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私立探偵 杉下左京  作者: 神村 律子
日本の闇の主
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しばらくぶりの依頼

 俺は杉下左京。警視庁捜査一課の警部まで務めた男だ。理由わけあって退職し、今では五反田駅の前に探偵事務所を開いている。前世の因縁か、普段の行いの悪さか、これが笑ってしまうほど繁盛していない。高校時代からの腐れ縁の加藤(旧姓:宮部)ありさに言わせると、

「閑古鳥すら鳴かない」

 そんな状態だそうだ。それはそれで余計なお世話だ。

 警視庁時代に知り合った不思議な女の子の御徒町樹里とは酷い目に遭ったりしながらも惹かれていき、遂には結婚をして、娘の瑠里を授かった。元同僚の平井(旧姓:神戸かんべ)蘭の言葉を借りると、

「史上稀に見るヒモ生活」

 確かに反論の余地はない。樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸のメイドであり、高名な推理作家である大村美紗先生に見出されて、女優の道も開け、映画にまで出演する売れっ子になっているのだから。だから、最初は樹里が杉下の姓を名乗ってくれないのが不愉快だったが、今では俺が「御徒町左京」でもいいとさえ思い始めている。

「良かったですね、ありささんが戻って来てくれて」

 樹里の三歳違いのお姉さんで、樹里と瓜二つの璃里さんが言った。璃里さんは二人目を妊娠したのを切っ掛けに、夫である竹之内一豊さんの希望で主婦業に専念する事になり、我が事務所を休職する。止めたいのは山々だが、只同然で働いてくれていた璃里さんにそんな事は絶対に言えないし、言ってはいけないと思った。それにしても問題なのは、ありさだ。こいつは警視庁にいた時、俺のせいで死にかけた。それもあって、雇うのを拒否できず、ろくに仕事もしないのに給料を払っていた。あれこれあって一度自分から辞めたのだが、また働きたいと言って来たのだ。ありさは死にかけた時に幽体離脱という奇妙な特技を身につけたので、俺が知らないうちにいろいろと情報を入手していたのかも知れない。だから、ありさが戻って来たのは決して「渡りに船」という訳ではないのだ。

「このままずっと復帰しないという訳ではないですよね?」

 俺はありさに聞こえないように璃里さんに尋ねた。すると璃里さんは、

「それはお応えしかねますけど、緊急の場合にはいつでも声をかけてください。そういう時は、事務員としてではなく、樹里の姉として貴方を助けますから」

 笑顔全開で言ってくれた。ああ、惚れてしまいそうです、お義姉ねえさん……。いかんいかん。


 璃里さんが仕事を離れて一週間が過ぎた。その間ずっと、我が事務所には依頼人は現れなかった。

「今日もお仕事ないの、左京?」

 無駄にでかい胸を押し潰すように机に突っ伏したままでありさが言う。すでに時刻は午後五時になろうとしている。外はすっかり夕闇だ。俺は椅子にふんぞり返って天井を睨んだまま、

「給料もらいたかったら、仕事探して来い!」

 そう怒鳴った。

「そこまでするのなら、辞めます」

 ありさはとんでもない返しをして来た。

「ふざけるなよ、ありさ! そんな事を言うのならな……」

 椅子から飛び起きた俺は、ゲル状になったありさに近づいて襟首を締め上げようと思った。その時だった。

「え?」

 思わずありさと顔を見合わせてしまった。音がしたのだが、聞き慣れない音だったので、それが何かわかるのに時間がかかった。

「ああ」

 もう一度鳴ったので、ようやくそれがドアフォンだと理解できた。慌ててドアに近づき、ノブを回して開いた。

「随分とフロアが広いみたいですね、杉下さん」

 そこに立っていたのは、同じビルの最上階に事務所を構える弁護士の女だった。ええっと、名前は何だっけ?

「愛想笑いはいいですから、中に入れてくれませんか?」

 グレーのスカートスーツをパリッと着こなし、楕円形の黒縁眼鏡をかけた長い黒髪のスレンダーな美人。普通の男なら、鼻の下を伸ばしそうな容姿だ。だが俺にとっては口喧くちやかましい隣人に過ぎない。ゴミの日を間違えるなとか、車の駐め方が悪いだとか、とにかく細かい嫌な女なのだ。決して、彼女が貧乳だから興味がないという事ではない。確かにかつては自他共に認める「おっぱい星人」であったが。

「了解」

 俺は脇に退いて彼女を通した。するとその背後にもう一人女の子がいた。黒のスカートスーツを着ているが、どう見てもまだ未成年だ。髪はショートで、大きな目をしており、俺の顔を怪訝そうに見上げている。身長は百五十センチ弱だろう。

「あんたの妹さんか?」

 俺は弁護士に尋ねた。すると弁護士は鬼の形相で俺に近づき、

「それ、セクハラ発言ですからね、杉下さん!」

「はあ?」

 何で「妹さんか?」と尋ねただけでセクハラになるんだ? これだから法曹関係者は嫌いなんだ。

「彼女は私のクライアントです! それに私より目上の方を妹さんかだなんて、失礼過ぎます!」

 俺はその弁護士に噛みつかれるのではないかと思うくらい、顔を近づけられた。

「そんなに顔を近づけなくても聞こえるよ」

 苦笑いしてそう言うと、弁護士はキッとして、

「わかってます!」

 更にヒートアップしたのか、顔が真っ赤になった。感情的になり易いのは、弁護士としてどうなのだろうかと思ってしまう。俺はもう一人の女性に視線を戻し、

「失礼しました。どうぞお入りください」

 そう促しつつ、ありさを見た。

「宮部君、お客様にお茶を」

「私、加藤なんですけど、所長」

 ありさは嫌味を言って立ち上がると、給湯室へと歩き出した。全く、どいつもこいつも……。

「私の名前をお忘れみたいですから、もう一度名刺をお渡ししますね!」

 弁護士はまだプリプリしながら、俺の眼を突くつもりとしか思えない角度で名刺を差し出した。

「ああ、そうそう、坂本さかもと龍子りょうこさんでしたね。失礼しました」

 これ以上怒らせるのは得策ではないと考え、下手に出た。どうやら仕事の依頼らしいからだ。俺は二人にソファを勧め、向かいに座った。坂本弁護士の依頼人の女性は坂本弁護士の隣にチョコンと座り、俯いたままだ。弁護士が騒がしいせいもあるが、大人しい人だ。まだ声を聞いていない。

「こちらは、土方ひじかた歳子さいこさん。元国土交通省の職員の方です」

 俺の意図を読んでくれたのか、坂本弁護士が言った。

「土方です。よろしくお願いします」

 土方さんの声が初めて聞けた。それにしても小さな声だ。

「探偵の杉下左京です」

 コートハンガーに無造作に引っかけた黒革のジャンパーのポケットを探って名刺入れを取り出し、いつ作ったのかわからないくらい前の名刺を差し出した。妙に反り返ってしまっているのはご愛嬌だ。

「ご用件をお訊きしてもよろしいですか?」

 俺は愛想笑いをして坂本弁護士を見た。そこへありさがお茶を淹れて運んで来た。

「どうぞ」

 相手が弁護士で金になりそうだと踏んだのか、俺には見せた事がない笑顔で言う。本当に現金な奴だ。

「土方さんのボディガードをお願いしたいんです」

 坂本弁護士はありさに会釈をしながら答えた。

「ボディガード?」

 頭の中であの名曲が始まる。給湯室に戻りかけたありさは足を止めて振り返った。

「土方さんは、もう二度も命を狙われているんです」

 坂本弁護士の言葉に俺は警視庁時代の血が騒ぐのを感じた。

こんな感じで続きます。

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