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柚子の香りに包まれて

作者: 絵宮 芳緒
掲載日:2026/03/06

仕事も、恋もうまくいかない1日だった。


別部署の同僚に想いを伝えたのは、つい昨日のことだ。

返ってきたのは、やんわりとした断りの言葉。


それでも仕事は待ってくれない。

気付けば残業になり、帰宅した頃には心も体もぐったりしていた。


せめて、少しだけ気持ちを切り替えたくて、浴槽に柚子の入浴剤を入れる。


湯気の中で、甘くやわらかな香りが広がった。


湯船に肩まで浸かると、

張りつめていた気持ちが、少しずつほどけていく。


(大丈夫、大丈夫……)


自分にそう言い聞かせながら、静かに目を閉じた。


風呂上がり、スマートフォンが震える。

画面には、同じ部署の彼の名前。


「今から会いに行っていい?」


少し驚いたけれど、彼は真面目な人だ。

迷うことなく「うん」と返していた。


それからしばらくして、インターホンが鳴る。

ドアを開けると、彼は少しだけ気まずそうに立っていた。


「夜遅く、急にすみません」


そう言って、小さな紙袋を差し出す。


「柚子茶、持ってきました」

控えめに続ける。

「……部屋、入ってもいいですか?」


リビングで向かい合い、

マグカップに柚子茶を注ぐ。

湯気と一緒に、甘い香りが立ちのぼった。


しばらく他愛ない話をしていると、彼がふと顔を上げる。


「……いい香りがしますね」


「柚子茶ですか?」


そう聞くと、彼は少しだけ首を振った。


「……いや」

小さく笑う。


「柚子茶じゃないですね」

少し視線を逸らして続けた。


「……あなたから、です」


言ってから、はっとしたように咳払いをする。


「……すみません、変なこと言いました」


その不器用さに、思わず小さく笑ってしまう。


柚子の香りが、静かな部屋にゆっくり広がっていく。


帰り際、彼がひと言だけ告げた。

「また、来ても良いですか?」


柚子の香りに包まれた夜、

彼の前では少しだけ素直になれそうだった。


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― 新着の感想 ―
柚子が形作る再起の機会と更なる縁の話、よかったです。
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