[第十八話]シャトル森林の異変
王宮を後にしたカイたちは、ギルド《ヘブン》で出発の準備を整えていた。
シャルト森林地帯は、王都アルカンダの南方に広がる広大な森林であり、様々なモンスターが生息する危険地帯でもある。
しかし、今回の調査の焦点は「黒い霧」だった。
それはただの自然現象ではなく、何者かの意図が働いている可能性が高い。
そして、その裏には《黒の教団》の影がちらついていた。
「みんな、準備はできたか?」
カイはギルド《ヘブン》の前で仲間たちを見渡した。
「バッチリさ。でも、今度こそゆっくりしたかったんだけどな。」
アッシュが肩をすくめる。
「文句を言っても仕方ないでしょ。」
リズが苦笑しながら、腰に下げたポーチを確認する。
「森の霧……ただの魔力ではなさそうだ。」
シエンが静かに呟いた。
「慎重に進もう。」
カイがそう告げると、一行はシャルト森林地帯へと向かって歩き出した。
「私も皆様の力になれるよう、精一杯頑張ります!」
セリも、あの惨劇から数日が経ち、ようやく明るい表情を取り戻していた。
シャトル森林に到着したカイたちは一歩一歩慎重に進んでいった。
周囲の木々は次第に密集し、枝葉が絡み合って視界を遮っていった。風の音もなく、ただ足音だけが森の静寂を破る。それでも、どこか不安を感じさせる静けさが一行を包み込んでいた。
「おかしい……」
シエンが再び口を開いた。
「この森、ただ静かなだけじゃない。何かが潜んでいる気がする……。」
カイは慎重に周囲を見回し、足元の苔を踏む音が響く中で、ますます濃くなる霧に視界を奪われながらも前進を続けた。「警戒を怠るな。どんな兆しでも見逃すなよ。」
そして、森の奥へ進むにつれて、異様な雰囲気が漂い始めた。
「……これって、ただの霧じゃないよね?」
リズが不安げな表情だった。
彼女の指先がかすかに震えていた。その目に映るのは、普通の霧とは違う、漆黒の靄——。
「これが報告にあった黒い霧か。」
カイは周囲を警戒しながら歩みを進める。
霧の中に足を踏み入れた瞬間、空気ががらりと変わった。
まるで何かに監視されているような、圧迫感のある気配が漂っている。
「この霧……魔力を吸い取っている……?」
シエンが眉をひそめた。
実際、霧の中に入ってからというもの、カイたちは妙に体が重く感じ始めていた。
魔力の流れが鈍くなり、まるで周囲の空間そのものが魔力を封じ込めるような感覚に陥る。
「厄介だな……まともに戦えるのか?」
アッシュが警戒を強める。
「この霧……スレイ村で感じたものに似てる。」
カイは拳を握った。
そのとき——。
カサッ……
「……!?」
一行が立ち止まると、霧の向こうから低いうなり声が響いた。
「前方に何かいる!」
シエンが素早く詠唱を開始する。
霧の中から現れたのは——黒ずんだ皮膚に、赤い光を放つ瞳。
異様な雰囲気を纏った狼のような魔物だった。
「……普通の魔獣じゃないぞ!」
アッシュが警戒する。
黒い霧をまとったその魔物は、通常のモンスターとは違う異質な存在感を放っていた。
ただの動物的な獣ではなく、何かの意思に操られているような——。
「来るぞ!」
カイが叫んだ瞬間、魔物は疾風のごとく飛びかかってきた。
「くっ……!」
カイは剣を構え、間一髪で受け止める。
ガキィンッ!
重い衝撃が腕に走る。
普通の狼とは比較にならない膂力だった。
「リズ!」
カイが叫ぶと、リズが素早く後方で詠唱を終える。
「アクア・ブラスト!」
水の矢が魔物に向かって放たれるが、威力が弱まっていた。
狼の魔獣に突き刺さるものの、仕留めきれない。
「……魔法の威力が落ちている?」
リズが驚く。
「やるしかないな。」
シエンが援護に入り、剣で切りつけ止めを刺した。
「今のは……一体何だったんですか?」
セリが驚き、カイに尋ねた。
「俺にも分からない……。ただ、この黒い霧の影響で魔力が弱まったように感じた……。」
(こんな現象、300年前にはなかった......新たな魔法か?)
カイの疑念は深まるばかりだった。
「この黒い霧を発生させている何かがあるのかもしれない……。もしくは、誰かが……。」
シエンは厳しい表情で呟く。
「とりあえず、俺の魔法でみんなの魔力を一時的に高めておく。」
アッシュが珍しく冷静だった。
森の奥へ進むにつれ、霧はさらに濃くなり、視界も奪われていった。
「ねぇ、カイ……不気味ね。」
リズはカイの腕を掴み、少し怯えた様子だっ
た。
漆黒の霧が森を覆い、まるで夜の闇が地上に降り立ったかのようだった。
カイたちは警戒を強めながら慎重に前へと進む。
深い霧の森を進むうちに、カイたちは開けた広場へとたどり着いた。
「ここは……?」
周囲を見渡すカイの目に、巨大な石碑が映る。
その表面には不気味な魔法陣が刻まれていた。
「やっぱり、人為的なものだったか……」
カイは警戒を強めながら、魔法陣に近づいた。
その瞬間——
ズズズ……ガサガサ……!
足元に絡みつくような異様な空気。
「……!? 何か来る!」
ボゴォッ!
地面が裂けるように歪み、霧の中から無数のゾンビが這い出てきた。
赤黒く濁った瞳が、不気味な光を放っている。
「クソッ……囲まれてる!」
アッシュが短剣を構えた。
「いつの間に……霧のせいで気付けなかったのね……!」
リズが唇を噛む。
「くるぞ!!」
カイが叫ぶと、ゾンビの群れが一斉に襲いかかった。
「炎よ燃え上がれ!フレイム・バースト!」
アッシュの魔法が炸裂し、数体のゾンビを焼き尽くす。
「こいつらも、ただのゾンビじゃない! 霧の魔力で強化されてる!」
シエンが短剣を振るい、迫るゾンビの首を跳ね飛ばした。
「アクア・ブラスト!」
リズが水の矢を放つが、いつもの威力が出ない。
「ウィンド・カッター!」
セリが風魔法でゾンビの首をはねる。
「やっぱり……まだ霧の影響が……!」
「一匹ずつ相手にしてたらキリがねぇ! 一気に叩くぞ!」
カイが剣を振りかざし、ゾンビの群れを切り裂いた。
次々と襲いかかるゾンビたち——。
しかし、カイたちは連携し、全員が限界まで戦い続けた。
そして——
「はぁ……はぁ……! 何とか……倒したか……?」
ゾンビたちが全て地に伏したとき、カイは石碑を見上げた。
「この魔法陣……霧を生み出していた源かもしれない。」
「なら……破壊すれば……!」
アッシュが短剣を手にし、石碑に突き立てた。
「俺もやる!」
カイとアッシュが剣を振り下ろした。
バキバキィィン——!!
轟音と共に、石碑が崩れ落ちる。
ゴゴゴ……ッ!!
漆黒の霧が一気に消えていく。
「やった……!」
アッシュが勝利を確信したその瞬間——
ズズズ……!
突然、石碑の残骸から黒い光が噴き出した。
「なっ……!?」
「気をつけろ!」
アッシュの叫びと同時に、その黒い光は一筋の稲妻となってリズへと襲いかかった——!
「キャッ……!」
リズの身体が黒い稲妻に包まれる。
「リズ!!」
カイが駆け寄るが、間に合わない。
ビリビリビリビリ……ッ!
リズの体を駆け巡る黒い魔力——
それは、ただの魔法ではなかった。
「……リズ、大丈夫か!?」
「……だ、大丈夫……」
リズは立っていた。
だが、その顔は青ざめ、唇は震えている。
「……今のは、何だったんだ……?」
アッシュが近づき、リズの腕に手をかざす。
すると——
「これは……まさか……!」
「何だ? 何が起きた?」
カイは困惑していた。
アッシュが険しい顔をして告げた。
「禁忌魔法の呪詛だ……生命力を吸い取る恐ろしい呪いだ。」
「な……!」
シエンが目を見開く。
「嘘……でしょう……?」
リズは自分の手を見つめる。
黒い紋様がゆっくりと腕に広がっていた。
「そんな……!」
「クソッ……やっぱり黒の教団が仕掛けてやがったのか……!」
カイは拳を握りしめる。
アッシュが続ける。
「この呪い……石碑が破壊された際に発動するよう仕組まれていたんだ。黒の教団が魔力を集め、それを邪魔された場合の最終手段か……。」
「リズさん……!」
セリは震える声でリズの名前を呼びながら、そっと彼女のそばに膝をついた。
リズの顔は青ざめ、息も浅い。それでも、無理に微笑もうとする姿が痛々しかった。
「大丈夫よ、セリ……心配しないで……」
リズはか細い声で言ったが、力なく揺れるまつげが、その言葉が強がりでしかないことを物語っていた。
「そんな……! どうしてこんなことに……!」
セリの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
頬を伝い、リズの手の甲に落ちると、それは小さく弾けて消えた。
「私、何もできない……! ただ見ているだけなんて、嫌……!」
震える手でリズの手を握る。冷たい。
「お願い……リズさんを助ける方法があるなら、どんなことでもするから……!」
セリの声は、次第に嗚咽へと変わっていった。
必死に涙を拭おうとするが、次から次へとあふれて止まらない。
「大丈夫……きっと、大丈夫よ……」
リズは弱々しく微笑んだが、彼女の体は徐々に力を失っていく。
「絶対に助けるぞ。」
カイが静かに、しかし力強く言った。
「俺たちが、必ずリズを救う。」
その言葉に、セリは涙に濡れた顔を上げた。
「……はい……!」
彼女の瞳には、不安と悲しみ、そして微かな希望の光が揺れていた。
リズを抱え、急いでアルカンダへ戻るカイたちの足取りは、いつも以上に重く感じられた。黒い霧を発生させていた魔法陣を破壊し、ゾンビの群れを退けることには成功したが、リズに降りかかった呪いの存在が、カイたちを更なる絶望へと引き込んでいった。
王都へ近づく道のり、カイの視界はぼんやりと霞み、周囲の景色も静寂に包まれていった。リズの体温が冷たくなるのを感じながら、セリは震える手で彼女の腕を握りしめる。カイの胸にはただ「助けなければ」という思いだけが渦巻いていた。
「絶対に助ける」その決意が湧き上がりながらも、現実の無情さに胸が締め付けられるようだった。




