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霧の奥、星の手前  作者: 星☆
第六章「夜空の開示」
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第5話「星の声」

 その夜も、アイリスは空を見上げていた。


 研究区画の明かりはすでに落ち、温室の周囲には星の光しか残っていなかった。風はなく、音もなく、ただ静けさだけが、あたりを満たしている。コリナは少し離れたベンチで待ってくれていた。コリナがそばにいるだけで、アイリスは安心できた。けれど今は、ひとりでこの時間に向き合う必要があると感じていた。


 空は今夜もまた、揺れていた。点滅する星の並びが、昨日よりも明瞭な幾何学を描き始めていた。それはまるで、空そのものが記憶の回路になっていくような眺めだった。


 足元の植物もまた、応えていた。昨日とは違う株の葉が、音のない風に揺れているように見えた。アイリスはゆっくりと腰を下ろし、光を帯びたその葉に指先を添えた。


 その瞬間、世界が傾いた。


 言葉ではうまく説明できない。視界が反転し、時間が後ろ向きに流れ出すような感覚。重力の軸がずれるような、宙に浮かぶような、けれど決して不安ではない――むしろ、懐かしい温もりがあった。


 自分が“誰かの記憶”の中にいるような――あるいは、誰かが自分の中に入ってきたような。音も、匂いも、色もあった。だがそれらは全て、不思議なほど生々しく、そして曖昧だった。古びた石の壁。褐色の空に舞う光。小さな手が差し出した種子。人影がいくつも浮かび、誰かの笑い声が遠くで弾んでいた。けれどそれは、アイリス自身の記憶ではない。


 「……あなた?」


 心の中でそう問いかけると、すぐに応答があった。


 それは“彼女”だった。言葉ではなく、感情の波。それも、昨日までのような断片的なものではなかった。はっきりとした意思と、深い悲しみ、そして微かな希望が、アイリスの中に流れ込んできた。


 彼女は、見せていた。植物に宿る記憶。それがこの星の時間を超えて編まれた、命の連なりであることを。過去と未来が、ひとつの環のように繋がっていることを。


 星の構造体は、それ自体が“記録媒体”だった。夜空に浮かぶ光の骨格は、ただの自然現象ではなく、意図された構造。その構造は、大気を通じて植物と共鳴し、誰かの記憶を刻み続けるためのものだった。


 アイリスはその連なりの先に、“彼女”の孤独な祈りを感じた。種子が撒かれた理由。彼女がこの星に残した願い。その一片を、確かに見た気がした。そこには、滅びと再生、別れと継承、そんな遠い物語が織り込まれていた。


 意識が、緩やかに現実へ戻っていく。呼吸を整えると、頬に風が触れた。いつのまにか夜は更け、空の構造は静かに溶けていこうとしていた。足元の葉もまた、微かに光を返しながら、その役割を終えたかのように静かに揺れていた。


 「アイリス……大丈夫?」


 少し離れたところから、コリナが立ち上がって近づいてきた。心配そうな声だった。でも、その声を聞いた瞬間、胸の奥があたたかくなった。


 「うん……大丈夫。ちゃんと、受け取った気がするの」


 「何を?」


 アイリスは言葉を探すように一度空を仰ぎ、そして静かに答えた。


 「記憶……かな。誰かが、大切に残したもの」


 コリナはそれ以上は何も聞かず、ただそっとアイリスの手を握った。言葉よりも確かなものが、そこにあった。


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