第3話 ほんの僅かでも
万人向けに早変わりした健全なマイルームに三月さんを招き入れると、床に座布団を敷いてお互いに正座で向かい合って座り──畏まった状態で最初に切り出したのは黒瀬さんだった。
「改めまして、一年二組の黒瀬冬香です。真辻くんとお話する機会を頂きたくてこのお宅までお伺いしました。よろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。真辻清道です、はい」
礼儀正しく頭を下げる黒瀬さんに応じて俺からも頭を下げる。
こうして間近で見ると黒瀬さんマジで可愛すぎるな。顔小さいし、まつ毛長いし、なんか甘いいい匂いするし。
どう言い表せばいいんだろう。とにかく儚げで、小動物みたいな存在感で守ってあげたくなるような、庇護欲を駆り立てられるというか。
ひとまず深呼吸だ。深呼吸を繰り返して落ち着こう。男としてのプライド、情けない姿は見せられん。
「すぅー……はあぁあー……」
甘い香りが一気に鼻を通った。ヤバい興奮しちゃう。
「あのぉ……?」
「はいっ、なんでしょうか!?」
「あ、いえ、やはりその、体調が優れないのかなと」
「いやめっちゃ健康ですッ!!」
「ああぅ……で、でしたら、何よりです」
しまった、黒瀬さんが少し怯えてしまっている。
過敏に反応し過ぎたか……お、落ち着け落ち着け……ギャルゲーの主人公らしく大らかに、紳士的に。
「えっと、喉渇いたらいつでもお茶飲んでいいから、いくらでもっ!」
「ご、ご気遣いありがとうございます。程々に、いただきますね」
よし、今ので幾らか好感を得られたはずだ。我ながらナイスプレイ。
その後、黒瀬さんはローテーブルに置かれたお茶の入ったコップに口を付け、ひと息ついた後にコホンと咳払いを入れる。
「では、本題に入ります。今、真辻くんが学校に来られていないのは──」
「その前にッ!」
「ひゃっ!? は、はいっ?」
面倒事になる前に俺は再びビシッ! と手で制して続きの言葉を遮る。
黒瀬さんを部屋に招き入れたのはそんな話をしたかったからじゃない。もっとこう、個人的な内容というか──ズバリ、
「黒瀬さんの、好きな男子のタイプとかお聞きしたいですッ!」
「……タイプ、ですか?」
キョトンと目を丸くする黒瀬さん。俺は構わず強気に迫った。
「そ、そうっ! 優しい人ーとか、明るい人ーとか、そんな感じでさっ」
「は、はあ……それを聞いて、どうされるおつもりで?」
「いや、ちょっと気になるだけっていうかさ、昔からそういう知りたくなっちゃう癖があるんだよなー俺。ははは」
決して下心があるわけではない。純粋に、あくまでもただ純粋に知りたいだけである。と、俺は思っているつもり。
「そう、なんですね?」
「そうなんだよっ!」
力強く頷くと、黒瀬さんは少し考える素振りを見せたのちにおずおずと口を開く。
「…………あ、甘えさせてくれるような、大人びた方、みたいな」
「つまり、年上がいいってこと?」
「いえ、年齢はあまり気にしていません。ただ、こんな私を優しく労わってくれるような、包容力のある方がいいなあ、と」
「な、なるほど」
包容力、か。
てことは、俺とは真逆の人間性ってことかぁ……くそう、なんか悔しい。
「い、以上です。では、真辻くんが今学校に来られていないのは」
「じゃあ好きな食べ物はッ!?」
間髪入れずに続けて質問を差し込む。そう簡単に本題には入らせないぞ。
「へっ? ま、まだ続くんですかこの流れっ⁉」
「もちろんっ! まだまだたくさん黒瀬さんに聞きたいことあるんだよなー俺っ! 色々教えてよっ!」
「えと、その、きょ、今日はそういう目的で来たわけでは」
「あとでちゃんと黒瀬さんの話も聞くからさっ!」
強引に押し通すと、黒瀬さんはたじろぎつつも観念したように肩を落としていた。
「もう。分かりました、約束ですよ? あまり時間もないので手短にお願いしますね?」
「あ、ありがとう! じゃあ改めて、好きな食べ物はっ?」
「は、はい。私の好きな食べ物は──」
そうして、俺は脳内に思いつく限りの質問を黒瀬さんに投げかけていた。
小中学校の出身、苦手なこと、趣味、休日の過ごし方など、数多くのギャルゲーを制覇して培ったトークスキル(?)を駆使して話に花を咲かせていくと、次第に黒瀬さんの表情にも余裕というか、柔らかい笑みが零れ始めていた。
よし、中々いい雰囲気ではなかろうか。このまま好感を得ながら最後まで何事もなく──
「はい、ここまでです。そろそろ真面目に本題に入りますよ?」
が、突然の幕切れに俺はガクッとずっこける。
「ちょ、ちょっと待って。まだ俺聞きたいことが」
「だめですおしまいですっ。気が付いたらもう十七時手前じゃないですかっ! これ以上は私の帰りが遅くなってしまうので打止めにさせていただきます」
くそ、バレたか。時間が遅くなれば根を上げてくれることを期待していたのに。本音としては黒瀬さんと二人きりで長いこと話していたい場面ではあるが。学業関連抜きで。
「そんなぁ……ほ、ほら、高校にはいずれ頑張って登校するからさ、今日のところは」
何とか話題を逸らそうと必死に抵抗するも、却って黒瀬さんは真面目な面持ちで冷静さを取り戻していた。
「先ほどお約束しましたよね? 私の話を聞いてくれるって」
「いやあ、そのぉ」
「加えて、今の真辻くんでは信用できません。不登校に陥った経緯をまだ詳しく伺っていませんし、それに……そのわだかまりを解消しない限り、真辻くんは過去に囚われたまま塞ぎ込み続けるだけですよ?」
「そ、それは……」
言い淀む俺に、黒瀬さんは好機とばかりに言い立てる。
「今この場には私と真辻くんしかいません。誰かが盗み聞きするだなんてことは到底ありえませんし、邪魔も一切入りません。ですから少しだけでも心を開いて私に悩みを打ち明けていただけませんか? あなたの力になりたいんです」
「……」
「どうか、お願いします」
と、再び頭を下げる黒瀬さん。
……俺なんかのために、そこまでする必要ないだろうに。
「黒瀬さんは、先生に頼まれてここまで来たんだろ?」
「その通りです。……ですが、実際にあなたと顔を合わせてみて、お話をして、気が変わりました」
「気が変わったって、それは、なに?」
俺が訊くと、黒瀬さんはフッと目を細めて表情を和らげる。
「真辻くんは明日から登校するべきです。面白い方だと思えましたから」
「お、面白い?」
「はい。とても物柔らかな表情で感情に富み、好きな物事を心から楽しそうに話すあなたの姿は非常に好感を持てました。それだけであなたが優しい心を持った方なんだと、そう結論へと至るのに他に言葉は要りません。少なくとも不登校には似つかわしくないと私は言い切れます」
「か、過大評価すぎるって」
「いいえ、正当な評価です。それとも、私のこの気持ちが信用できませんか?」
「そういうわけではないけどさ……」
熱量に押されて怯む俺に、黒瀬さんの勢いは止まらない。
「では信じてください。大丈夫です、こう見えて私は人を見る目があると言われていますから」
「ほ、ほんとに?」
「はい、本当です」
憂いなく笑って見せる黒瀬さん。
可愛い……けど、見た目に反して意外とけっこう強気というか、度胸あるなこの子。どれだけ本気で言っているのかは分からないが、少なくとも嘘をついているようには思えない。
──信用、してもいいのだろうか?
「それに私はクラス委員長です。クラスの長として、誰一人欠けることなく来年度の春を迎えるために真辻くんを見捨てるわけにはいきません」
「……それが本音なんじゃないの? 自分の体裁を保ちたいっていうかさ」
「あくまでも見栄ですよ。その、私から望んでクラス委員長になったわけではないですし」
「そうなの?」
「はい。その辺りも踏まえて、少しでいいですから私に打ち明けてくれませんか? 真辻くんが抱える悩みに寄り添わせてください」
「……」
今日まで接点のなかった俺のために、なぜそこまで親身になって接してくれるのだろう。
何を考えているのか定かではない──が。クラスメイトにここまで優しくされたのは生まれてきてから初めてだ
保育園の頃から冴えない身なりで友達がいなかった陰キャの俺は、誰からも見向きされずにひっそりと目立たない日々を過ごしてきた。
小学校、中学校と進学してからもそれは同じで、一人として友達を作れないまま部活にも所属せず、ただただ無気力に一度きりの貴重な少年時代を潰してきた。
後悔はしなかったが、このままではマズいと心の片隅で気にかけている自分がいたのもまた事実で、しかし解決策を見出せないまま無情にも時間だけが過ぎていき──そんな時、俺は自分を変えるためのきっかけと出会った。
それが、ギャルゲーだ。
主人公を中心に取り巻いていく、数多のヒロインたちとの青春の日々。
季節ごと、行事ごとに繰り広げられる一喜一憂な学園生活。
奇跡や偶然だなんてそうは起こり得ない現実とはまるで違う、全てが思い通りに展開されていくドラマチックで感動的なストーリー。
それらを目の当たりにした時、強く衝撃が走ると同時にこう思わざるを得なかった。
俺も、こんな素晴らしい学園生活を送れたらなって。
そう夢見て、しかし諦めかけていた目標がもしかしたら……もしかしたら、だ。
「笑ったりしないで、聞いてくれる?」
「もちろんです。人が抱える真剣な悩みを笑って聞くはずがありません。ご心配なさらず」
少し、ほんの僅かでもこの子に救いの道標が伸びているというのなら、俺はそれに懸けるべきなのかもしれない。
いや、懸けるべきなんだろう。
母さんにも言われた通り、今のままでは絶対にダメなのだから。
「……その、さ」
伏せていた目を上げ、俺は、意を決して閉じていた口を開く。
「にゅ、入学してからすぐに──」