第4話「託されたもの」
アイリスは、しばらく目を閉じていた。
記憶の断片が、波のように寄せては返す。
銀の花に触れたときに流れ込んできた、あの淡い映像たち——
風に揺れる枝。
水面のような光。
そして、彼女の横顔と、確かな“視線”。
それらは鮮明な物語ではなかった。
けれど、その断片のひとつひとつが、静かに胸の奥に灯りを残していた。
わたしは、見せられたのだと思う。
彼女が何かを伝えようとした——その意思ごと、まるごと、受け取ったのだと。
そして今ならはっきり言える。
わたしは、それを託された。
研究室の片隅。
端末の光が、夜の静けさにかすかに明滅している。
コリナは別棟で仮眠をとっているらしく、研究室には誰の気配もなかった。
アイリスは、記録装置の前に座り、手元の端末にそっと指を滑らせた。
銀の花の観察記録、反応時の周囲の温度変化、手に伝わった微細な振動、そして——
自分の中に流れ込んだ映像の記憶を、できるかぎり正確に記していく。
本当は、まだ“科学的”とは呼べない。
けれど、今ここで残しておかないと、確かさが薄れてしまいそうだった。
「彼女は、植物に記憶を託している可能性がある」
「それを“感じとる”ことができるのは、おそらく私自身だけだ」
自分で書きながら、ふと笑ってしまいそうになる。
傍から見れば、ただの幻覚や妄想のように思われても仕方がない。
でも、それでもいい。
「わたしは、受け取った」
そのことだけが、すべてだった。
眠りにつく直前、ふと思い出したことがあった。
灰白の谷を出るとき、霧のなかでひらひらと舞っていた小さな葉。
銀色の花の近くに、たしかに落ちていた——
あのときは気づかなかったが、今思えば、それも“印”だったのかもしれない。
彼女は言葉を持たない。
けれど、かわりに霧を、光を、そして植物を通して、自分を伝えてくる。
それはとても静かで、でも心を揺らすほど深い。
なぜわたしなのか。
どうしてこの“鍵”を、自分に託そうとしたのか。
答えは、まだわからない。
でも、彼女が“選んだ”のだという気配だけは、確かにある。
翌朝、陽が昇る前の時間。
まだ空気が凍りついたように冷たい中、アイリスは植物棟の温室に向かっていた。
銀の花は、昨日と同じように静かにそこにあった。
けれど、目を凝らすと、その周囲にほんのかすかに、新芽のような粒が見える。
「あれ……」
アイリスはしゃがみ込み、記録用のマイクロスコープをかざす。
——それは、銀の花の根元から、静かに伸び始めた新しい芽だった。
昨日はなかったもの。
この星の植物は、多くが気まぐれで、生育のリズムも地球のものとは異なる。
けれど、この芽はあまりに急だった。
まるで、“何かに反応した”ように。
「……わたしが触れたから……?」
その瞬間、胸の奥に言葉にならない震えが広がった。
彼女の記憶は、植物に眠っている。
そして、それを“感じとった”わたしの存在が、なにかを刺激した。
芽吹き——
それは、この惑星が答えてくれた印かもしれない。
彼女だけじゃない。
この星そのものが、何かを伝えようとしているのかもしれない。
その日、アイリスは誰にも報告をしなかった。
芽の記録だけを残し、静かに温室をあとにした。
言葉にするには、まだ早い気がした。
けれど、ひとつだけ——
歩きながら、ふと空を見上げたとき、思ったことがある。
「この星には、“声なき想い”が、たくさん眠っているんだわ」
そして、それを拾うために、わたしはここにいるのかもしれない。
そんな気がした。




