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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
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本丸への入り口

 相当疲れていたのかも知れない。夢を思い出せないほど、俺は深く眠っていたようだ。

「ほら、左京、起きなさいよ! あんたがそんな格好で寝ていると、先生と土方ひじかたさんがリヴィングに入れないでしょ!」

 耳元でありさが怒鳴っている。

「うるせえな、今何時だよ?」

 俺は霞む目を擦り、身体からずり落ちているタオルケットをかけ直して尋ねた。

「もう八時よ。そんな事より、あんた、いつから寝る時全裸なの? 樹里ちゃんと暮らすようになってから?」

 ありさの言葉に俺は色を失った。いかん。いつも寒い部屋で寝ていて、布団を頭まで被っているのに、夕べは坂本さかもと龍子りょうこ先生が気を利かせてくれて、エアコンを点けてくれたらしい。そのせいで俺はどんどん寝苦しくなり、いつの間にか全部脱いでいたようだ。

「あわわ!」

 大慌てで床に撒き散らしたモノをかき集め、素早く着込んだ。

「朝から先生が凄い悲鳴を上げるから、もう敵が襲ってきたのかと思ってびっくりしたのよ」

 つまり、坂本先生に大変な姿を見せてしまったという事らしい。俺は恥ずかしさと情けなさで身が縮むようだった。坂本先生の悲鳴でも目を覚まさなかったのだから、相当深く眠っていたんだな、などと呑気な事は言っていられない。謝罪しないと。

「やっぱり、左京と結婚すればよかったな」

 ありさがクスッと笑いながら囁く。寒気がしたが、無視して乱れた髪を手櫛で直した。

「久しぶりにいいモノを拝ませてもらったの。加藤君、それほどでもないからさ」

「え?」

 ありさの追加の言葉に俺は更にギョッとした。こいつ、相変わらず下ネタが好きだな。それさえ言わなければ、それなりにいい女なのに。でも、結婚したいとは思った事はないが。

「あ」

 俺は廊下からこちらを覗いている先生に気づいた。

「申し訳ない、だらしない格好を見せてしまって。許してください」

 床に土下座した。すると先生は、

「わ、私、見ていませんから……。お尻だけです。杉下さんがうつ伏せになっているのを見ただけですから、その……」

 どんどん顔が赤らんでいくのがわかった。

「ですから、もう忘れてください。私も忘れますから!」

 先生は土方さんにぶつかりそうになりながら、浴室に駆け込んでしまった。

「左京、ソファを消毒して、これも洗濯して返しなさいよ。ばっちいモノが接触したんだから」

 ありさが汚いものを摘むようにタオルケットを持ち上げ、俺に突き出した。

「わかったよ!」

 それを引っ手繰るようにして受け取った。土方さんの軽蔑の眼差しが刺さるようだ。

「報酬の件は、私が全部話をつけたから、後は頑張ってね、所長」

 ありさは捨て台詞のようにそう言うと、ニヤリとしてリヴィングを出て行った。


 先生が用意してくれた朝食を貪るように食べた俺は、

「美味しかったです」

 あからさまにお世辞とわかるような言い方をしてしまい、ありさに脇腹を肘で小突かれた。

「食べてもらえるだけで嬉しいです」

 坂本先生の変わりようはこっちが怖くなるくらいだった。あのツンケンした感じが全くなく、所謂「しおらしい」感じなのだ。対処に困ってしまいそうだ。

「よかったね。若い子に好かれるの、樹里ちゃん以外で初めてでしょ?」

 ありさがニヤニヤして小声で言う。確かに妻の樹里以外で俺に真っ直ぐな好意を寄せてくれている女性はいない。そう、女性はな。キャバクラにいたあかぎれんちゃんは、戸籍は男だからな。

「お」

 携帯が震えているのに気づき、ズボンのポケットから取り出す。JINのマスターからだ。何かわかったのだろうか?

「はい」

「おう、起きてたか、杉下さん。まだ寝ているかと思ったよ」

 マスターの軽い嫌味に苦笑いする。

「夕べは随分と騒がしかったらしいな?」

 マスターは全部知っているようだ。

「ああ。お客さんが入れ代わり立ち代わりで、大忙しだったよ」

 俺は廊下の先に見える応急処置をしたドアを見ながら応じた。

「こっちもてんてこ舞いだったよ。それでもいろいろわかったから、話がしたい」

「了解。一時間後に行くよ」

「わかった。コーヒー淹れて待ってるよ」

 俺は通話を終え、先生と土方さんを見た。

「マスターが情報を得たらしいです。一緒に行きますか?」

 坂本先生は土方さんと目配せし合ってから、

「貴方は土方さんのボディガードですよ。土方さんから離れないでください」

 そう言った時の瞳が潤んでいて、また何か罪悪感にさいなまれる。誤解させたくなかったが、何か気の利いた事を言おうと思い、

「貴女もマルタイですよ、先生」

 渋めの声で言った。マルタイとは犯罪の目撃者や重要な証言をする人で、犯人等に命を狙われている者の事だ。さすが弁護士さんだけあって、その言葉の意味を理解してくれたようだ。ありさが吐き気を催したような仕草をしたが、先生は嬉しそうに微笑んだ。

「はい」

 人間はここまで変わるものなんだなと感心した。何だかんだあったが、ようやくこのと仲良くなれそうな気がした。


 先生達が身支度を整えている間に俺は樹里の携帯に連絡した。

「はい」

 嬉しそうな樹里の声が耳に心地よく響いた。

「樹里、すまない。まだ帰れそうにない。生活に支障はないか?」

 俺がいない事で何か不都合があれば困ると思って尋ねた。すると、

「いえ、全然」

 けんもほろろな答えが返って来た。しかし、それが我が妻樹里なのだから。落ち込んだり怒ったりはしない。

「そ、そうか……」

 しかし、それでも悲しかったのは確かだ。そこで、

「もう少しで帰れると思う。すまない」

 言い添えてみた。

「寂しいですけど、我慢します」

 その言葉を待っていたのかも知れない。俺は嬉しくて泣きそうになった。しばらく樹里とやり取りして通話を切った時、

「ほら、左京、何をボケッとしてるのよ。行くわよ」

 いつの間にか女性陣が玄関に向かっていた。待っていた俺に声をかけてくれてもよさそうなものだが。まあ、いいだろう。

「意外に早かったな」

 俺はウィンドブレーカーを羽織ると、先生と土方さんを止めて、先に外に出た。ドアの向こうはまだビルの中だが、警戒するに越した事はない。人の気配がない事を確認してから、ありさに合図して二人を誘導し、エレベーターへと歩き出す。前を俺が、後方をありさが見張る。そこまでする必要はないのかも知れないが、昨夜の襲撃を思い出すと、決して過剰反応ではないと言える。

「左京、エレベーターは危険じゃないの?」

 ありさが嫌な事を言い出した。途端に先生と土方さんの顔が強張る。だが、俺は昨夜の階段地獄を思い出して、

「階段が安全とは限らない。むしろエレベーターの方が襲撃の可能性は低いだろう?」

「そうかなあ」

 不満そうなありさを押し切り、俺はエレベーターを選択して二人を搭乗させた。もちろん、中に不審者や不審物がない事を確認してからだ。ありさに言われたからではないが、やはり一階したに着くまで緊張感が身体を支配した。エレベーターは何事もなく一階に到着し、すでに賑わい始めたロビーに降り立つ。それでも人込みの中に敵が潜んでいる可能性は否めない。俺とありさは先生と土方さんを囲むようにしてビルを出た。

「ドキドキするねえ、左京」

 ありさは顔を紅潮させて嬉しそうだ。不謹慎な発言だが、ありさも元刑事だ。昔の血が騒ぎ出したのかも知れない。

「ああ」

 俺もそのドキドキを嫌だとは思わなかった。坂本先生と土方さんには申し訳ないが、それが本音だ。そうは思いながらも、何かがあったら一大事なのは間違いないので、俺はJINに着くまで気を抜かなかった。


「一応閉店にしておいた。邪魔が入ると困るんでな」

 マスターが扉を開いて出迎えてくれた。いつになく厳しい表情だ。そのまま奥の個室に行き、マスターの話を聞く事にした。

「あちこちに当たりをつけてみたら、車の行方がわかった」

 テーブルにいい香りのコーヒーカップを置きながら、マスターが話を切り出す。さすがだ。まだ警察ですら、そこまで掴んではいないだろう。

「恐らく、警察には辿り着けんだろうな」

 マスターの言葉に坂本先生が眉をひそめた。

「どういう事ですか?」

 俺には何となく理由がわかったが、ありさも土方さんもマスターの答えを待っているようだ。

「元警察官が絡んでいるからさ」

 マスターの言葉に先生の目が輝いた気がした。

「鷲鷹建設の警備を請け負っている会社の役員ですね?」

 彼女の顔が法律家のものになっていくのがわかる。マスターは小さく頷き、

「その通り。この事件、間違いなく鷲鷹建設が関与しているね。しかもかなり大がかりにね」

「大がかり? どういう事だ?」

 それは俺にも想定外だった。マスターは一口コーヒーを啜ってから、

「そうだろう? お二人を襲撃したのは国交省の役人。そして、その襲撃に使われたのは、鷲鷹建設に出入りしている警備会社の役員が手配した車。普通はここまで手をかけたりしない」

「確かに」

 マスターの説明に納得した。マスターはカップを持ったままで、

「何が目的かはわからないが、相当な人数が動いている。気をつけた方がいいぞ、杉下さん」

「只の入札の談合ではないという事だな」

 俺はなるべく先生と土方さんを怖がらせない言葉を選んで言った。

「マスターはどうしてそんな事までわかったんですか?」

 坂本先生が尋ねた。俺もマスターの情報網の秘密を知りたいと思った事があるが、ここまでストレートに尋ねた事はない。

「まあ、昔取った杵柄という事だ」

 マスターはニヤリとして言葉を濁した。坂本先生はそれ以上追及しても決してマスターが話してくれないのを悟ったのか、微笑み返しただけだった。

「それから、狛犬興業も関わっているそうだな?」

 そこまで情報が入っているのか? ちょっと怖くなってくる。

「ああ。加藤の話では、暴力団の隠れ蓑だとか」

「隠れ蓑にもなっていないよ。それにも関わらず、警察が手出しをできないのは、OBがたくさん役員として迎えられている警備会社の存在が大きい」

 要するに今回の一連の事件は、全部元警察官共が邪魔をしているという事なのだ。元同僚の平井蘭がどこまで捜査できるのか、心配だな。

「連中の目的は何だろう? 土方さんを巻き込んだUSBメモリの件はまやかしだと思うんだが?」

 俺はマスターの意見を聞きたくてそう言ってみた。するとマスターは、

「さすがに私にもそこまではわからん。鷲鷹建設の内部に関しては、警察以上に鉄壁の守りが敷かれていて、何もわからん」

 その答えに、俺はついありさと顔を見合わせてしまった。

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