積もっても、百人はいる。フラッシュが焚かれ、シャッター音が鳴り響く中、ブロッコリーのように束ねられたマイクが置かれた会議テーブルの向こうに兵庫と思われる紋付袴姿の白髪の老人と黒いスーツ姿の若い男が立った。

「誰だ?」

 俺はマスターに小声で尋ねた。

「孫の英吾えいごだ。重蔵とは似ても似つかない顔をしているだろう?」

 マスターは何故かそんな事を言った。確かに英吾は重蔵氏には全くと言っていい程似ていない。むしろ、兵庫に似ている気がした。俺はマスターの言い回しを疑問に思ったので更に質問しようとしたが、会見が始まったので口をつぐんだ。

「このたびは不肖の息子の仕出かした事で皆様に多大なるご迷惑をおかけした事を心よりお詫び申し上げます」

 兵庫と英吾が揃って頭を深々と下げた。その間中ずっと、フラッシュは焚かれ続けた。二人はゆっくりと顔を上げ、椅子に座った。

「失われた信用を取り戻すには大変な時間がかかりましょうが、我が孫で、亡き重蔵の長男でもある英吾が必ずや成し遂げてくれると信じております」

 兵庫はにこやかな表情で隣にいる英吾を見た。英吾は祖父に微笑み返して、

「若輩者ではありますが、全身全霊をもって仕事に打ち込み、信用回復に努める所存です」

 報道陣を見渡しながら言った。堂々とした顔は、帝王学を叩き込まれた三代目の風格を漂わせていた。もしかして、孫のためにあれだけの事をやってのけたというのか?

「マスター、兵庫はこの孫に継がせるためにこんな事をしたのか?」

 俺は自分の推測の恐ろしさに堪え切れず、マスターを見た。するとマスターは首を横に振って、

「それだと半分正解ってとこだな。兵庫はもっと恐ろしい事をしているんだよ」

 そう言って、映像を一時停止させた。俺は思わずありさと顔を見合わせた。マスターは停止した映像に近づいて、

「よく見てくれ。兵庫と英吾の顔を。目の形、鼻の高さ、口の大きさ、そっくりだろう?」

 突然そんな事を言い出した。何の事かわからずに首を傾げてしまったが、マスターの言わんとしている事に思い至り、寒気がした。重蔵氏は兵庫の実の息子ではないと言われている。もし、それが本当であれば、兵庫と英吾は血の繋がりがない戸籍上だけの親族という事になる。だとすれば、顔のパーツが似ているのはおかしいのだ。おかしいのだが、実際によく似ている。という事は、どういう事なのか?

「英吾は重蔵氏の息子ではなく、兵庫の息子、という事か?」

 俺は真実に戦慄しながら、マスターを見た。マスターは黙って頷き、忌ま忌ましそうに停止した映像を見た。何という事だ。兵庫は、自分の妻にされた不貞の仕返しに、重蔵氏の奥さんを寝取ったのだ。いや、あくまで可能性の話なのだが。

「これが恐らく真実だろうな」

 マスターはレコーダーを切り、テレビを消して言った。

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