海から水槽へ
マイちゃんの家はワンルームのアパートだった。
バケツの中から部屋の様子を伺うと、少し散らかった部屋の真ん中に小さなテーブルが一つ置かれていて、その上には何やら化粧品らしき物や食べかけのお菓子、パソコンなどが置かれていた。
その横にはベッドがあり、枕元に縫ぐるみが置かれている。
よく見るとそれはタツノオトシゴをモチーフにしたキャラクターの縫ぐるみだった。
そういえばマイちゃんの携帯電話にもこの縫ぐるみと同じキャラクターのストラップが付いていた。
亡くなった彼を想う気持ちがまだ強く尾を引いているんだろう。
さらにキョロキョロ見回してみると、部屋の片隅に水を張った水槽が見えた。
「あの水槽ね、さっき授業が終わって一度帰った時に用意しといたんだ。
ヤスがあそこで待っててくれてる気がしてさ。
ごめんね、ちょっと狭いけど…気に入ってくれるかなぁ?」
マイちゃんはそう言いながらバケツを水槽の前まで運んだ。
そしてバケツの中の海水ごと、そっと俺を水槽に放ったその時…
フワフワと漂う俺の横を、猛スピードで落下していく石コロに危うくぶつかりそうになった。
「あれ?暗くて気づかなかったけど、バケツで海水を汲んだ時に一緒に入っちゃったかな?」
2センチ程の丸い石コロだが、俺にとってはまるで隕石だ。
あんなのが頭にぶつかれば軽いケガでは済まないだろう。
「危ないなぁ、もぅ」
ブツクサ言いながら慌てる俺をマイちゃんは特に気にする様子もなく、水槽の前に座りジッとこっちを見ている。
そして本能のままに掴まる場所を探すべく、ぎこちない泳ぎでウロウロする俺を見て言った。
「心配いらないよ。ヤスが不安にならないように飾りサンゴや海藻、いっぱい入れといたからね」
確かに掴む場所に不自由する事は無さそうだ。
俺は早速この水槽の中から部屋が見渡せる場所に置かれている海藻に尻尾を巻き付けた。
それを見てマイちゃんがこっちを見て微笑んでいる。
彼氏が亡くなる前は…
マイちゃんに寄り添って安心した彼氏の顔を、きっとそうやって微笑んで見てたんだろう。
「康弘。ずっと…一緒にいようね」
優しい顔でマイちゃんは言った。
その瞬間、俺の体に電気のようなものが走った。
なんだろう、この気持ちは。
心に初めて生まれた感情だった。
温かくて嬉しくて…
なんだか少し切ない。
この気持ちをどうすればマイちゃんに伝えられるだろう。
「マイちゃん…」
絞るように出した声は届くはずもなく、水槽のガラス越しにただ見つめる事しかできなかった。
その夜マイちゃんはベッドではなく水槽の前に布団を敷いて寝てくれた。
初めての水槽という空間で緊張のせいかなかなか寝つけなかった俺は、ひたすらマイちゃんの寝顔を見て時間を過ごした。
これからどんな日々が始まるんだろう…。
そんな事を考えながら過ごし、やっと睡魔が襲ってきたのは外が薄らと明るくなってからだった。
これがマイちゃんとの出会いだ。
「はーい、遅くなってごめんね。ヤス、ご飯だよー」
おっと、すっかり思い出に浸ってしまっていた。
マイちゃんがブラインシュリンプの入った容器とピペットを持ってこっちに来た。
これから待ちに待った餌の時間だ。
この家に来て一年、マイちゃんはイサザアミやブラインシュリンプなど、いつも欠かす事なく美味しい餌を用意してくれている。
こまめに水換えもしてくれるし、水槽がちょっと狭い事以外は本当に快適で満足のいく生活だ。
おかげで最近人間で言うところの『メタボ』になってしまった。
泳ぐ時にお腹がジャマをする。