非モテ陰キャの俺が罰ゲームで陰キャぼっちオタクに告白したら実は超人気アイドルだった彼に溺愛されてます!?
「ねえ、アイツに告白してきてよ」
「えっ……!?」
「できるでしょ? 購買のパン買ってくるの遅れた罰ゲーム」
「いや、でも……」
「なに、やんないの? うわあシラけるわ~」
高校三年生の冬。俺、当麻琉衣はいつものようにクラスメイトたちから『罰ゲーム』を受けさせられていた。
指名されたのは、同じクラスの斎藤我玖だ。彼は俺と同じ陰キャで、あまり登校してこない一匹狼。
今日まで散々『罰ゲーム』をさせられてきたけど、他人を巻き込むようなものは初めてだった。
「だって、告白って……斎藤くんは男……」
「シラけんなあ。陰キャが陰キャにフラれるトコが見てえんだよ。それとも別の罰ゲームにすっか?」
「……わかり、ました」
嘘の告白なんかしたくない。だけど断ればさらに罰ゲームが過激化することも、これまでの経験で承知している。
拒否すれば次はどんなことをさせられるかわからない。
俺は覚悟を決めると、教室の中央辺りにある斎藤くんの席へと足を向けた。注目を集める座席の配置だけでもすでに罰ゲームだ。
「……あ、あの……斎藤くん」
「…………」
「さ、斎藤くん……!」
「……? なに」
机に突っ伏して昼寝をしていたらしい彼は、ようやく俺の声に気がついて顔を上げてくれる。
といっても、黒くて長い前髪に隠れてその表情を見ることはできない。
「えっと……その、俺……斎藤くんのことが……好きです」
「…………」
申し訳ないとは思いつつ、早くこんな惨めな時間を終わらせてしまいたかった。
後ろでわざとらしく囃し立てる声が聞こえる。俺がフラれるのを今か今かと待っているのだ。
今すぐ走って逃げ出したい。そんな風に思っている俺の心情など知らず、彼は口を開こうとしてくれない。
突然の告白に面食らっているのだろうか? 同性からのものとはいえ、彼だってきっと告白なんてされ慣れていないはずだ。
(無理もないけど……お願い、一言でいいから早く断ってくれ……!)
震えてしまいそうな膝を叱咤しながら、俺はじっと彼の言葉を待つ。しかし、耳に届いたのは思いがけない言葉だった。
「ああ……じゃあ、よろしく」
「……へ?」
よろしくとは、どういう意味なのだろうか?
てっきり『無理』『俺は好きじゃない』くらいの答えが返ってくるものとばかり思っていたのだが。
「当麻くん、俺のこと好きなんでしょ? だから、よろしく」
「え、それって……付き合う……って、こと?」
「うん?」
まさかOKの返事が飛び出すとは想定していなかった。それは俺だけではなく、クラスメイトたちも同じだったのだろう。
けれど陰キャ同性同士の交際という図は、彼らにとって逆に良いネタとなったらしい。
途端に周りに集まってきたクラスメイトたちが、カップル成立を祝福してくれた。
(ああ……どうやって本当のことを伝えよう)
彼は告白が罰ゲームだったなんて思っていない。俺の中には、彼に対する特別な感情なんてひとつもないのに。
その事実をどう伝えるべきかと悩んでいるうちに、気づけば放課後。斎藤くんの姿はどこにも無くなっていた。
(どうしよう、俺……斎藤くんの連絡先も知らない……)
また明日、改めて斎藤くんに話をしなければならない。俺は肩を落としながら、その日は仕方なく家に帰ることにした。
翌日、いつもより俺は早めに学校へ登校していた。
早い時間ならば教室に人も少ないし、斎藤くんがいればすぐに事情を説明できると思ったからだ。
だが、斎藤くんの姿は無かった。それどころか授業が始まっても彼は姿を現さない。
(もしかして、罰ゲームってわかってて……だから登校しづらくて……?)
せめて女子からの告白だったなら、斎藤くんだって嬉しかっただろう。
だが相手は陰キャで男の俺なのだ。自分が彼の立場だったとしても、嬉しい告白ではない。
(それでもあの場で断らなかったのは、斎藤くんなりの優しさだったのかな)
彼にフラれていたら、大勢のいる教室の中でもっと惨めな思いをしていたことだろう。クラスの中に、俺の味方はいない。
そう思うと余計に、彼のくれた優しさが俺を申し訳ない気持ちにさせた。
そんなことを考えていた放課後、突然廊下の方が騒がしくなる。心なしか黄色い声が多いのが不可思議だ。
その騒がしさはやがてクラスの目の前まで来たかと思うと、教室の扉が開かれた。
「えっ、嘘……!?」
「なに、撮影とか!? あり得ないんだけど……!」
窓際の最後列に座る俺からは、人だかりで扉の方がよく見えない。けれどクラスの女子たちが何かに驚き、色めき立ったのがわかった。
その人だかりは少しずつ道を作るように分かれていき、その中心にいた人物がようやく俺の視界でも捉えられるようになる。
「当麻くん」
「……え?」
名前を呼ばれるとは思わず、俺はぽかんとした顔のまま相手を見上げる。そこにいたのは、紛れもない陽キャのイケメンと呼ばれる部類の男性だった。
雪のような灰色の髪にゆるいパーマをかけて、何となく薄く化粧もしているように見える。
(というか、この人どこかで見たことある気が……)
答え合わせをしてくれたのは、クラスの女子たちだった。
「あれって冬芽じゃない!?」
「冬芽って、超売れっ子アイドルの冬芽だよね!? 本物!?」
(冬芽……って、もしかしてあの冬芽……!?)
今、日本中の若い女性を虜にしているアイドルグループがある。
SeaSonSという四人組で、春希、夏月、秋夜、冬芽は、全員が国宝級のイケメンなのだ。
そのSeaSonSの冬芽がどうしてだか俺の学校に、そして俺の目前にいる。
「おはよう」
「お、おはよう……ございます」
もうおはようという時間ではないのだが、芸能界での挨拶はそうなるのだろうか?
笑顔で挨拶してくる冬芽に、俺は混乱したまま挨拶を返す。
他のクラスから彼を見にやってきた人たちも廊下に集まっていて、その全員の視線がこちらに向けられているのがわかった。
(どうして冬芽が俺に話しかけてくんの……!?)
ただでさえ俺はクラスメイトたちに目をつけられている。
なるべく注目されないよう生きていきたいのに、こんなのは目立つなという方が無理に決まっている。
「うーん、やっぱりわかんないよね」
「え……あの……?」
俺の反応を見て、冬芽はなぜだか残念そうな顔をする。次いで目の前にしゃがみ込んだかと思うと、彼は俺の手を取った。
「!!??」
クラス中で阿鼻叫喚の悲鳴が上がっているのが聞こえる。
「俺たち、付き合ってるんだよ?」
「へ……?」
「だって昨日、告白してくれたでしょ? だから俺たち、付き合うことになったじゃん」
「いや、あの、俺は……」
告白はした。確かにした。
けれど、それは我がクラスの中でも陰キャで一匹狼の斎藤我玖に対してであって、超人気アイドルの冬芽ではない。
「俺、斎藤我玖」
「え、いや……いやいや、そんなわけ……!」
「コレ、証拠」
冬芽と斎藤くんは、どう見たって対極に位置するような存在だ。
自分のことを棚に上げてこんなことを言うのは気が引けるが、斎藤くんは間違いなく、俺と同じ部類の人間だろう。
これもまたクラスメイトの手の込んだ嫌がらせなのかと思っていた。しかし、彼が提示してきたのはこの学校の学生証だった。
「さ、斎藤……我玖……?」
そこに記されている名前は間違いなく斎藤くんのもので、写真も俺のよく知る彼の姿に間違いない。
「どう? 信じてくれた?」
上目遣いで俺を見てくる彼の顔は、あまりにも整いすぎていて直視できない。
雑誌で見る彼は修正されているのだと思っていたが、生で見る彼の方がむしろより人間離れした美しさを放っている。
「わ、わかりました……! 信じますから、手、手を……! 離してください!」
「え、やだよ。だって俺たち付き合ってるんだから、手くらい繋ぐでしょ?」
そう言ってにっこりと微笑む彼に、俺は気を失いそうになった。
どういうわけだか、人気絶頂のアイドル・冬芽と陰キャの俺は付き合っていることになっているらしい。
こんなことはあり得ない。夢なのだと思い込もうとしたのだが、握られた手から伝わる温もりは紛れもない本物だ。
「え、冬芽が斎藤我玖だったってこと……?」
「マジ!? でも何で急に正体バラすようなことしたの? 今まで隠してたってことだよね?」
周囲の女子たちが騒ぎ出したことで、俺の意識は少しずつ現実に帰ってくる。彼女たちの言う通りだ。
これまで斎藤我玖があの冬芽だなんて、誰も予想すらしていなかった。まず斎藤くんの顔を見たことがある人だって、いなかったのではないだろうか?
それがアイドルであることを隠すためだというのなら納得だが、なぜ今こんな風にバラす必要があったのか。
「事務所から、もう隠さなくていいってOKが出たんだよ。今日は仕事終わりだからこの格好のまま来ちゃったけど、普段はもう少し地味にするよ。学校にも迷惑かかるしね」
なるほど、普段のあのもさもさとした黒髪は地毛ではなく、派手な髪色を隠すためのウィッグだったのか。
(そういえば、体育の授業も病弱で休んでるって聞いたことあるけど……あれは怪我をしないようにってことだったのかな)
テレビで観る冬芽は、バク転をしたりアクロバティックな動きをすることも多い。病弱で運動神経が悪いとは到底思えないが、それならば納得だ。
「えーヤバ! あの冬芽と同じクラスとか超自慢できるんですけど!」
「ねえ冬芽! 一緒に写真撮って!」
「サインも欲しい! おねが~い!」
斎藤我玖が冬芽だと判明した途端、クラス中の女子が一斉にこちらに群がってくる。冬芽は特に気にした様子もないので、こんな状況には慣れているのだろう。
SeaSonSは距離の近さなど、ファンサービスの良さもウリにしている。
親しみやすさが人気の理由のひとつでもあるので、それらの要求に応じるものかと思っていたのだが。
「悪いけど、当麻くんと話してるから邪魔しないでくれるかな?」
「え……?」
その言葉に、興奮気味だった女子生徒たちの空気が凍りついたのがわかる。それは俺自身も同じだったのだが、彼は構わず俺に笑顔を向けてきた。
「ああ、付き合ってるんだからもう苗字呼びじゃよそよそしいかな。琉衣って呼ぶから、俺のことも我玖って呼んでよ」
「いや、あの……冬……斎藤くん、みんなが……」
「あんな奴ら気にしなくていいよ。それより、名前で呼んでってば。ホラ!」
「が……我玖、くん……」
「うん!」
顔が整っているからというだけではなく、子犬のように嬉しそうに笑う彼はとても可愛い。
可愛いが、それ以上に彼の背後から俺に向けられる嫉妬や怒りの視線が突き刺さって、それどころではない。
「冬芽、そんな地味男に構ってないで、アタシたちと話そうよ!」
「そうだよ、冬芽の仕事の話とか色々聞きた~い!」
「非モテ陰キャはさ、冬芽のノリとは合わないよ? 人をシラけさせる天才なんだから」
「っていうか、アンタもさあ。まさか本気で冬芽に相手にされてると思ってる? からかわれてるかどうかくらい、見極められるようになんないと恥かくだけだよ?」
彼女たちの言葉に、俺は反論することができない。だって、その言葉はもっともなのだ。
キラキラした世界で活躍する冬芽は、ジメジメとした世界で暮らす俺とは真逆の存在なんだから。
「……お前らってさ、ホント醜いよな」
そんな棘だらけの言葉を一蹴したのは冬芽だった。
普段はニコニコと笑顔を振りまくわんこ系アイドル、なんて言われているのに。その彼が、まるで氷のような冷たい目をしてクラスメイトを見ている。
「普段は俺に無関心どころか、陰でコソコソ好き勝手言ってたよな? 聞こえてねえと思った?」
「そ、それは……っ!」
「陰キャのぼっち君。最底辺の負け犬。根暗オタク。あと何だっけ? 言われすぎて覚えきれないわ」
そう。斎藤我玖として扱われていた時の彼もまた、俺と同じように陰口を叩かれていた。
俺のように罰ゲームを受けたりはしていなかったけど、理不尽なことを言われて馬鹿にされていたのだ。
「SeaSonSの冬芽だってわかったら、お前らの言ったことって帳消しになんの? なんねえよな? そんな奴らに、何で俺が媚び売らなきゃなんねえわけ?」
彼の言うことは当然だ。今まで自分に対して散々な態度を取ってきたクラスメイトを相手に、アイドルとして接する必要などない。
ましてやプライベートな時間なのだから。
それでもSeaSonSの冬芽は、こんな風に口が悪いイメージは無かった。だからこそ、みんな余計に驚いているのだろう。
「そんじゃ琉衣、一緒に帰ろうぜ。昨日は学校終わってすぐ仕事だったから、一緒に帰れなかったんだよな」
「あっ、あの……」
「ちょっと待ちなさいよ!」
俺の手を引いて立ち上がらせた彼は一緒に下校しようという。そんな彼の行く手に立ちはだかったのは、クラスの中心的女子だった。
「……何? 俺たちもう帰るんだけど」
行く手を遮られた冬芽は、不快そうな態度を隠そうともしない。
しかし、立ちはだかった女子生徒も引くに引けないのだろう。
彼女はクラスの中心人物の一人である、瀬尾珠里だ。キツめの美人で女子のボスであり、俺に対するいじめを主導していた人物でもある。
普段は男子生徒に囲まれていることもあって、余計に冬芽に相手にされないことが悔しいのかもしれない。
思えば彼に告白するという罰ゲームを考えたのも彼女だ。それがこんな結果になったことで、さらに怒りを募らせているのだろう。
「人気絶頂のアイドル冬芽が、堂々と恋人なんか作って世間が黙ってると思う? しかもその相手が陰キャの男だなんて、人気ガタ落ちになるんじゃない?」
確かに、彼のファンの大半は同年代の若い女性ばかりだろう。
人気絶頂のこの時期に同性の恋人ができたとなれば、メディアだって放っておかないだろうし、ファンの激減は必至だ。
ましてやSNS全盛期のこの時代に、これだけの人間を前にして恋人宣言だなんて。どうしたって広まらない方が難しい。
「お前らが黙っててくれれば済む話だけど」
「アタシらが黙ってるハズなくない? 写真でも撮って拡散したらあっという間にアンタのアイドル人生終わりよ?」
瀬尾さんは、やると言ったら間違いなくやるだろう。SNSのフォロワー数ももうすぐ1万に届くと言っていたのを聞いたことがある。
そんなアカウントで拡散されれば、瞬く間に情報は広まっていく。
(マズい状況だっていうのに、どうして冬芽……我玖くんはこんなに落ち着いてるんだ?)
アイドル生命が懸かっている状況なのに、彼は表情を変えることもない。それどころか、俺と繋いだ手すら離さないままなのだ。
「あ、あの……我、……斎藤くん」
元々、俺が罰ゲームで告白をしたのがいけないのだ。この場で別れてしまえば冬芽に恋人がいるという事実は無くなる。
そう思って声を掛けようとしたのに、彼は拗ねたような表情で俺を振り返る。
「だーから、我玖! 琉衣が慣れるまで何度も呼ばせるよ?」
「が、我玖くん……俺たち……」
名前で呼ばないことを怒りだす彼に、仕方なく従って話を続けようとする。
けれど名前を呼ばれたことで満足したらしい彼は、再び瀬尾さんたちの方へ向き直ってしまった。
「拡散したけりゃすれば? まあ、その場合は俺も黙ってないけど」
「何よ、訴えるとか言うつもり? 残念だけど誹謗中傷でもデマでもなければ事実だし、どう考えたって困るのはそっちだと思うけど」
「……ホントにそうかな?」
そう口にした冬芽は、ポケットから自身のスマホを取り出した。
何かを操作した後に再生されたのは、ひとつの動画だった。どうやら、スマホで撮影していたものらしい。そこから流れ出した音声に、俺はよく聞き覚えがあった。
『ホ~ラ当麻、こっからダッシュでパン買ってこい』
『あとジュースも! アタシ無糖の紅茶ね』
『俺はコーラ! 五分で戻ってこなかったら罰ゲームな!』
『次の罰ゲームは画鋲一気飲みにしちゃう~?』
『で、でも五分なんて無理……』
『早く行けよ! 非モテ陰キャはほんっとシラけさせる天才かよ』
それは昨日の昼休みに俺が彼らに言われていたことだ。動画の中には、その時の様子も映り込んでいるのだろう。
「ちょ、ちょっと何よコレ……!? アンタ盗撮して……!?」
「俺のプライベートを拡散するんだろ? だったら俺も、お前らのプライベートな『お遊び』を拡散してやるってだけの話だよ。もちろん動画は、これ以外にも残ってるけど」
これまで彼女たちは、人目を憚ることもなく俺に対するいじめを続けてきた。
それは彼女たちに逆らえる人間が誰もいなかったのもあるが、同じように楽しんでいた人間が多かったのもあるだろう。
クラスメイトだけではない。他のクラスでも、『俺のことはいじめていい対象なのだ』と認識している人間は大勢いた。
だって、誰も助けてなんてくれなかったんだから。
「そ、それを拡散って……ちょっと待ってよ、そんなことしたら……」
「瀬尾、お前第一志望の大学受かったって言ってたよな? そっちのお前も、進学はしないで就職だっけ? こんな動画拡散されたら、全部ダメになるかもなあ」
進学や就職がダメになるどころではない。顔も制服もバッチリ映っているし、一度ネットに拡散された動画は、一生消えることはないだろう。
あんな動画が出回れば、その後の人生が終わるといっても過言ではない。
ましてや冬芽のアカウントのフォロワー数は、瀬尾の比ではないのだ。
それだけの人間に悪行を知られれば、もう顔を上げて街を歩くこともできなくなる。
「黙ってりゃいい。簡単なことだ、できるよな?」
「……は、はい……」
いつどこで、どれだけのいじめの動画が撮影されていたかを知るのは、冬芽ただ一人だ。
これまで関わった誰もが、その代償を支払うことになる可能性がある。冬芽の言葉に、彼女たちは黙って頷くしかなかった。
「じゃ、改めて帰ろっか」
先ほどまでの冷たい態度が嘘のように、冬芽は俺の手を引いて今度こそ教室を出ようとする。
だが、やられっぱなしのままでは気が済まなかったのだろう。
「っ、冬芽……! そいつ、ホントはアンタのこと好きじゃないよ!」
瀬尾が俺たちの背中に向かって声を上げる。立ち止まった彼の、握る手の力が少しだけ強まったような気がした。
「だって、罰ゲームで告白しただけなんだから!」
すっかり失念しかけていたが、俺は彼に嘘をついていた。いくら罰ゲームだったとはいえ、彼を騙していたことに違いはないのだ。
冬芽というアイドルに憧れの感情はあるが、斎藤我玖という人間に対する特別な感情はない。
(……我玖くんは、俺にも失望するかな)
けれどどうしてだかそれを想像すると、胸が締め付けられるような思いがした。
「……だから?」
だが、瀬尾を振り返った冬芽は短くそれだけを口にする。
瀬尾は唖然とした様子で、それ以上言葉を続けることができないようだった。
そのまま自然と人波が避ける廊下を通り過ぎていくと、俺たちは昇降口まで辿り着く。
冬芽の姿のまま外に出るのかと思いきや、彼は鞄に入っていた黒のウィッグを手早く装着した。
(ああ、いつもの我玖くんだ)
見慣れた姿に、何となくホッとする。それと同時に、再び手を取ろうとする彼の腕を俺は咄嗟に振り払ってしまった。
「……!?」
「あ、あの……我玖くん、俺……ごめんなさい」
「どうして琉衣が謝るの?」
「だって、俺、我玖くんのこと騙してた。罰ゲームだからって告白して、我玖くんは優しいから付き合おうって言ってくれたけど……俺が恥をかかないように気遣ってくれたんだろ?」
彼は俺の告白が罰ゲームだということを知っていると言った。あの時も眠ってなどいなかったのだ。
アイドル生命も危うかったというのに、リスクを負ってまで助けてくれた。そんな優しい人をこれ以上俺なんかに付き合わせるわけにはいかない。
「だけど、もう大丈夫だから。これ以上、我玖くんに迷惑かけるようなことはしたくない。だから……」
「もしかして、琉衣を助けるために付き合おうって言ったと思ってる?」
「え……? だって……」
俯いていた顔を上げると、彼はなぜだかまた拗ねたような表情を浮かべていた。口先を突き出す仕草は、年齢よりも彼を幼く見せる。
俺の手を取った彼は、指同士を絡ませるように繋いでくる。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「琉衣のこと、ずっと助けたいと思ってた。だけど、俺はアイドルなんかやってるから下手に動けないし、少し注意したくらいじゃアイツら止めそうになかっただろ? だから琉衣には悪いけど、まずは証拠集めを優先したんだ」
「し、証拠集めって……どうしてそこまでしてくれたの?」
見て見ぬふりをしたって、誰も責めたりなんかしない。だって、俺を知る誰もがみんなそうしてきたことなんだから。
「そんなの、琉衣のことが好きだからに決まってるだろ」
手元に意識が集中していて、話が半分ほどしか入ってこなかった。けれど俺は今、とんでもないことを言われなかっただろうか?
「デビューしてから売れるまでは、恋愛関係はご法度だった。けど、最近になってようやく禁止が解けたんだ。俺さ、もうすぐアイドル辞めるんだよ」
「え!?」
「辞めるっていっても芸能界は続けるんだけど。アイドルじゃなくて、ずっと俳優をやりたかったんだ。それが認められて、高校卒業したら演技の方に集中すんの」
「そ、そうなんだ……」
人気絶頂のアイドルだというのに、それを捨ててまで俳優に転向するというのは驚きだった。だけど、それと俺のこととはどう関係があるのだろうか?
「俺が俳優目指そうって思ったの、琉衣のお陰なんだよ?」
「え、俺……!?」
「一年生の頃、学園祭でさ。俺のクラスはお化け屋敷やったんだよ。俺は脅かし役だったんだけど、入ってきた琉衣がスゲー怖がってくれてさ。感想聞いたクラスメイトに……」
「落ち武者やってた人の演技、すごく怖かったです……?」
「……! そう、それ!」
彼の言葉に、当時の学園祭の時の記憶が蘇る。
友人もおらず一人で校内をフラついていた俺は、客引きの生徒に促されるままに、お化け屋敷に入ったのだ。
その中で遭遇した落ち武者がとても怖くて、そう伝えた覚えがある。
「あれ、我玖くんだったんだ」
「俺、あの頃ずっと自分の演技に対して自信持てなくてさ。アイドル続けるのが無難なんじゃないかって悩んでたんだけど……琉衣のあの言葉で、やっぱり俳優目指してみようって思えたんだよね」
そんなつもりではなかった俺の言葉が、知らず彼の背中を押していたのか。
「おかげで今の俺がある。あの頃からずっと、俺にとって琉衣は特別な人だったんだよ。だから、琉衣に告白された時はスゲー嬉しかった。……罰ゲームだってわかってても」
俺のことを好いてくれている人なんていないと思っていた。少なくとも、俺の味方なんてこの学校には存在していないと思ってたのに。
「だからさ、俺にチャンスが欲しい」
そう言う我玖くんは、真正面から俺を見つめてきた。
「半月……いや、一週間でいい。俺と恋人になってよ!」
「こ、恋人にって……」
「琉衣はさ、別に俺のこと好きじゃないでしょ?」
「それは……その……」
「いいよ、わかってる。だって俺たちまともに喋ったことないし。だから、この一週間で俺のことを知ってほしいんだ。その上で、無理だって思ったら断ってくれていいから!」
そう言って頭を下げた後、我玖くんはちらりと上目遣いで見てくる。
「……ダメ?」
きっと自分の魅力をわかっていてやっている。ダメ押しのこの表情に逆らえる人間は、たとえ同性だとしても果たしてどれだけ存在するのだろうか?
「…………わかった、一週間なら」
「!!! やった、ありがとう琉衣! 俺、絶対に琉衣のこと惚れさせてみせるから!!」
こうして俺は、我玖くんと本当に(お試しだけど)付き合うことになったのだ。
「おはよ、琉衣!」
「お、おはよう。我玖くん」
いつものように登校した俺を、いつもと違う日常が出迎える。
自分の席についた俺を見つけた我玖くんが、嬉しそうに歩み寄ってきたのだ。
普段なら、朝一番に自販機で飲み物を買ってこいなんて言う瀬尾さんたちも、今日は俺に近づこうともしない。
「今日さ、数学当たるんだけどノート忘れちゃったんだよね。見せてくんない?」
「うん、いいよ」
「サンキュー!」
前の席の椅子を引き寄せて向かい合うように座った彼は、差し出したノートの中身を写している。
今日は黒いウィッグをしているので、俯いていると表情はまるで見えない。
けれど、そのウィッグの下は間違いなく、あの人気アイドルの冬芽なのだ。
昨日の帰りに、我玖くんはこんな提案をしてきた。
「琉衣~、この問題難しすぎんだけど。こんなの授業でやった?」
「やったよ。ああ、でもこれは引っ掛けかな。この数式をこうして……」
「あ、マジだ。解けた! 授業中当てられてもスラスラ解くし、琉衣って頭いいんだなあ」
授業中のことまで覚えているのかと少し気恥ずかしいが、彼は本当に俺のことを見てくれていたのかと驚く。
逆に、普段は寡黙で謎の多かった我玖くんは、意外と勉強ができないのだということも知った。
(確かに、テレビで観る冬芽も頭脳系っていうより、スポーツ万能で甘え上手ってイメージの方が強いかな)
彼の所属するSeaSonSは、バラエティー番組などにも引っ張りだこだ。
クイズ系の番組では、正解を出すというよりも珍解答を叩き出すイメージの方が多いかもしれない。
「あ、なんか笑った?」
「えっ、ううん? 気のせいじゃない?」
「……ホントかなあ?」
長い前髪の下からじっと俺を見つめてくる表情に、耐え切れずにノートで視線を遮る。
これまでは気がつかなかったのだが、これだけ至近距離になると、さすがにウィッグで隠れていても顔立ちの良さがわかる。
「琉~衣」
「そ、そろそろ授業始まる……!」
そう言うと、渋々諦めた彼は自分の席へと戻っていった。
俺は熱くなっていた顔をノートで扇いでいたのだが、ふとこちらに向けられている視線に気がつく。
「ッ……!」
俺の斜め前の席に座っている、瀬尾さんのものだった。
忌々しいと言わんばかりに、込められた憎しみを隠そうともしない目だ。
咄嗟に視線を逸らしたものの、俺の心臓は先ほどまでとは違った意味でドキドキとしていた。
昼食は当然のように我玖くんと一緒に食べることになる。
購買のパンを買ってきていた彼は、俺の弁当箱を見て目を輝かせていた。
「もしかして、それって琉衣の手作り!?」
いつもお弁当は持ってきていたけど、昼休みは人目を避けることが多かった。
だから、封鎖された屋上ドア前の階段の踊り場や、人気のない校舎裏で食事を済ませていたのだ。
さすがの彼も、そこまでは見ていなかったのだろう。
「そ、そうだけど……」
「一口……ちょうだい?」
ああ、またこの上目遣いだ。我玖くんはもしかすると、わかっててやっているのだろうか?
だとしても、この瞳に逆らうことができない。
俺は仕方なく弁当箱を彼の方へ差し出す。
けれど、我玖くんは口先を突き出して拗ねた顔をしていた。
(ど、どうして……? 要求通りにしてるのに……)
意図がわからず戸惑う俺に向かって、彼は大きな口を開けて見せた。
あ、歯並び綺麗。
「あーん」
「……え?」
「だから、あーん」
これは、つまり……俺が彼に食べさせなければならないということなのだろうか?
そんなのは絶対に無理だ。ただでさえ恥ずかしいのに、クラス中の視線が俺たちの方へ向けられているのだ。
この状況でそんなバカップルみたいな真似、できるはずがない。いや、一応カップルではあるのだけど。
「はーやく。俺のアゴ外れてもいいの?」
「その程度で外れるわけ……」
外れるわけはない。なのだが、このまま彼が引き下がるとは思えない。
もうどうにでもなれと思った俺は、彼の口に半ば投げ込むように、玉子焼きのひとつを放り込んだ。
「ん……! うま……! 俺甘い玉子焼き好きなんだよね」
「そう……良かった」
なんだか一気に疲労感が増した気がするが、幸せそうな彼の笑顔を見ていると許せてしまう。そう感じるのだから不思議だ。
そうして今日の放課後もまた、俺は我玖くんと二人で下校したのだった。
もちろん、強制的な恋人繋ぎと共に。
我玖くんと付き合うことになってから、五日が経った頃。
今日はどうしても外せない収録があるということで、我玖くんは欠席の連絡が入っていた。
もちろん、連絡先を交換していた俺にも、個別に彼は連絡をくれていた。
『貴重な一日なのに、琉衣に会えないのタイミング悪すぎ!!』
可愛い子犬が泣いているスタンプが一緒に送られてきて、思わず我玖くんの姿を彷彿とさせる。
一週間という期限を設けた彼にとって、空白となるこの一日は確かにタイミングが悪かったのだろう。
(別に、一日くらい延長したって構わないのに……って、何考えてんだ俺……!)
今日の仕事は、彼にとっても予定外のものだったのだ。
だからこそ恋人の期限を延長しても……と考えたところで、俺はハッとする。
俺は別に我玖くんのことを恋愛対象として見ていたわけでもないし、告白は罰ゲームの一環だった。
だからこそ、俺側には恋人期間を延長する理由なんてないはずなのだ。
そのはずなのだが……。
(俺、我玖くんのこと……どう思ってるのかな)
真っ直ぐに好意をぶつけてくれる彼に対して、俺は自分自身の感情がわからなくなっていた。
アイドルの冬芽に、彼のファンと同じく憧れや好意の感情はある。
けれど、我玖くんに対しては、単なるクラスメイトの一人でしかなかったはずなのだ。
冬芽と我玖という人間に対する感情が、ごちゃ混ぜになってはいないだろうか?
アイドルへの憧れを、彼に対する好意と勘違いしているのではないだろうか?
(わかんないよ……恋愛なんて、したことないんだから)
俺は頭を悩ませながらも、ひとまず既読をつけてしまった連絡に返信することにする。
『しょうがないよ。明日はまた会えるんだし、仕事頑張って』
そうして『ファイト!』と書かれた犬のスタンプを送る。これは、なんとなく我玖くんぽいと思って購入してしまったのは内緒だ。
少し待っても既読はつかないので、仕事が始まったのだろう。
俺もスマホをしまうと授業を受けるために、準備をすることにした。
放課後になって、俺は帰り支度を済ませると教室を出ようとする。
ここ数日はいつも我玖くんが一緒だったので、何だか物足りなさすら感じてしまっていた。
(一人で帰るのなんか、当たり前だったのにな)
『琉衣、帰ろうぜ!』
そう言って手を握ってくれる我玖くんは、嬉しくて堪らないという感情を隠そうともしない。
信じることができなかったけれど、彼は本当に俺のことを好きでいてくれるのだと思えた。
「ちょっと、待ちなさいよ」
そんな俺の思考を現実に引き戻したのは、瀬尾さんの声だった。振り返ると、彼女とその取り巻きの女子、そして数名の男子が立っている。
この何日かは、彼らに何かをされることもなくなっていたので、俺はすっかり平和な日常に慣れきってしまっていた。
「な、なんですか……?」
「あのさ、アンタまだ冬芽と付き合ってるとか言うつもり? いい加減現実見なよ」
「えっと……」
「ここんトコは冬芽がいたから黙ってたけど、アンタの存在ってハッキリ言って迷惑だよ。冬芽の芸能活動の足引っ張ることになんの、わかってる?」
向けられる悪意は、容赦がない。
こんなのには慣れっこだったはずなのに、我玖くんの幸せオーラを浴びすぎたせいだろうか?
逃げ出したいのに、足が竦んで動けなくなってしまう。
「大体さ、アンタみたいなのが冬芽と対等に付き合えるわけないじゃん。なに調子に乗ってんのか知らないけどさ、人間にはどう頑張っても底辺ってのが存在すんの。そんでアンタは、その最底辺なの。しかもオトコ! 自覚ある?」
「お、俺は……」
「アンタが傍にいるだけで、冬芽のイメージまでガタ落ちになんの。冬芽は優しいから自分から言い出せないんだろうけど、恋人ごっこはやめてさっさと別れなよ」
「そうそう。大人しく珠里の言うこと聞いといた方がいいぜ? 身の程知らずの非モテ陰キャ!」
そう言った男子生徒の一人が、俺に向かってゴミ箱の中身をぶちまけてきた。紙クズと埃にまみれた俺を見て、クラスメイト全員が笑っている。
ああ、どうしてこのクラスはこんなにも悪意の塊なんだろうか?
「ほら、ゴミにはゴミがお似合いだよね。わかったら今すぐ冬芽に別れるって連絡しなよ。連絡先知ってんでしょ?」
「……れ……せん」
「ハ? 聞こえないんだけど。もう一回言ってくれない?」
「わ、別れません!!」
俺の言葉が想定外だったのだろう。
瀬尾さんたちは目を丸くして顔を見合わせたあと、ようやくその意味を理解して俺の胸倉を掴む。
「陰キャ野郎がなに生意気なこと言ってんだよ!? 別れろっつってんだから別れりゃいいだろうが!」
「嫌です! 確かに、俺と我玖くんじゃ不釣り合いかもしれないけど……俺を選んでくれたのは我玖くんなんです!」
俺と付き合ってくれているのは、確かに優しさなのかもしれない。
それでも俺は、一緒に過ごして笑ってくれる彼の笑顔を信じたいと思った。
我玖くんにフラれるならいい。だけど、人に言われて別れるのなんて絶対に嫌だ。
(ああ……俺、ちゃんと我玖くんのこと、好きになってたんだ)
たった五日間だけど。
アイドルの冬芽じゃない。
斎藤我玖という人のことを知って、俺は確かに惹かれていたんだ。
我玖くんと別れたくない。
そう意思表示をした俺だが、反抗した俺を瀬尾さんたちが許すとは思えなかった。
「アンタってマジでシラけさせる天才だと思ってたけど、まさかここまでとはね」
瀬尾さんが俺から手を離したかと思うと、入れ替わるように男子生徒たちが、両脇から俺の腕を拘束する。
「は、離して……っ!」
「そっちがそういうつもりなら、こっちもとことんやらせてもらうよ。冬芽と付き合うだけじゃない、もう学校なんか来られないくらいにしてやるから」
彼女が何をするつもりなのかはわからないが、今までこんなことはなかった。
それほどまでに、俺が我玖くんと付き合うということが、瀬尾さんの逆鱗に触れたのだろう。
逃げなければどんな目に遭わされるかわからない。
けれど二人がかりの男子の腕力を俺一人の力で振り払うことなんて、できるはずもなかった。
「とりあえず、脱がしちゃってよ」
「え……」
彼女の言葉の意味がわからず聞き返してしまうが、男子たちの手が俺の制服のズボンに伸ばされる。
その動きで、俺はこれから自分が何をされるのかを悟った。
「い、嫌だ……! 誰か助けて……!」
「暴れんなって! ブン殴って大人しくさせてもいいんだぞ!?」
ベルトが引き抜かれて、隅の方へと投げ捨てられる。
これまで出したこともないくらい大きな声で抗っているのに、俺を助けようとしてくれる人は、どこにもいない。
この絶望感を知っていたはずなのに、本当に俺は調子に乗っていたのかもしれない。
(我玖くん……!)
ここにいない彼を心の中で呼ぶが、漫画みたいに奇跡のようなことなど起こらない。
そう思っていたのに。
「最底辺なのってさ、どう考えてもお前らの方だよな?」
「え……?」
場に響いた声に、一瞬にして教室中が静まり返る。
涙で歪んでいた俺の視界ではよくわからなかったものが、雫が頬を伝い落ちたことで見えるようになった。
「我玖……くん……?」
教室の入り口に立っていたのは、スマホを構えていた我玖くんだった。
仕事場からそのままやってきたのだろうか? 今はウィッグを被っていない、アイドルの冬芽の姿だ。
今まさに行われていたいじめの現場を撮影していたのだろうということは、わざわざ聞くまでもない。
「一度は注意してやったのに、ほんっと学ばねえクズってのは更生の余地がねえな」
「と……冬芽、違うの、コレは……っ」
「俺のために? 琉衣の存在が迷惑になってるから? そんなこと俺がお前らに頼んだか?」
彼は全部最初から聞いていたのだ。瀬尾さんたちに弁解の余地はない。
それでも悪足掻きをしようとする彼女は、我玖くんのもとへ行って彼に触れようとする。
しかし、我玖くんはその手を、まるで害虫を払うかのごとく冷たく叩き落とした。
「触んなよ、ゴミが。ちなみに、コレ生配信だから。お前らのクズさは全国の視聴者がしっかり観てくれてるだろうぜ。良かったな? 有名人になれて」
「う、嘘……ちょっと待ってよ……! アタシたち、冬芽のためを思って……!」
絶望的な状況に泣き出す者もいるが、我玖くんはそちらに目もくれようとしない。
そんな彼が俺の方に歩み寄ってくると、俺を拘束していた腕は自然と離れていった。
道すがらに拾ったベルトの汚れを払うと、彼はそれを俺に差し出してくる。
「遅くなってごめん。琉衣、行こう」
「う、うん」
髪や肩についていた埃も落としてくれた彼は、俺の手を引いて騒然とした教室を後にした。
「我玖くん、仕事じゃなかったの?」
「早く終わったから、琉衣に会えるかなって寄ってみたんだよ。来てみて正解だった」
「……助けてくれて、ありがとう」
彼が来てくれなかったら、俺は今頃どうなっていたかわからない。
想像して身震いした俺の肩を、我玖くんはそっと抱き寄せてくれた。
悪意に満ちていたとはいえ、他人に触れられるのは嫌悪しかなかったのに。彼の手は、どうしてこんなにも俺に安らぎを与えてくれるのだろうか?
「……ところで、さっき言ってたことだけど」
「え?」
「別れないって、ホント?」
「……!!」
最初から聞いていたのだろうから、俺の言葉も当然彼に聞かれていたはずだ。
そのことを思い出して顔から火が出そうになるが、伺いを立てるように覗き込んでくる我玖くんの顔が、あまりにもあざとい。
逃げ出そうと思えばそうできるはずなのに、回された彼の腕は、先ほどの男子たちの拘束よりもよほど強いもののように思えた。
「だって、まだ一週間経ってないし……」
「じゃあ、一週間経ったら別れるの?」
その聞き方はずるい。
だけどこれ以上、誤魔化すこともできないと思った。彼にはちゃんと、素直な気持ちを伝えたい。
「……別れる。それでちゃんと……告白から、やり直させてほしい」
告白は罰ゲームだった。最初の一歩を間違えてしまったけど、彼と付き合うのならそこから正していきたい。
「ん~……ダメ」
「えっ!?」
「次はさ、俺から告白させてよ。もちろん、罰ゲームじゃなくて本物のやつ」
そう宣言する彼は、いつもの上目遣いではない。真剣な瞳で、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
惚れた弱みというやつなのだろうか? 彼にはどうにも敵わないと思った。
「ちなみに……さっきの動画って、本当に配信してたの?」
「してないよ? だって、琉衣の顔まで映ってたし」
「そっか……」
本当に配信していたのかと思っていたが、どうやらあの場にいた全員が騙されたらしい。
これも彼の演技力なのかと思うと、俳優として活躍する姿が楽しみだとも思える。
「編集して、琉衣の顔にモザイク入れたら、アイツらの進学先とか就職先には送り付けてやるけどね」
「え!?」
「当然でしょ? 一度は許してやったのに、俺の恋人にあんなことまでするなんてさ。報いはしっかり受けてもらわないと」
そう言って彼が浮かべた笑みは、普段の無邪気なものとは異なる色をしていた。
もしかすると俺は、とんでもない人の恋人になってしまったのかもしれない。