表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧の奥、星の手前  作者: 星☆
第七章「芽吹く星」
29/32

第2話「風を孕む苗床」

 午後の空には、うすく綻んだ雲がひとすじ、ゆっくりと流れていた。

 わたしとコリナは、南斜面の観測エリアへ向かっていた。朝、わたしが最初に異常成長を確認した丘から、ひとつ尾根を越えた場所だ。


「このへんでも似た報告があったって。まだ確証はないけど、いくつかの地点で……重なるものがあるみたい」


 そう言いながら、コリナは記録端末を見せてくれる。そこには、数本の植物の成長ログと、現地担当者の簡単なコメントが並んでいた。

 同じように、「予定よりも早く発芽」「形態異常なし」「水分吸収量が高い」……そんな記述がいくつも重なっていた。


「どれも、決定的ではないけれどね。でも」


 彼女が言葉を切って、わたしの横顔をちらと見る。


「なんとなく、“始まってる”って感じがするんだ。……アイリスも、そう思ってるんでしょう?」


 頷いた。言葉にするにはまだ輪郭があいまいだったけれど、朝に感じたあの気配が、いまもわたしの中に残っていた。


 ふたりで歩く足元には、細い草が風にそよいでいた。霧が引いたあとの地表はしっとりと湿り、ところどころに陽の光が染みている。

 どこかで鳥の声がひとつ鳴き、遠くで風が低く揺れる音がした。季節の境目のような静けさが、森の奥にまで漂っていた。


「こうやって歩いてるとさ……なんていうか、“まだ名づけられてないもの”が残ってるって、感じない?」


 唐突にコリナがそう言った。わたしは驚きながらも、少し笑った。


「……感じるかも。言葉より先に、何かが生きてるっていうか」


「うん。そう、それ」


 彼女はそう言って笑い、また前を向いた。その表情が、いつもより少しだけ穏やかに見えた。


 観測エリアに着くと、コリナが先にひとつの株を見つけて、しゃがみこんだ。

 わたしも隣に腰を下ろし、そっと手をのばす。細い茎の先端に、小さく開いた葉があった。


 指先が触れた瞬間、胸の奥にやわらかな波がひろがった。


 それは、“彼女”の気配とは違っていた。もっと曖昧で、かすれていて、でもどこか人の温度をもっていた。


 見知らぬ誰かが、はじめてこの星に降り立ったときの、微かなまなざし。

 遠くに見えた地平線。風の音。土に足を置いたときの、最初の重さ。

 言葉にならない「ここに居てもいいのかもしれない」という気配だけが、残されていた。


 そっと手を離すと、コリナがわたしの顔をじっと見ていた。


「……見えた?」


「うん。たぶん、誰かの記憶。すごく小さな、でも……やさしいものだった」


 コリナは、なにも言わずに頷いた。

 わたしの語彙が足りないとき、彼女はいつもそれを咎めずに、ただ受け取ってくれる。

 そのまなざしに触れると、言葉では届かないものがあることを、かえって強く思い出す。


 風がふたりのあいだを通りすぎた。細い苗床の草が、静かに揺れていた。


「こんなふうに、残っていくんだね。誰かの記憶が」


「うん……。でも、それが“全部”じゃないんだと思う。記録じゃなくて……届くもの」


 わたしの声は小さかったけれど、コリナには届いたようだった。


 この星が少しずつ変わっていく。

 その変化は、風や草のように、人の手ではつかめないところから、静かに育っている気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ