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霧の奥、星の手前  作者: 星☆
第四章「静かな再会」
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第1話「静けさの引力」

 霧が晴れた夜のことだった。

 星がひとつひとつ、その輪郭を取り戻していくなかで、空の奥に“形のようなもの”が浮かんだ——気がした。


 それは一瞬だった。

 星でも、雲でもない。むしろ、そのどちらとも言えない“奥行き”のようなもの。

 まるで空の裏側に、べつの空が顔を覗かせたかのような、不思議な歪み。


 音がひとつ消えたような気がして、アイリスはその場で立ち尽くしていた。

 けれど、誰に指差すでもなく、記録にも残らず、その“何か”はすぐに霧と星のざわめきに紛れていった。


 翌朝になっても、その感覚は消えなかった。

 熱を持った夢のように、ひっそりと内側で燻っている。

 目に見えないけれど、たしかに手のひらに落ちていた何かのように、心の奥に触れて離れない。


 アイリスは植物棟のベンチに腰を下ろしながら、端末に記録された観測データを何度もなぞっていた。

 窓の外には朝の霧がまだ漂っており、太陽の光をすり抜けた光が、温室の屋根を淡く照らしている。


 「やっぱり、ちょっと変だったわよね。夜空の反射値が数秒だけ、ほら……ここ。」


 コリナが隣に腰かけ、端末を指差した。画面には赤い線がぴくりと跳ね上がる瞬間が記録されている。

 異常値、と言うにはあまりに小さな揺らぎ。でも、アイリスにはその“さざ波”が、とても大きな前触れのように思えた。


 「気のせいって言うには、ちょっと座りが悪いね」と、コリナが眉をひそめる。


 「たとえばさ、上空で空気密度が局所的に変動したとか? 惑星の電離層が一時的に偏ったとか……いちおう仮説はいくつか立てられるけど」


 「でも、それじゃ説明しきれないんだよね」


 「うん、たぶんね」


 アイリスは静かに頷いた。

 手の中に残る違和感。それは数値で説明できるような種類のものじゃなかった。


 「……わたし、また“灰白の谷”に行ってみようと思う」


 コリナが目を細める。


 「この前、“彼女”に出会ったって言ってた、あの谷……?」


 「うん。たぶん、何かが……残ってる気がするの。

 空に現れたものも、あそこに関係してる気がする。感覚的な話だけど……」


 言いながら、自分でも不思議だった。

 科学者としての理屈ではなく、どこか“胸の奥の重力”のようなもので引かれている。

 そこに行かなくてはならないという、言葉にならない確信。


 コリナは黙ってアイリスの顔を見つめていたが、やがてふっと肩の力を抜いた。


 「……わかった。気をつけて。ログは残しておいてね。もし何かあったら、絶対に」


 「うん。ありがとう」


 ふたりの間に、しばし静かな間が流れる。

 温室の葉がわずかに揺れて、透明な光が床に模様を描いた。


 静かに立ち上がると、アイリスは背負子に必要な器具を詰め直した。

 植物採取用のケース、記録端末、非常用の信号弾。

 手はいつものように正確に動いているのに、心はすでに谷底を歩いていた。


 前に出会ったあの場面が、まるで夢のなかの出来事だったかのように思える。

 けれど、彼女の気配だけは、胸の奥に確かに残っていた。


 あれが現実だったのか、それとも幻だったのか。

 どちらにしても、いまのわたしは——もう一度、彼女に会いたいと思っている。


 霧の向こうには、まだ知らない気配が待っている。

 風のない朝の中、そんな想いだけが、胸の奥でそっと灯っていた。

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