柚子の香りに包まれて
仕事も、恋もうまくいかない1日だった。
別部署の同僚に想いを伝えたのは、つい昨日のことだ。
返ってきたのは、やんわりとした断りの言葉。
それでも仕事は待ってくれない。
気付けば残業になり、帰宅した頃には心も体もぐったりしていた。
せめて、少しだけ気持ちを切り替えたくて、浴槽に柚子の入浴剤を入れる。
湯気の中で、甘くやわらかな香りが広がった。
湯船に肩まで浸かると、
張りつめていた気持ちが、少しずつほどけていく。
(大丈夫、大丈夫……)
自分にそう言い聞かせながら、静かに目を閉じた。
風呂上がり、スマートフォンが震える。
画面には、同じ部署の彼の名前。
「今から会いに行っていい?」
少し驚いたけれど、彼は真面目な人だ。
迷うことなく「うん」と返していた。
それからしばらくして、インターホンが鳴る。
ドアを開けると、彼は少しだけ気まずそうに立っていた。
「夜遅く、急にすみません」
そう言って、小さな紙袋を差し出す。
「柚子茶、持ってきました」
控えめに続ける。
「……部屋、入ってもいいですか?」
リビングで向かい合い、
マグカップに柚子茶を注ぐ。
湯気と一緒に、甘い香りが立ちのぼった。
しばらく他愛ない話をしていると、彼がふと顔を上げる。
「……いい香りがしますね」
「柚子茶ですか?」
そう聞くと、彼は少しだけ首を振った。
「……いや」
小さく笑う。
「柚子茶じゃないですね」
少し視線を逸らして続けた。
「……あなたから、です」
言ってから、はっとしたように咳払いをする。
「……すみません、変なこと言いました」
その不器用さに、思わず小さく笑ってしまう。
柚子の香りが、静かな部屋にゆっくり広がっていく。
帰り際、彼がひと言だけ告げた。
「また、来ても良いですか?」
柚子の香りに包まれた夜、
彼の前では少しだけ素直になれそうだった。




