Stage1 遠いきらめきの世界
「ここな、あんたなんかいなきゃよかったんだよ!」
これは、海風ここなが家を飛び出す直前に聞いた母親の言葉だ。ここなは学校でいじめられ、親から虐待を受ける、そんな毎日を送っていた中学二年生だ。
ここなはもう家に帰らない、そのつもりで家を出た。ここなの気持ちとは正反対の、まぶしい夜の光。ここなの住む都会「ねおん市」は、夜でもにぎやかだ。
「どうして……私はこの世界にいちゃいけないの……?」
ここなの細い声は、人々の騒がしい声に飲み込まれた。冷たい風が、ここなの全身を震わせる。ここなは、近くのベンチに座る。
「どうやったら、楽にこの世界とお別れできるかな……」
ここなは、この世界のすべてが嫌いになっていた。周囲の光や家族、クラスメイト、そして自分自身。
ここなは、この世界とお別れする方法を調べようと、唯一持っているスマートフォンを取り出す。
「あっ……」
スマホの待ち受け画面に出てきたのは、ここなの唯一の生きがいである、白銀ゆきね。国民的アイドルだ。
「ゆきねさんのライブ……まだ行けてないな……」
大人気というのもあって、ここなはゆきねのライブのチケットを入手できたことがない。ゆきねは小学生の頃からの憧れで、ここなもアイドルになりたいと密かに思うきっかけとなった人だ。
「なんだかもったいないな……このまま、こことお別れするのは……」
ここなは、なんとかこの世とのお別れを踏みとどまる。
「はあ……どこで寝よう……」
今帰っても、母親からひどいことを言われるだけだ。人格を否定され続けてきたここなには、ネガティブな考えしか残っていなかった。
ここなはしばらくの間、行き交う人々や建物にともる光を眺め続けた。
その間、まぶしい光に、突然暗い影が差し込み始める。
「!?」
ここなは自分の目を疑った。暗い影とともに現れたのは、ドロドロした怪物だったのだ。
街の人々の盛り上がる声が、悲鳴に変化する。
怪物の影に追いつかれると、人々は気力を失っていく。
「何もかも嫌だ……」
「すごくつらい……」
人々はこうつぶやき始めた。ここなは、何が起こったのか理解できない。
やがて怪物は、ここなに向かってくる。ここなは、無意識に走り始める。
「来ないで……!」
ここなの心に、恐怖心が加わる。たくさんの人がおり、ここなはときどきぶつかりそうになる。そのうちに、怪物がここなに迫ってくる。怪物の影がここなに追いつこうとした、そのときだった。
ここなは突然、まぶしい光に包まれた。一瞬で光が収まる。気づけばここなの少し離れたところに、大きなステージがあった。
「いつの間に、あそこにステージが……?」
よく見ると、ステージの上には人の姿がひとつあった。白いドレスに、銀色の飾りがついた衣装の少女がいた。すると音楽が流れ始める。
「いつも~楽しい~キラキラの~世界~」
少女は、楽しそうに歌い踊り始める。ここなには遠くて表情が見えづらいが、表情が明るく見える。
ここなの周囲にいる人たちが、白と銀色のサイリウムを振り始める。ここなは、手にサイリウムを持っていることに気づく。
「あの子の歌、聞いてたら楽しくなってきた……」
ここなも無意識にサイリウムを振っている。
「誰も~世界の~すべてを~知らないから~」
少女の歌に、ここなの心が刺激されていく。
「あの子、見たことないのに、トップアイドルみたいに歌が上手……」
ここなは、ポジティブな歌詞と綺麗な歌声に魅了されていた。ここなの暗い気持ちを、少女の歌が明るく塗り替えていく。
「きっと~魅力的な~場所が~あるよ~」
明るい音楽が止まり、少女は笑顔でポーズを決める。ここなの周囲の人たちが、一斉に拍手を送る。ここなも、遅れて拍手する。
すると歌っていた少女の頭上に、虹色の音符が現れた。ゆっくり落ち、少女の手に乗る。
「あれは何だろう……?」
「スノー・ダイヤモンドショット!」
少女が呪文らしきものを唱える。すると少女の手から、小さなダイヤモンドがいくつか飛び出してくる。
「!?」
小さなダイヤモンドは、ステージ付近にいるドロドロの怪物に命中していく。やがて怪物は溶けていなくなった。
「アイドルが、怪物をやっつけた……!?」
怪物がいなくなって少しすると、周囲は光に包まれた。
「あっ、戻った……」
ここなは、元の都会にいた。周囲の人たちは、何事もなく歩いている。どこか楽しそうな声が聞こえてくる。
「さっきの子は誰だったんだろう……? でもまさか今日、アイドルのライブを見られるなんて……」
思わぬ形でライブを見たここなは、悲しい気持ちがほとんどなくなっていることに気づく。
「この世界のすべて……私も知らないよね……だから今こことお別れなんてしたくない」
先ほどの曲の歌詞を思い出し、ここなは明日を生きることを決意した。
そしてここなは、母親が寝静まった深夜に、帰宅した。
★
翌日、学校に登校したここなだったが。
「ここな、お前なんか必要ないんだよ!」
クラスメイトたちからこう言われた。教科書には、ここなを否定する言葉で落書きがされていた。ここなは、過呼吸になりながら授業を受けた。
授業終わりにここなは、長期間続くいじめに耐えられず、学校の行き帰りに通りかかる精神科へ立ち寄った。受付に行き、問診票を記入する。
「どれも当てはまるな……」
眠れない、一日中悲しい、疲れやすい、悪いことばかり考えてしまう……。ここなは、いくつかの項目にチェックを入れていく。
しばらくして呼ばれたここなは、医者に問診票を提出する。
「ずっといじめられてて、親から毎日ひどいことを言われて、一日中すごくつらいです……。何も楽しくなくて、この世界とお別れする方法を考えてしまいます……」
「これはうつ病ですね……。一日中つらい状況が続くことは、うつ病の症状の1つです」
ここなは、声を出せなかった。ここなにとっては、聞いたことのないものだったからだ。
「大丈夫。ここなさんに合った治し方は、きっと見つかりますよ」
医者の表情は柔らかく、ここなの心に安心感を与える。ここなは小さくうなずいた。
★
ここなは、親に会うのが怖いと思いながら帰宅していた。そのとき、誰かに声をかけられる。
「ふふっ、やっと会えた……海風ここな」
「!?」
ここなに話しかけたのは、五線譜や音符が書かれた白い服の青年だった。
「あなたは……? それにどうして私の名前を……?」
ここなにとっては、明らかに初対面の人だ。
「僕は五線譜トーン。別の世界から来た。君をずっと探してたんだよ」
どこか怪しい雰囲気のセリフを放つ青年、五線譜トーン。しかしトーンとの出会いが、ここなの人生を一変させることになる。
「君、アイドルになりたいんだよね?」




