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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
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急展開

 鷲鷹わしたか重蔵じゅうぞう氏の謎の接触で酷く混乱した俺は、依頼人の土方ひじかた歳子さいこさんとその弁護士の坂本さかもと龍子りょうこ先生の待つ彼女の事務所へと向かった。

「まだ続けるの、依頼?」

 俺の三歩後ろを歩いているありさが不意に尋ねた。俺は振り返らずに、

「続けるさ。当事務所は資金繰りが苦しいんだ、仕事を途中で投げ出して、違約金を払う余裕なんてない」

 冗談とも本気とも自分でもわからない言葉を返した。

「ふざけてる場合じゃないのよ、左京。あんたや私はともかく、土方さんや坂本先生も危険な目に遭うかも知れないのよ? 考えてるの、そこまで?」

 振り返ると、ありさはいつになく真顔だ。雪どころか、ブリザードが吹き荒れるのではないかと思ってしまった。

「独身で、誰も巻き込まない頃だったら、多少の無茶は仕方ないけど、あんたも樹里ちゃんと瑠里ちゃんていう扶養家族がいるのよ。もう少し自分の置かれている立場を考えなさいよ」

 更にまともなありさの話が続く。この世の終わりが来るのかと思うのはいくら何でも失礼か。

「今の時点では、俺が樹里の扶養家族だけどな」

 皮肉めいた事を言い、俺は歩を速めた。

「あ、ちょっと、左京!」

 ありさが小走りになって追いかけてくる。ありさの言う事は理解できる。俺も無茶しているという自覚はあるのだ。しかし、心のどこかで、そこまで危険な状態なのかという疑問が湧き続けているのも事実だ。俺が車を駐めた所も把握していて、こっちが気づくより早く接近する事ができる手合いが、何故始末しようと動かないのか? 確かに土方さんと坂本先生は設楽したら道茂みちしげの運転するワゴン車に襲われたが、それですら、本当に轢き殺すつもりだったのか疑問だ。そして、その後襲撃してきた時も、あっさりありさに倒された。その後に現れた襲撃者は多少は危険だったが、それにしてはたった一人というお粗末な布陣だった。ドアを破壊するのにあれほど銃を撃ったら、周囲に気づかれる恐れがあるし、弾切れで窮地に陥る可能性も否定できない。万事がそんな体たらくというのが、俺達が強運だったではすまないレベルなのだ。

「待ちなさいよ!」

 叫ぶありさを完全に無視して、俺は事務所があるビルに入った。土方さん達の所に行く前に事務所に寄りたいのだ。樹里に掃除をしてくれと頼んだので、すっかり片づいていると思う。もちろん、その確認だけのために立ち寄るのではない。樹里が替えの下着類を持って来てくれたはずなのだ。

「何だ、樹里ちゃん、帰っちゃったんだ」

 何故かついて来たありさが顔を覗かせて言った。事務所は綺麗に片づけられており、溜め込んでいた洗濯物も全部樹里がすませて持ち帰ったようだ。さすが、我が妻。多くの人に「お前には勿体ない」と言われているのは知っているが、気にしない。

「あ」

 携帯が鳴ったのがすぐわかるようにウィンドブレーカーの胸ポケットに入れておいたので、癇癪持ちの元同僚、平井蘭からの連絡にすぐ気づけた。

「どうしたんだ、蘭? 何かあったのか?」

 純喫茶JINで話してからまだそれほど経っていないので、不思議に思いながら尋ねた。

「東京地検が鷲鷹建設に家宅捜索に入ったわ。それから、国税の査察も鷲鷹重蔵の邸に向かっているそうよ」

 蘭の声は興奮していた。聞いた俺も一気に血圧が上昇した。

「何だって!?」

 水面下で地検とマルサが動いていたというのか? 一体どういう事だ?

「国土交通省のある人物との裏取引が判明したとか言ってたわ。たっくんの同級生からの情報よ」

 たっくんというのは、蘭の年下の夫の平井拓司警部補の事だ。彼は京都大学卒の超エリートで、蘭とは釣り合わないと思うのだが、どうした事か、それなりにラブラブらしい。まあ、釣り合わない話をすると、俺と樹里もそうだろうから、決して面と向かって言う事はできないが。そのたっくんは、さすがにエリートだけあって、友人や知人に凄い人がいる。地検やマルサの情報もそこからのものという事だ。

「今、どのテレビ局もそれを生放送で流しているわよ」

 蘭の話を聞きながら、俺は事務所のテレビを点けた。すると、今まさに鷲鷹重蔵氏の邸にマルサが入って行くところが映っていた。

「良かったね、左京。これで全部片づきそうよ」

 ありさがそう言ったが、決して嬉しそうではない。むしろ悔しそうだ。

「そんなに剥れるな、ありさ。これで全部終わりとは思えないから」

 俺はテレビを消し、シャーワールームに向かう。重蔵氏とのやり取りでジットリと汗を掻いたので、すっきりしたいのだ。

「ああ、ずるい、左京だけシャワー浴びるの? ありさも浴びたい」

 一緒に入ろうとするバカ女を押し止め、俺はドアをロックして、シャワーを浴びた。

「覗かないでよ、左京」

 一緒に入ろうとしたくせに、実際にシャワーを浴びる時にはそんな憎まれ口を叩くありさは、絶対に病んでいると思った。

「頼まれても覗くか」

 俺は憎まれ口を叩き返した。ありさが出て来るまで、もう一度テレビを点けて、鷲鷹重蔵邸の様子を観た。たくさんのスーツ姿の職員が書類が詰まった段ボール箱を抱えて出て来る。しばらく観ていると、カメラが切り替わり、鷲鷹建設のビルに入って行く東京地検の捜査員達が映った。キャスターが何かを言っているが、俺の耳には入って来なかった。俺はもっと別の事が気になっていたのだ。

「おまたあ」

 ようやくありさがシャワーを終えて出て来た。別にそんなつもりは微塵もないが、女がシャワーを終えるのを待っているのは何となくエロい感じがする。

「先生達もこの放送を観ているかな」

 俺はドアの鍵を閉めながら呟いた。するとありさはまだ少し湿っている髪を気にしながら、

「そりゃ、観てるでしょ。どの局もこれを流しているんだから」

「そうだな」

 俺は苦笑いしてエレベーターに向かった。


 先生の部屋に着くと、予想通り、二人は鷲鷹建設の捜索の放送を観ていた。

「これでようやく決着ですね、杉下さん」

 坂本先生は土方さんと微笑み合って言った。俺は、

「そうですね。これで俺達の仕事も終わりですね」

 事務的に言ったつもりだったが、先生は悲しそうな顔になった。ありさが脇腹を肘で小突いて来る。何だ? まだ終わっていないって言えっていうのか? 二人を怖がらせるだけだぞ。何でありさに睨まれなきゃならないんだ。どうすればいいのか迷っていると、マスターから連絡が入った。俺はホッとして携帯を取り出し、通話を開始した。

「マスターもテレビを観ているのか?」

 するとマスターの声は、

「そっちじゃないよ、杉下さん。もう一度調べ直そうと思って情報屋に連絡を取ってみたんだが、全員音信不通だ。消されたとは思わないんだが、何かの情報が出回って、私との接触を避けていると思われる」

 予想もしない事を言った。俺は思わず携帯を強く握りしめ、

「どういう事だ、マスター?」

 答えをわかっていながら訊いてしまった感じがした。マスターの声は辺りを憚るように、

「黒幕には、地検の捜査もマルサのガサ入れも全部想定内だったのではないかという事さ」

 どうやら、マスターも俺と同じ結論に達したらしい。

「マスターもそう思うか? ワゴン車の発見からして、どうもおかしいと思ったんだよ。それから、重蔵氏が言った言葉の中にひっかかる部分があったんだが、それもやっとはっきりわかったよ」

 俺は今度こそ真相に辿り着けたと思った。勘違いをしていたのだ。すっかり、騙されていたと言うべきか。

「ありさ、ちょっといいか?」

 俺はありさを部屋の隅に呼んだ。坂本先生と土方さんが怪訝そうな顔でこっちを見ているが、気にかけている場合ではなかった。

「どうしたの、左京? 先生が不信に思っているよ」

 ありさが小声で言った。俺はチラッと先生達を見てから、

「頼みがある。お前にしかできない事なんだ」

「あら、何かしら、所長?」

 ありさはニヤリとして乗り気になった。さて、そんな作戦が通用するかどうか心配だが、何とかなるだろうと腹をくくった。

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