[第三話]模倣ダンジョン
青空の下、ギルドヘブンの門をくぐり抜けたカイとリズは、セシルの案内で模倣ダンジョンの入り口へと向かっていた。ギルドから徒歩で30分ほど離れた場所に、そのダンジョンは広がっている。
「ここが模倣ダンジョンだよ。」
セシルが指差した先には、巨大な石造りの扉があった。扉には無数の古代文字が刻まれており、まるで時間の流れを超えて存在しているような威圧感を放っている。
「思ったより……不気味だね。」
リズが苦笑いを浮かべながら言うと、カイも頷きながら扉を見上げた。
「確かに……でも、これを越えないと冒険者になれないんだよな。」
カイの言葉には緊張が滲んでいた。
「模倣ダンジョンは、初心者用とはいえ油断は禁物だ。先日、説明した様に魔物やトラップ本物。命を落とすことだってあるからね」
セシルが二人の表情を真剣に見つめた。
その言葉に二人は息を飲み、真剣な表情で頷いた。
「試験の内容を再度説明する。」
セシルはそう言いながら、腰から一つのクリスタル状の石を取り出した。
「これと同じ『光の石』をダンジョン内で見つけて持ち帰ること。光の石はダンジョンの奥にある祭壇に置かれている。そこまでたどり着けば試験は合格だ。」
「それだけ、ですか?」
リズが少し驚いたように尋ねると、セシルは微笑を浮かべて首を振った。
「言っただろう? 中にいる魔物や罠は本物だ、と。道中でいくつもの試練が待っている。君たちの判断力、協力、そして力を試される場だ。」
「……やるしかないな。」
カイが剣を握りしめ、決意を込めて呟いた。その横でリズも弓を手に取り、笑顔で応じた。
「もちろん! 二人ならきっと大丈夫よ!」
セシルは二人を見渡し、少しの間目を細めた後、静かに口を開いた。
「では、行ってこい。無事に戻ってくることを願っている。」
扉が重々しく音を立てながら開かれると、冷たい空気が二人の頬を撫でた。その先には、暗闇が続いている。リズが小さな魔法で灯りを作り、二人はその光を頼りに一歩踏み出した。
「カイ、気をつけて進もうね。」
「わかってる。リズも無理するなよ。」
背後で扉がゆっくりと閉まる音が響き渡り、外の光が完全に遮られた。二人の冒険が、いま始まろうとしていた――。
模倣ダンジョン
ダンジョンの入り口を進むと、冷たく湿った空気が二人を包み込んだ。石造りの壁には苔が生え、ところどころに古びた魔法陣が刻まれている。リズが作り出した灯りの魔法だけが、暗闇の中で頼りだった。
「リズ、このダンジョン、本当に初心者向けなのか?」
カイが周囲を警戒しながら低い声で尋ねる。
「見た目は怖いけど、落ち着いて進めば大丈夫よ。」
リズは少し緊張しながらも笑顔を浮かべて、カイを安心させようとした。
奥へ進むにつれ、道は徐々に狭くなり、天井が低くなってきた。リズの光が照らし出す先には、朽ち果てた装備や割れた武器が散らばっている。
「……ここで誰か戦ったのかな?」
カイがつぶやくと、リズが慎重に周囲を見渡した。
「かもしれないけど、今は気にしても仕方ないわ。それより、足元に気をつけて。」
突然、カイの足元で「カチッ」と音がした。
「な、なんだ!?」
驚いて飛び退くカイ。しかし次の瞬間、石壁から矢が勢いよく飛び出してきた。
「伏せて!」
リズが叫び、カイを地面に押し倒した。矢は二人の頭上をかすめ、壁に突き刺さった。
「危ないかった...... これが『初心者向け』なのかよ。」
カイは息を整えながら文句を漏らしたが、リズは苦笑いを浮かべて彼を助け起こした。
「言ったでしょ? 油断は禁物って。」
矢の罠をくぐり抜けた二人は、やがて大きな広間にたどり着いた。部屋の中央には石の台座があり、その周囲には三つの道が広がっている。
「……これ、どっちに進めばいいんだ?」
カイは道を見比べながら首をかしげた。
「台座の上に何か書いてあるわ。」
リズが台座に近づき、古代文字が刻まれた石板を指差した。
『真実の道を選べ。偽りは破滅をもたらす』
「えっと……つまり、一つだけ正しい道があるってこと?」
リズは石板の文を読みながらそう言った。
「でも、どの道が正しいのかわからないじゃないか。」
カイは眉をひそめ、道の奥を覗き込む。暗闇の奥からはかすかに風の音が聞こえるだけで、どの道が安全かを示す手がかりは見当たらない。
「落ち着いて、何かヒントがあるはずよ。」
リズはもう一度石板をじっくり見つめた。そして、その足元に小さな魔法陣があることに気づく。
「これ……魔法陣かしら?」
リズが手をかざすと、魔法陣が淡い光を放ち始めた。同時に、三つの道のうち一つの入り口が微かに輝き始める。
「見て! この道だけ光ってる!」
「これが正しい道なのか?」
カイは半信半疑でリズの後に続いた。
「魔法陣が教えてくれたんだもの。きっと大丈夫よ!」
光る道を進んだ二人は、やがて狭い通路を抜け、大きな空間にたどり着いた。そこで待ち構えていたのは、一匹の魔物だった。
「これは……スケルトン?」
リズが小声でつぶやいた。魔物は人の骨でできた体を持ち、錆びた剣を握りしめて二人を睨んでいた。
「リズ、後ろに下がれ!」
カイが剣を抜き、スケルトンに向き合った。
「私も戦うわ! 一人で無理しないで!」
リズは杖を番えながら、カイの横に並んだ。
スケルトンは金属が擦れるような音を立てて剣を振り上げ、カイに向かって突進してきた。
「くっ……!」
カイは剣でスケルトンの攻撃を受け止めるが、その力は予想以上に強かった。剣と剣がぶつかり合い、耳をつんざくような音が響く。
「カイ! 今よ!」
リズが叫びながら水魔法を放った。水流がスケルトンを縛った、動きが一瞬止まった。その隙を逃さず、カイは剣を振り抜き、スケルトンの体を粉々にした。
「やった……!」
カイは荒い息を吐きながら剣を振り下ろし、地面に座り込んだ。
「カイ、大丈夫?」
リズが駆け寄り、彼の手を握った。
「ああ……なんとか。リズが水魔法で止めてくれなかったら危なかった。」
二人は短く休憩を取りながら、お互いを見つめて微笑んだ。そして、再び奥へと歩き出した――光の石を目指して。
さらなる試験
カイとリズがスケルトンとの戦いを終え、少し休息を取った後、再び道を進むと、目の前には石造りの橋が現れた。その下には深い暗闇が広がっており、底が見えない。
「うわ……ここ、落ちたら終わりね。」
リズが橋の端を覗き込みながら、緊張した声で言う。
「橋を渡るしかないか。慎重に行こう。」
カイが剣を握り直し、リズを守るように一歩踏み出した。だが、橋の半ばに差し掛かった瞬間、石の床が小刻みに震え始めた。
「な、何だ!?」
突然、橋の向こう側に巨大な石像が動き始めた。四本の腕を持ち、それぞれが槍や剣を握りしめている。その瞳には赤い光が宿り、二人を狙って輝き始めた。
「これ、守護者ってやつじゃない!?」
リズが叫ぶと同時に、石像が橋を揺らしながら一歩ずつ近づいてくる。
「ここで倒すしかない!」
カイは恐怖を振り払うように剣を構えた。
石像は驚くべき速度で槍を振り下ろしてきた。カイは何とかそれを避けるが、橋の端に追い詰められる。
「リズ! 遠距離魔法で注意を引いてくれ!」
カイが叫び、リズはすぐに杖を構え、石像の胸元へと水魔法を放つ。しかし、硬い石に弾かれ、ほとんど傷を与えられない。
「硬すぎる……! どうすればいいの!?」
リズが焦りながら叫ぶ。
「僕がやるしかない!」
カイは再び剣を握り直し、石像に突撃する。しかし、四本の腕による連続攻撃が激しく、カイは防戦一方となる。槍の一撃がカイの剣を弾き飛ばし、橋の上に叩きつけられる。
「カイ! 大丈夫!?」
リズが駆け寄ろうとするが、石像が槍を構えて彼女を狙い始めた。
「くそっ……!」
カイは必死に体を起こそうとするが、体が言うことを聞かない。絶望感が胸を覆い始めたその時――
「……目覚めろ」
カイの頭の中に、低く威厳ある声が響き渡った。目を閉じた瞬間、脳裏に映ったのは300年前の戦場のような光景。無数の魔物がうごめく中で、一人の男――どこか懐かしい雰囲気を持つ大魔導士の姿が浮かび上がる。
『戦え。お前はまだ終わっていない――その力を解放しろ』
突然、カイの手の甲に刻まれた紋章が青白く輝き始めた。その光は剣を握る手へと流れ込み、周囲の空気を揺るがすほどの衝撃を放つ。
「これが……僕の力……?」
剣がまばゆい光を帯び、カイの中に流れ込む力が限界を超えていく感覚があった。立ち上がったカイは、迷いを振り払うように一気に石像へと向かっていった。
カイの剣から放たれた光の刃が石像の胸元を貫き、赤く輝いていた瞳が静かに消えた。石像は音を立てて崩れ落ち、橋の上に静寂が戻った。
「……やった、倒したの?」
リズが驚いた表情で駆け寄り、崩れた石像を見つめる。
「僕は……一体何なんだ?」
カイは力が抜けたようにその場に膝をつき、自分の手を見つめていた。光る紋章は徐々に消えていき、元の状態に戻った。
リズがそっとカイの肩に手を置き、心配そうに声をかける。
「カイ……今の力......無理しないでね?」
カイは答えられなかった。ただ、心の奥底に眠る何かが目覚めようとしている感覚が、彼を戸惑わせていた。
崩れた石像の奥には、神々しい輝きを放つ「光の石」が祭壇に置かれていた。二人は慎重に近づき、その美しさに息を飲む。
「これが……光の石……」
カイは息を飲みながら手を伸ばした。しかし、祭壇からふと低く威厳のある声が響く。
「選ばれし者よ。覚悟を持ち、その力を受け入れるのだ。」
その声はカイの耳にだけ届いたようで、リズには聞こえないらしく、不思議そうにカイを見つめていた。
カイは戸惑いながらも光の石を手に取った。
その瞬間、石の奥にある壁が微かに輝き始め、そこにカイの手の甲にある紋章と同じ模様が浮かび上がった。
「この紋章……一体なんなんだ?」
カイは引き寄せられるようにその壁に手を触れた。次の瞬間、手の甲の紋章が眩い青白い光を放ち始める。
「カイ……? 何が起きているの?」
リズが心配そうに声をかけたが、カイはその言葉に答える間もなく、意識を失いその場に崩れ落ちた。
夢の中
深い闇の中、カイの意識は漂っていた。やがて闇が裂け、300年前の戦場のような光景が広がる。無数の魔物が荒れ狂う中、一人の男がその中心に立っていた。
彼は圧倒的な魔力を纏いながら、大地そのものを揺るがすような存在感を放っている。その男――どこか懐かしさを感じさせる大魔導士が、カイに向かって静かに口を開いた。
「お前に与えられた力は神の加護ではない。」
「それは神への反逆の力だ。しかし、その力は制御を誤れば、すべてを焼き尽くす災厄となるだろう。」
彼の言葉と共に、炎に包まれた世界がカイの視界に広がる。街や森、人々の叫びが消えゆく光景に、カイは息を呑んだ。
「この力を選ぶか否かは、お前自身が決めるのだ。」
そう言い残し、大魔導士の姿は光と共に消えていった。
「カイ、大丈夫!?」
リズの声が遠くで響き、カイはゆっくりと目を開けた。彼女の心配そうな顔が目に入る。
「……ああ、大丈夫だ。」
カイは体を起こしながら、自分の手の甲を見た。紋章の輝きはすでに消えているが、触れるたびにまだ熱を帯びているような感覚が残っている。
「さっきの光、それに……倒れた時、何か見たの?」
リズが問いかける。カイは一瞬迷ったが、正直に夢の中で見た光景と大魔導士の言葉を話した。
「神への反逆の力……? 何それ?」
リズは驚いた表情を見せたが、すぐに眉を寄せて真剣な顔になる。
「でも、それが危険なものなら、無理して使わない方がいいんじゃない?」
「……そうかもしれない。でも、この力を完全に理解しないといけない気がする。僕自身のためにも、何より周りの人を守るためにも。」
カイの声には迷いがなく、リズは少しの間考え込んだ後、頷いた。
「わかった。でも無理はしないでね。私も一緒に考えるから。」
カイはリズと共に光の石を持ち帰り、模倣ダンジョンを後にした。出口に向かう二人の背中を、かすかな風が吹き抜ける。その風はまるで、未来の試練の予兆のように冷たく感じられた――。
ギルドに戻った二人は、セシルに光の石を渡して冒険者登録を無事に済ませた。しかし、セシルは光の石を手にしながら、カイをじっと見つめて静かに口を開いた。
「君の力……その紋章、とても興味深い。かつて“大魔導士”と称えられた英雄レインもまた、加護を持たぬ者だったと記録にある。彼は歴史上、ただ一人レベル10に到達した男だ。果たして、君と彼の間には何か繋がりがあるのだろうか……?」
その言葉に、カイは一瞬だけ目を見開いたが、何も答えられなかった。ただ、心の奥に一つの疑念と大きな不安が静かに芽生えていた。
(この力は何だろう。そして、あの夢に出てきた記憶……僕は一体――)
カイは拳を握りしめ、胸に湧き上がる感情を飲み込んだ。彼がその答えを探す冒険は、まだ始まったばかりだった――。