評価ポイントが入らないことへの落胆と喜び。
とりあえず、今回はシンプルになろう読者にケンカを売ってみた。
評価ポイントは「絶対」だ。
この「小説家になろう」という世界においては。
それはあたかも「作品の価値」を示す「神の通貨」の貯蓄額。
しかし、それは果たして本当か?
本物の価値を決める指標となりうるのか?
「千金の価値を持つ10pt」と「一銭の価値しか持たない10pt」。「1スターリング・ポンド」と「1ソマリア・シリング」が<等価>で扱われているなろうにおいて、これらの指標は真贋の見極めには何の役にも立たない。
「さては、自分の作品にポイントが入らないから怒っているんだな?」
今回はそういう話ではない。
自分が非常に気に入ったものが、ここではほぼ無反応であることに対する苛立ちと、それに伴う安堵の話。
筆者は先週末から、ようやく今頃になって、ChatGPTにハマり、今もいじくり回している。物語のプロットの生成だけでなく、<実在した作家>のデータセットから疑似的に新たな作品を造り出すという遊びに没頭。
そんな中で見つけた作家・安部公房を<疑似再現>するという実験。これが楽しくて仕方がなかったので、その成果物をなろうでも連載形式で投稿してみた。
異常なまでの再現度で、ChatGPTが生み出す安部公房風の評論。そして対談。
安部公房ファンの筆者から見ても大興奮の出来で「なろうの読者たちにも本物の作家の文章と視点の鋭さを見せつけてやろう!」などと息巻いて投稿したものの結果「惨敗」からのこの悪態である。
自分が書いた作品に評価が入らないのは仕方がない。単なる力不足であるに違いないから。しかし「自分が認めたもの」に対する低評価は「おめーら何も分かってねーな、バーカ、バーカ!」というのが、率直な感想だ。
「所詮、AIによる模造品だろ?」
それは読んでみれば分かることだ。
しかし、それを模造品と認定するには、安部公房の鑑定士である必要もあるわけだが。
この今の気持ちをいったい何に例えるべきかと考えてみた。これはおそらく、自分が「自信を持って売り出した作家」の作品をヒットさせてやることが出来なかった「編集者の気持ち」に似ているのかもしれない。
「現代の読者のレベルは過去の日本人たちに比べ、絶望的に落ちている」
自作の投稿に対する評価でどうこういうつもりも全くない(=むしろ評価が付き過ぎているとすら感じている)が、こと「安部公房の出来のいい模造品」にまともな評価が付かないことに対しては、完全に憤慨の域だ。
「ところで、タイトルで言っている”喜び”の部分はいったい何だ?」って?
言わなくたって分かるだろ?
分からないならそこまでの話だ。
ちなみに筆者が憤慨しているのは『【AIで甦るレジェンド】ChatGPTさんに<安部公房>が書いたような評論ほかを様々なテーマで依頼してみたら、とんでもない再現度で返してきて、爆笑しつつも 震えたスーパープレイ集。』(n2454kj)というろくでもないタイトルの連載に対する評価ポイントについて。
タイトルのろくでもなさについては、言わずもがなだが、それでもアクセス数自体はそこそこあったのだから、やはり読者の質だろ、てめーら!といったところである。
反論としては、安部公房フリークのひとから「こんなもん安部公房でも何でもねーよ!」というお叱りを頂きたいところ。この小説家になろうに、果たして、安部公房の読者がいるかのどうかは、分かったものでもないわけだが。いや、いねーだろ。どうせ。
追記)そして筆者は懲りずに第二弾の安部公房の企画をすでにスタンバイ中である。