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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
14/36

狛犬産業潜入

 純喫茶JINをありさと共に後にした俺は、事務所があるビルに戻り、地下の駐車場へと降りた。考え過ぎだとは思ったが、車に辿り着くまで、いつもより時間をかけた。そして、明らかに映画の見過ぎと言われそうだが、車体の下や周囲を調べ、窓から中を覗いて何か仕掛けられていないか、確認してからドアを開けた。

「左京とドライブなんて、久しぶりだね」

 ありさが妙に嬉しそうに言うが、こいつの勘違いだ。俺達が毎日顔を合わせていたのは高校時代で、俺は車の免許を取ったのは大学に入ってからなので、ありさとドライブした事はない。

「樹里ちゃんとあんたが私を除け者にして、G県に婚前旅行に行った時、帰りは私も一緒だったじゃん」

 ありさは何故かドヤ顔で言う。嫌な事を思い出させるなよ。あの時、こいつに後ろから抱きつかれて、俺は湯船に沈んだんだから。

「くだらない事を言うなよ。出すぞ、シートベルトしろよ」

「わかってますって、旦那。もう点数がなくて、今度切符切られたら、免停なんでしょ?」

 ヘラヘラしながら人の不幸を語る奴は死んだら地獄に堕ちるといい。そんな事を思い描きながら、俺は駐車場から表通りに出た。狛犬興業までは、約十五分だ。

「ところでさ、私、いい方法思いついちゃったんだけど、聞きたい?」

 ありさがシートベルトを上げ下げしながら切り出した。

「いい方法? 何だ?」

 この期に及んでつまらない話をしたら、車から叩き出そうと決意して尋ねた。

「こんなのどう?」

 ありさは思いついた方法を話した。ある意味つまらない話だったが、確かにそれは有効かも知れない。何しろ、俺達は丸腰だ。もちろん、狛犬興業も、いきなり実弾をぶっ放す事はないだろう。それでも警戒するに越した事はない。

「ね、私が戻って来て良かったでしょ?」

 ありさはニンマリして言った。

「確かにな。お前にしかできないよ、それは」

 俺は半分呆れ、半分感心して言った。


 道は思ったよりすいていて、たちまち目的地に到着した。狛犬興業は、大通りから一本外れたセンターラインがない路地に面した角地にあった。当然の事ながら、駐車場はなく、仕方なしに近くのコインパーキングに車を置き、そこから徒歩で狛犬産業のビルに行く。驚いた事に持ちビルのようだ。一体どこからそんな資金が流れて来ているのかと言えば、元請け企業の鷲鷹建設からだろう。暴力団への資金提供は禁じられているが、下請け企業への仕事は何の問題もない。

「随分、儲かっているのね、ヤクザなのに」

 ありさが無遠慮に大きな声で言ったので、すれ違ったおばちゃんの一団に不審者を見るような視線を浴びせられた。確かにありさの言う通り、狛犬興業のビルは一下請け企業の持ち物とは思えないくらい立派だった。地上十階、地下二階。飼い主に相当信用されているか、徹底的に教育されているかのどちらかだろう。可能性が高いのは後者だな。

「行くぞ」

 俺は意を決して、正面玄関の回転ドアを押した。その向こうにはエントランスがあり、受付もある。しかも、受付嬢までいた。但し、所謂いわゆる一般企業の受付嬢とは違う、どこのお店の子を使っているんだ、というような派手な化粧の茶髪の姉ちゃんだ。愛想は悪くはないが、どこか目つきが鋭い。見た事がない人間が入って来たから警戒しているのか?

「今日は。ちょっとお聞きした事があって来たんですけど、組長、あいや、社長さんはいらっしゃいますか?」

 ありさがわざとらしいボケを挟みつつ、姉ちゃんに尋ねる。姉ちゃんは一瞬険しい表情になったが、すぐに笑顔になり、

「アポイントメントはお取りでしょうか?」

 意味わかって言ってるのか、というくらい似合わない言葉を吐いた。

「取ってないですけど、杉下左京探偵事務所だとお伝えいただければ、すぐに通してもらえると思いますよ」

 ありさは姉ちゃんに負けないくらいの愛想笑いをした。姉ちゃんの顔が引きつった。俺の名前は聞いているのだろうか?

「少々お待ちください」

 姉ちゃんは慌てて内線電話をかけ、何やらヒソヒソと話している。俺はその間、エントランスを見回していたが、暴力団を匂わせるようなものは何もなかった。

「エレベーターで十階までどうぞ」

 姉ちゃんが素っ頓狂な声で告げた。ビビっているのだろうか? 上の人間に何か言われたな。

「ありがとう」

 俺は微笑んで礼を言うと、先に行くありさを追いかけるようにエレベーターホールに歩を進めた。

「意外にあっさり通されたな」

 俺はエレベーターが降りて来るのを待ちながら、ありさに小声で言った。するとありさはニヤリとして、

「上に着いた途端にブスって刺されたりして」

「ブスだけにか?」

 俺はいちいちつまらない冗談を言うありさを黙らせるためにきついジョークを見舞った。

「ひどおい、左京。女の子にブスなんて言っちゃいけないんだぞ」

 ありさはさも悲しそうな顔で抗議して来た。

「少なくともお前は『女の子』ではないぞ」

「またまたひどおい」

 ありさが口を尖らせて言った時、扉が開いた。中からいきなり銃撃でも浴びせられるかと思ってしまったが、そんな事はなく、無人だった。一応天井を確認し、乗り込んだ。

「上へ参りまっす」

 ありさが昔懐かしいエレベーターガールの口調を真似して階のボタンを押し、扉を閉じる。こいつ、本当に度胸がいい。ビルに入ってからずっと、俺は緊張しているのだが、ありさの行動でいくらか気が楽になっている程だ。まあ、昔からこいつは緊張とは縁がない奴だけどな。

「……」

 急に沈黙が続く。日本人は一般的にエレベーターでは無言らしい。さすがのありさも、少しは緊張しているのかと思ったが、只単に非常用の電話を悪戯しようか悩んでいただけだった。バカめ!

「お」

 そんな事を考えているうちにエレベーターは十階に着いた。また緊張して来る。扉がゆっくりと開くと、その向こうには中途半端に長い廊下にずらりと目つきの悪い連中が居並んでいた。出入りかよ、と突っ込みたくなるが、さすがにそんな命知らずな冗談は言えない。何しろ、総勢三十人はいたからだ。

「ようこそ、杉下左京さん。私がこの会社の責任者の狛犬こまいぬ厳三げんぞうです」

 そう言って進み出たのは恰幅のいい中年オヤジだった。頭は半分寂しくなっており、顔はでかい鼻と唇が余りにもインパクトがあり、人の顔をすぐに忘れてしまう俺でも一生覚えていられる自信があった。

「こちらの美人は奥様ですかな?」

 狛犬社長はニヤリとしてありさを見る。ありさは満面笑みになり、

「あらあ、私は副所長の加藤ありさですわ」

 そう言って、まだ持っていたのかという勝手に作った副所長の名刺を差し出した。しかも名字が変わっているという事は、作り直したという事だ。狛犬社長はワッハッハと笑い、

「それは失礼しました。立ち話では何ですから、奥へどうぞ」

 クルリと踵を返すと、スタスタと歩き出す。俺はありさと目配せし合って、その後に続いた。それにしても、建物からは何一つ暴力団の匂いを感じないのに、社員はヤクザ丸出しの連中ばかりだな。社長に言われているから手出ししないだけで、いつ襲いかかって来ても不思議ではない程鼻息が荒い奴もいる。

「ささ、どうぞどうぞ」

 狛犬社長に勧められて、豪奢な白い革張りのソファに亜梨沙と並んで腰を下ろした。あまりの柔らかさに床まで沈んでしまうのではないかと思った。

「探偵事務所の方が、ウチのような土建屋に何のご用ですかな?」

 まずはこちらの出方を探るつもりなのか、向かいに座った社長は何も心当たりはないという顔で尋ねて来た。俺は愛想笑いをして、

「実はですね、私のクライアントが車に轢かれそうになりましてね」

「おお、それは危なかったですね」

 あくまで善人ぶる社長が何だか滑稽に思えて来る。

「で、いろいろと調べてもらったら、その車があるところがわかったんですよ」

 俺はジッと社長の目を覗き込む。ほんの一瞬だが、その目が泳いだ。心拍数が上がっているのか、呼吸が速くなっている。

「ど、どこにあったのですか?」

 まだシラを切れると思ったのか、そんな事を訊いて来た。俺はニヤリとして、

「それが驚いた事に、お宅の資材置き場なんですよ。どういう事なのか、教えていただけないかと思いましてね」

 その言葉が終わらないうちに社長の顔色が悪くなった。周りに控えている子分、いや、社員達もソワソワし出している。

「何の事か、さっぱりわかりませんよ、杉下さん。車がウチの資材置き場に? おい、誰か、知ってるか?」

 自分でかわし切れなくなったのか、社長の無茶ぶりが始まった。社員達は全員首を横に振り、責任転嫁から逃げようとする。

「あ、そうですか。知らなかったのですか? そういう事なら、こちらは無関係ですね」

 俺はありさと顔を見合わせて、フワフワのソファから立ち上がった。社長がギョッとして俺を見上げた。

「じゃあ、加藤君、すぐに警察に連絡して、車両の移動をお願いして。指紋でも出れば、すぐに犯人はわかるだろう」

「はい、所長」

 ありさはニッとして応じる。狛犬の連中は歯軋りして悔しがっているが、知らないと言った手前、騒ぐ事ができないので何も言えないのだ。さあ、このままうまくいけば、ありさの作戦は必要ないんだが。

「お待ちください」

 社長の声のトーンが表から裏に変わるのがわかった。俺は社長を見下ろす。

「もしかすると、知り合いの車かも知れませんので、警察に通報するのはちょっと待っていただけませんかね、杉下さん?」

 社長は険しい表情で俺を睨んでいた。周りの連中も一気に殺気立って来た。一触即発って奴だ。

「いやああん、ありさ、気絶しちゃう」

 ありさがわざとらしい口調で言い、ソファに倒れ込んだ。結局これをやるのかよ。俺は落ち込みそうになった。社長も社員達も、いきなりありさが倒れたので、何が起こったのかわからないようだ。

「あんた達、幽霊はいると思うかい?」

 俺はありさの指示通りの臭い台詞を吐きながら、自己嫌悪に陥りそうだ。

「え?」

 社長以下全員、キョトンとしている。

「霊は存在するんだよ。その証拠に」

 俺は部屋の奥にある大きな掛け軸を見た。その途端、掛け軸が宙を舞い、まるで某漫画の妖怪のようにヒラヒラと舞い出した。

「ひいい!」

 いくら暴力団だろうが、いきがった人生を送って来ていようが、幽霊相手では得意の「チャカ」も使えないし、相手が見えないから凄む事もできない。熊の毛皮が踊り出し、神棚に飾られている日本刀が宙を飛ぶ。椅子という椅子がステップを踏んで、机の引き出しが開け閉めされる。ありさの「ポルターガイスト大作戦」は効果覿面で、全員が泡を吹いて気を失ってしまった。俺も一緒に気を失いたい心境だったが。

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