[第十七話]帰還
早朝、まだ太陽が昇る気配すらない薄暗い空の下、王国騎士団と黎明の剣のメンバーは静寂に包まれた山道をルーネ村へと向かい歩いていた。夜の名残を残す冷たい風が頬をかすめ、草木のざわめきだけが微かに響いている。
疲労困憊の体を引きずりながら、それでも彼らは一歩ずつ前へ進む。戦いの余韻がまだ身体に染みついていた。焦げた土の匂い、血の生臭さ、仲間の絶叫——それらは未だに頭の奥にこびりついて離れない。
しかし、もう戦いは終わった。
ゴブリンキングは消滅し、ルーネ村を脅かす脅威は取り除かれた。
だが、その勝利は決して軽いものではなかった。
ガルドの犠牲......
王国騎士団の頼れる盾であり、リーリアの右腕とも言える存在だった彼は、今や冷たい亡骸となっていた。
リーリアは彼の亡骸を背負いながら、険しい表情を浮かべていた。
彼女の目に涙はない。ただ、静かに前を見据え、一歩ずつ歩みを進めている。
「団長……休みましょうか?」
クロウが優しく声をかける。
「……大丈夫です」
リーリアは短く答えた。その声にはかすかな震えが混じっていたが、彼女は足を止めようとはしなかった。
カイは後ろからその姿を見つめ、拳を強く握った。
(……俺の力が足りなかったせいで、ガルドは死んだ)
自責の念が胸を締め付ける。
ゴブリンキングとの戦いで見せた自分の力。
あの「ブラック・ホール」が発動しなければ、仲間たちは全滅していたかもしれない。
しかし、それでも——
「……俺は、もっと強くならなきゃいけない……」
カイが小さく呟いたその言葉は、静寂の中に溶け込み、誰の耳にも届かなかった。力の反動による頭痛や心臓の痛みが不安を呼び起こす。それでも、それ以上に強く胸を満たすのは、果たすべき使命への覚悟だった。
ルーネ村 ──
長い道のりの末、ようやくルーネ村が見えてきた。
しかし、そこに広がっていたのは、無残に焼け落ちた村の姿だった。
至る所に瓦礫が積み上がり、黒く焦げた家屋が風に揺れて軋む。
負傷した村人たちが、疲れ果てた表情で座り込んでいた。
彼らの目には、絶望の色が浮かんでいる。
「……ひどいな」
アッシュが唇を噛みしめながら呟く。
「これが、俺たちが守れたものなのか……」
シエンもまた、悔しげに地面を睨みつける。
カイは無言のまま、村の中心へと歩いていった。
その途中、負傷したリズ姿を見つけた。
「リズ……!」
カイは慌てて駆け寄った。
「カイ……無事でよかったぁ……」
リズはまだ顔色が悪く、苦しそうに息を整えていた。目から涙が溢れている。
カイはリズの身体をそっと抱き寄せた。
「無事でいてくれてよかった……」
リズは弱々しく微笑んだ。
「でも……村は……」
その言葉に、カイは再び村の光景を見渡した。
廃墟と化した家々、亡くなった人々の遺体、泣き崩れる村人たち。
勝利はした。
だが、それはあまりにも苦すぎる勝利だった。
「……すまない」
カイは小さく呟いた。
自分がどれほどの力を振るおうと、すべてを守ることはできなかった。
その事実が、彼の心を抉る。
しかし——
「まだ、終わっていない」
そう言ったのはリーリアだった。
彼女はガルドの亡骸を村の広場に横たえ、静かに村人たちへと向き直る。
「皆さん、聞いてください」
疲れ切った身体を奮い立たせ、彼女は力強く言った。
「私たちは……この村を取り戻します。
失ったものは戻らないかもしれません。でも、ここで絶望するわけにはいかない。生き残った者が、未来を作らなければならないのです!」
村人たちは彼女の言葉を聞き、目を見開いた。
「再建しましょう。
この村を、かつてのような平和な場所に戻すために!」
その宣言に、最初は誰もが戸惑っていた。
しかし、やがて村の長フェリスが答えた。
「......そうです。私達は生き残ったのです!」
その言葉を皮切りに、村人たちが少しずつ立ち上がり始めた。
「俺たちで、村を復興しよう!」
「負けてたまるか!」
「そうだ!この村はまだ終わっちゃいない!」
次第に士気が戻り、村の再建へ向けた動きが始まっていく。
カイもその様子を見て、小さく息をついた。
絶望の中でも、人は前に進むことができる——
彼女の言葉には人を動かす強い力があった。それを目の当たりにし、彼の心にも希望の光が差し込んだ。
(……俺も、前に進もう)
拳を握りしめ、カイは静かに決意を固めた。
その夜、村の広場では簡単な追悼の儀が行われた。
亡くなった者たちのために、火を灯し、祈りを捧げる。
リーリアはガルドの墓標の前で静かに座っていた。
カイもまた、彼女の隣に座る。
「……彼の犠牲を、決して無駄にはしません」
リーリアは小さく呟いた。
カイも頷く。
「俺も、もっと強くなる。……二度と、大切なものを失わないために」
「カイさんがいなければ、我々は全滅しておりました。王国騎士団を代表して、心より御礼申し上げます。」
リーリアは深々と頭を下げた。
その声音には、悲しみと感謝の入り混じった複雑な感情が滲んでいた。
カイは戸惑いながらも、彼女を見つめた。
「俺は……ただ、必死に戦っただけです。それに、リーリアさんがゴブリンキングに致命傷を負わせなければ、倒せていません」
「それでも、あなたがいなければ私たちは……ガルドは……」
リーリアの声がかすかに震える。
彼女の手は、まだガルドの鎧の一部を握りしめていた。
その指先には、すべてを守りきれなかった悔しさが刻まれている。
「俺は、ガルドを救えなかった……」
カイは自嘲するように呟いた。
リーリアは静かに首を振る。
「彼は……誇りを持って戦いました。団長として、私はその誇りを胸に刻み、前へ進まねばなりません。」
カイは、彼女の決意に満ちた瞳を見て、強く頷いた。
「……俺も、もっと強くなります。もう誰も……仲間を失わないために。」
リーリアはカイの言葉を聞き、静かに微笑んだ。
それは、哀しみの中にある微かな希望の光だった。
そして彼らは、ゆっくりと村を見渡した。
そこには、再び立ち上がろうとする人々の姿があった。
静かな夜風が吹き抜ける。
それは、新たな旅立ちの予感を孕んだ風だった。
数日後——
クラン《黎明の剣》の一行と王国騎士団はルーネ村を後にし、王都アルカンダへと帰還した。
時が経つにつれ、それぞれの疲労も次第に癒え始めていた。
ギルドヘブンにカイとリズは足を運んでいた。いつもの優しいエルフが挨拶をつげた。
「いらっしゃいませ。」
ギルド《ヘブン》に足を踏み入れたカイとリズを、いつもの穏やかなエルフの受付嬢が迎えた。
「いらっしゃいませ。」
柔らかな微笑みとともに、彼女はカイたちに視線を向ける。
「お帰りなさい。ルーネ村の件、大変だったようですね……」
ギルドの中は、昼間にも関わらず賑わっていた。
カウンターには依頼を受ける冒険者たち、奥のテーブルでは酒を飲み交わす者たちが楽しげに話している。
——まるで、ルーネ村での激闘が嘘だったかのように、穏やかな日常が広がっていた。
カイはカウンターに近づき、受付嬢に軽く頷く。
「セシルさんはいますか?」
受付嬢は少し驚いたように瞬きをしてから、小さく微笑んだ。
「はい、ギルドマスター室にいらっしゃいます。カイさんの帰還を知って、ちょうど会いたいとおっしゃっていましたよ。」
「そうですか。尋ねてみます。」
カイはリズを見やると、彼女も静かに頷いた。
カイがギルドマスター室の扉をノックすると、中から低く落ち着いた声が返ってきた。
「入れ。」
扉を開けると、そこにはギルドマスターセシルがいた。
深紅のローブを羽織り、机に肘をつきながら書類をめくっている。
「よく戻ったな、カイ、リズ。」
カイは静かに頷き、前へ進んだ。
「ただいま戻りました。ルーネ村の件、報告しに来ました。」
「聞かせてもらおう。」
セシルは手元の書類を脇へ寄せ、カイに視線を向ける。
カイは戦いの経緯を端的に説明した。
ゴブリンキングとの戦い、王国騎士団の奮闘、そしてガルドの犠牲——
戦いがどれほど激しかったのかを、淡々とした口調で語る。
リズは途中、何度か言葉を詰まらせながらも、カイの隣で頷いていた。
セシルは最後まで無言で聞いていたが、報告が終わるとゆっくりと息をついた。
「……大変だったな。」
彼の言葉は、決して軽いものではなかった。
長年ギルドをまとめてきた者として、戦いの重みをよく理解しているのだろう。
「ガルドのことは残念だが、お前たちはよくやった。」
「……ありがとうございます。」
カイが静かに応じると、セシルは机の上に手を置き、真剣な表情を浮かべた。
「ところで、カイ.....'君が戦いの最中に感じたという、邪悪な魔力の波動……それについて、詳しく聞かせてくれないか。」
カイは眉をひそめた。
「……やっぱり、気になりますか。」
「当然だ。ルーネ村襲撃の背後に、単なるモンスターの増殖以上の何かがあるなら、見過ごすわけにはいかない。」
「俺も同じ考えです。」
カイは腕を組み、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「あの時、ゴブリンキングと戦う直前……確かに、異質な魔力を感じました。俺が今までに体験したどんな魔法とも違う……冷たく、そして……深淵のような感覚でした。」
「深淵……か。」
セシルが目を細める。
「それは、普通の魔族や魔物が放つものではなかったか?」
カイは静かに首を振る。
「……いいえ。あれは、もっと別の何か……俺には、まるで“誰か”の意志を感じたような気がするんです。」
部屋の空気が一気に張り詰めた。
リズも思わず息をのむ。
セシルは無言のまま、机の上に視線を落とし、考え込んだ。
「やはり黒の教団の関与か......」
重く冷たい空気が流れた。
そして——
「……カイ。お前に頼みたいことがある。」
「何でしょう?」
セシルはゆっくりと顔を上げ、鋭い眼差しでカイを見つめた。
「数日前、王国の南部、シャルト森林地帯で異変が起きた。」
「異変……」
「現地の冒険者たちからの報告によると、森の奥に“黒い霧”が発生し、それ以来、森のモンスターたちが異常な動きを見せ始めたという。」
「黒い霧……?」
カイの胸の奥で、何かがざわめいた。
「ルーネ村や廃村で感じた魔力と似たものでしょうか?」
「それを確かめてほしい。」
セシルは言葉を区切り、カイをじっと見つめる。
「この異変……黒の教団の関与も考えられる......君たちの目で確かめてきてほしい。」
カイは一瞬だけ沈黙した後、力強く頷いた。
「……分かりました。」
リズもまた、決意のこもった瞳で頷く。
セシルは二人の覚悟を確認し、静かに微笑んだ。
「頼んだぞ。」
こうして、カイたちは新たな任務——シャルト森林地帯の異変調査へと向かうこととなった。
ルーネ村の戦いの余韻が冷めやらぬうちに、再び新たな影が迫りつつあった。
出発を前に、クラン《黎明の剣》の一行は王宮へと向かっていた。
王国騎士団を通じて正式な招集を受けた以上、これを無視するわけにはいかない。
カイ、リズ、アッシュ、シエン、セリの五人は、王宮の壮麗な門をくぐり抜けた。
白大理石で造られた巨大な城壁がそびえ立ち、整然と並ぶ騎士たちが彼らを迎える。
「これが王都の中心……いつ来ても圧巻ね。」
リズが感嘆の息を漏らす。
「ったく、あのゴブリン騒動のせいでゆっくり休む暇もねぇな。」
アッシュが肩を回しながらぼやく。
「でも、それだけ重要な話があるんだろ?」
シエンは落ち着いた様子で周囲を見渡しながら言う。
カイは黙ったまま、王宮の奥へと進んでいった。
広々とした謁見の間に足を踏み入れると、王座には国王レオナール・アークレインそして、隣には第一王女エレナ・アークレインが座っていた。横には王国騎士団の最高司令官、ヴァルター・クラウス将軍が控えている。
「カイ・ルシウス、そして《黎明の剣》の皆よ。よく来てくれた。」
王は落ち着いた口調で彼らを迎えた。
「ルーネ村での戦果、確かに報告を受けた。そなたたちの勇敢な戦いによって、村の壊滅を防ぐことができたと聞く。」
王の言葉に、一行は静かに頭を下げた。
「だが、同時に悲しむべき報告も届いておる。」
王の声が重くなる。
「王国騎士団の盾たる男、ガルド・ヴェルナーが戦死したと……」
王の言葉に、室内の空気が張り詰める。
リーリアが深く頭を下げ、静かに言った。
「はい……ガルドは最後まで戦い抜き、私を守るために命を捧げました。」
「そうか……」
王は目を閉じ、しばし沈黙した後、再びカイたちへと視線を向ける。
「そなたたちには、改めて礼を言わねばならぬ。ゴブリンキングの脅威を討ち果たし、王国を救った功績は計り知れない。」
「……しかし、戦いはまだ終わっていない。」
その言葉に、カイはわずかに眉をひそめた。
「我らも独自に調査を進めておる。どうやら、ルーネ村の襲撃は単なるモンスターの暴走ではなく……何者かによって引き起こされた可能性が高い。」
カイは王の言葉を聞きながら、やはり……と心の中で呟いた。
あの戦いの中で感じた異様な魔力の波動。それは、ただのゴブリンたちが持ちうるものではなかった。
「そして……シャルト森林地帯でも、黒い霧の異変が確認された。」
「黒い霧……!」
リズが思わず声を上げた。
「お前たちはすでにギルドの方から調査の依頼を受けておるようだな。」
ヴァルター将軍が言葉を継ぐ。
カイは頷く。
「はい。セシルさんから詳細を聞きました。俺たちで調査に向かいます。」
「うむ。だが、この件は王国にとっても重大な問題だ。」
王の眼光が鋭くなる。
「そなたたちには、正式に王国の特命調査隊としての役目を与えたい。」
「特命調査隊……?」
シエンが疑問を口にする。
「つまり、この件において、王国はそなたたちを正式な王国の戦力として認めるということだ。もし事態が悪化すれば、そなたたちに追加の騎士団を派遣する用意もある。」
王の言葉を受け、一行は顔を見合わせた。
「……わかりました。」
カイが一歩前へ出る。
「俺たちが、シャルト森林地帯の異変を調査します。」
王は満足げに頷いた。
「頼んだぞ、カイ・ルシウス。そして《黎明の剣》の諸君。」
こうして、カイたちは正式に王国の任務を帯び、シャルト森林地帯の異変を調査することとなった。
次なる戦いが、すでにその先で待っていた。




