第4話「未来への沈黙」
静かな広がりが、少しずつ現実を包み始めていた。
観測所の端末には、他地域からの報告が次々と届いていた。
早すぎる発芽、予定外の展葉、安定しすぎた水分吸収。
どれも微細な変化にすぎなかったが、重なれば確かに——星のどこかが、少しずつ応えているようだった。
「ついに来たね、みんなが気づく日が」
コリナがそう呟いたとき、わたしは少しだけ戸惑った。
“気づく”というのは、どういうことだろう。目に見える現象のことか、それとも——
わたしがその続きを考えるより早く、彼女はふっと笑って言った。
「でも、アイリスはずっと前から気づいてたんだと思うよ」
その声がやわらかくて、どこかくすぐったかった。
否定も肯定もせずに、わたしは視線を逸らした。
午後、ふたりで観測フィールドに出た。
草木は穏やかに揺れていた。特別な光はなかったけれど、霧の底に沈んでいた何かが、静かに地上へと戻ってきている気がした。
「今日はちょっと、風が甘いね」
コリナがそう言って、風上に顔を向ける。わたしもその空気を吸い込んだ。たしかに、土と葉のにおいに混じって、ほんの少しだけ、懐かしいような香りがしていた。
ひとつの株にそっと手を触れる。
反応はあった。けれど、かつて強く押し寄せた記憶の波とは違っていた。
ただ、誰かの想いが、ほんの微粒子のように、葉のなかでゆっくり漂っている。
それを“記録”とは呼べない。
ただ、“残っていた”だけだ。
名前もなく、意味もなく、ただそこにあったものが、植物に宿り、また別の誰かの中で揺れ動く。
「……知識じゃないんだよね、きっと」
わたしが呟くと、コリナは小さく頷いた。
「うん。ぜんぶはわからなくても、触れたっていう感覚は残るから。
それって、きっと……ちゃんと届いてるってことだよね」
彼女の言葉は、風の音にまぎれることなく、まっすぐ耳に届いた。
わたしはその横顔を見た。髪のすそが風に揺れて、ふと、その一房がわたしの腕に触れた。
少しだけ心が跳ねて、でも不思議と、嫌じゃなかった。
「コリナはさ……こういうの、こわくないの?」
「うん。……こわいよ。でも、アイリスがいるなら、大丈夫かなって思ってる」
その言葉が、胸の奥にまっすぐ刺さった。
それは痛みではなくて、確かなぬくもりとして、そこに残った。
観測端末に今日の反応を記録しようとして、ふと動きを止めた。
数字では、きっと届かない。
この星に眠る記憶のようなものは、数字には変換できない。
わたしは端末を閉じ、見上げた空の向こうに、もう構造体の光はなかった。
でも、光っている気がした。霧の奥で、誰かの“まだ言葉にならない気配”が、
いまもきっと、風に乗っている。
わたしたちは、それを「沈黙」と呼ぶけれど——
本当は、未来にいちばん近い音なのかもしれない。




