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第2話 理想と現実

『先輩っ。私……先輩のことが、本当に大好きです』


 ──ああ、俺も。


『これから先、高校を卒業した後も、何年も何十年先も、ずっとずっと先輩の傍に居たいです』


 ──生涯全てをかけて、いつまでも。


『先輩が、私にとっての全てだからっ!』


 ──君のことを、世界一幸せにしてみせる……ッ!




「あー……花音ちゃん、マジで愛してるぅ……っ」


 バラード曲とともにエンドロールが流れ始め、達成感の余韻に浸りながら俺はテレビのゲーム画面をしみじみと見つめていた。


 ああ、やっぱりいいな、ギャルゲーってのは。現実とは違って純粋でひたむきなヒロインたちが揃っていて、みんなとても魅力的で華々しくて。


 新たな門出を告げる春、青い空が清々しい夏、木の葉が舞い散る秋、クリスマスのイルミネーションで煌びやかに彩られる冬。


 四季折々のシチュエーションでヒロインたちと少しずつ仲を育んで、次第に恋心を自覚していき、気付けば目が離せなくなっていって。


 好きな異性と過ごす毎日は白く眩い輝きに包まれていて、その人生は他の誰よりも希望に満ち満ちた素晴らしい景色で。


 そして最後は……たった一人だけの、かけがえのない大事なヒロインと結ばれるんだ。


 笑い合って、ドキドキし合って、楽しい思い出を積み重ねて……そして、キスをして。


 お互いに気持ちを全て分かり合えたとき、将来を見据えて在りたい家庭を語り合ったりするのかもしれない。


 俺も、そんな青春ラブコメを──送ってみたかった。


「…………はあ」


 しかしそれらは所詮、あまりにも都合良く出来すぎた妄想でしかなくて。


 ふとした拍子に現実に引き戻されたとき、俺の心は正気を取り戻して照明が消された暗闇の中、重苦しい現状に苛まれる。


「もう、一ヶ月か」


 ハンガーラックに掛けられた新品の制服を目に映しながら、ドッと重いため息がカーテンの閉め切った部屋中に深く浸透していく。


 先月、桜が舞い散る四月上旬。


 希望先の高校へと無事に進学を果たし、大きな期待を胸に抱いて臨んだ新学期初日。


 登校前に何度も何度もシミュレーションを重ね、高校デビューに向けて万全を期していたはずの俺は初っ端から大きな失敗をしでかし、用意してきた全ての努力を棒に振ってしまった。


 その場面が今でも脳裏を過ぎる度に、不快で苦しい痛みに心が蝕ばまれそうになる。


「なんで、こんなことになっちまったんだろうなぁ……」


 低く呟き、コントローラーを手放してドサッと後ろに倒れ込む。


 目線の先で広がる代わり映えのない白い天井、室内に充満するバラード曲。


 今、自分が置かれている状況を再認識する度に、ポッカリと胸に空いた穴から様々な感情が流れ出て虚無に呑まれていく。


 何も考えられないまま、一分、三分、五分と。時間だけが刻々と過ぎていき、どうすることもできない己の無力さに渇いた笑いが込み上げてくる。


「今頃、本当ならたくさんの友達に囲まれて……青春してたんだろうなぁ」


 今更、そんな後悔の念に駆られながらゆっくりと瞼を閉じる。


 何を言ったって、思ったって、もうどうしようもない。


 勝手に自滅して不安に押し潰された俺は不登校という末路を辿り、それから約一ヶ月が経ってしまった今、クラスに俺の居場所だなんて残されていないだろう。


 戻ったところで周りから冷ややかな目で見られ、陰で笑われ、一日を通して拷問のような精神的苦痛に苛まれるに決まっている。


 嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。


 俺は青春ラブコメのように気心の知れた友達と、可愛くて華々しい女の子数人に囲まれた幸せなスクールライフを満喫したいんだ。


 ……もう、叶うはずもないのだが。


「部活に入って、行事で大活躍して、期末試験で高得点取って……キラキラ輝くはずだった俺の三年間……ハッ、現実なんてクソ食らえ」


 思い通りにならないこんな世の中、生きる価値がない。


 誰か、この俺を二次元の世界へと連れていってくれないだろうか。


 このまま眠りに落ちて、次目を覚ました瞬間にはもう、別世界で生まれ変わってる的な。今流行りの異世界転生、転移的な。


 そんな奇跡でも起きない限り、今の俺の人生は完全に詰んでいて救いようがない。


「いいんだ。俺はもう、ギャルゲーさえあれば、それで……」


 ギャルゲーのヒロインはこんな俺を見ても嬉しそうに笑ってくれる、蔑んだりせずに俺の存在を認めてくれる、決して裏切ったりしない純真な心を持つ女の子たちだ。


 俺はいつまでも彼女たちの温もりに包まれながら、苦痛のない幸せな気持ちに浸り続けていればそれでいいんだ。


 ……ずっと、このまま、この場所で。

 

「……マジ、情けねえ」


 その呟きを最後に、フッと意識が途切れていた。




「──清道? ……清道ーっ? ちょっと清道っ⁉ 返事しなさーいッ⁉ 清道ーッ⁉」


 ……なんだよぉおお……うるさいなぁああ……ッ。


 騒々しい声と、バンバンとけたたましい物音で沈んでいた意識を叩き起こされ、俺は不快に思いながらも目を開く。


 スマホを手に取り確認すると、時刻は16時30分手前。約30分程度寝てしまっていたようだ。


 次いでゆらりと体を起こして見遣ると、声の主──母さんは部屋の扉のドアノブをガチャガチャと乱暴に回そうとする。施錠しているから開くわけないのだが。


 しかしこのままでは堪忍袋の緒を切らして蹴破ってきそうな勢いだ。なので仕方なく、俺は扉越しから応じることにした。


「うっせえ起きてるわッ! ガチャガチャすんな壊れんだろッ!」


「起きてんならすぐ返事しなさいよッ! ぶっ叩くわよッ!!」


 めっちゃうるさい。実の子に対してぶっ叩くって正気かそれ。


「ね、寝てたんだよ、仕方ねぇだろ」


 躍起になって言い返すと、後から呆れたようなため息が聞こえてきた。


「あんたねえ、同年代の他の子たちはちゃんと毎日登校して頑張ってるのに、いつまでもそんな体たらくなままで居ていいと思ってるの?」


「……ッ。うっせえつってんだろ」


 んな分かりきったこと、いちいち聞いてくるな。俺だって別に、好きで毎日引きこもってるわけじゃねえんだよ。


 受験勉強を頑張って成し遂げた志望校への進学。努力が報われて、見上げた先で広がっていたあの時の、雲一つない青空の景色。希望の光が最高潮に達したあの瞬間。


 ……そう易々と、諦められるはずねえだろ。


 でも、だけど、


「辛いんだよ。どうしようもねえんだよ、今の俺は」


「……ったくもう。相原先生だってね、あんたをすごく心配して何度も様子を見にこの家まで来てくれてるのよ? 一度くらい面と向かって話してみなさいよ? あんたがどう思おうが、何をどう言おうが、今のままじゃ絶対にダメなんだから」


「担任なんかと話したところでなんの励みにもなんねえよ。それに今更、俺がクラスに戻ったところで居場所なんてあるわけねぇし」


「この状態が長引けば長引くほど余計に悪化すると思うけど?」


「……」


 くそ、イライラする。周りの物全てをぶっ壊してぶちまけたくなる。


 俺がどれだけ辛い気持ちで塞ぎ込んでいるのかも知らないで、配慮の欠片もない正論ばかりを並べてペラペラと……ムカつく、むしゃくしゃする、暴れ狂いたい。


 でも、ダメだ。さすがにそれだけは抑えないと……それをしでかしたら、間違いなく俺はクズで最低な人間だ。ああ、くそっ。


「とにかく、ちょっとあんたに渡したいものがあるから今すぐ鍵を開けなさい」


「……渡したいもの?」


「学校のプリントよ、今日の分。先生の代わりにって、クラスメイトの女の子があんたのためにわざわざ家の前まで持って来てくれたのよ」


「……」


 クラスの女子……誰だ? 何の接点もない俺のためにって、それ絶対嫌々来てただろ。全然嬉しくない。


「そう、だから早く鍵開けて。すぐ終わるから」


「……」


 女子の正体が気にはなるが、まあ、帰ってしまったのなら臆することはないだろう。


 急かされた俺は渋々ながらも鍵を開け、ドアノブに手を掛けてゆっくりと扉を開く。


 照明の明るい光に包まれた扉の先で待っていた母さんは俺を見て再度息を吐くと、手に持ったクリアファイルをズイッと差し出してきた。


「昨日より目のクマ酷くなってるじゃない、また夜遅くまでゲームしてたんでしょ」


「……」


 無言でクリアファイルを受け取ると、他に用はないためすぐ部屋に引き返そううとする──が。直後に母さんは俺の腕を強く掴んで引き止めてきた。


「な、なんだよ」


「待ちなさい。そうやってすぐ逃げようとしないの」


「逃げるって、別にそんなんじゃ」


 部屋以外の空気を吸うと不安に駆られて気持ち悪くなる。だから俺はそうなる前にこの場から離脱したいんだ。


 逃げるだなんて、そんな人聞きの悪い──


「こんにちは、真辻くん」


「────っ……」


 唐突に、不意に、高く澄み切ったその声は俺の名前を淑やかに呼んだ。


 記憶にない、家族ではない、聞き覚えのない声がすぐ真横から。


 ドクンと心臓が跳ね上がり、渦を巻くような得体の知れない感情が全身に行き通って声が詰まる。


 同時に俺の手足はピシッと硬直し、身動きが取れなくなっていた。


「あ、あのぉ……?」


「……」


 かろうじて動いた首を捻って横を見ると、そこには知らない女の子が佇んでいた。


 そして、一目見て理解した。──ああ、この子は、俺とは真逆の存在なんだと。


(……だ、誰だ? 分かんねえけど、でも、すっげえ可愛い……っ)


 その姿はさながら天使のように奥ゆかしい、唯一無二のアイデンティティー。


 二次元とギャルゲーの沼にハマって現実を直視できなくなったこの俺でさえ、抵抗感なく目を奪われるほど可憐な容姿をした美少女だった。


「ちょっと、呼んでくれてるんだから返事くらいしなさいよ。せっかくここまで足を運んでくれたのにその態度は失礼でしょうが」


「ッ! か、母さんっ! 誰だよこの子ッ⁉」


「誰だよってあんた、一ヶ月引きこもっただけでクラスメイトの顔まで忘れたの?」


「く、クラスメイト……?」


 こんな、超が付くほどの可愛い子が? 全く記憶にないんだが。


 戸惑っていると、クラスメイトだと言う女の子はキュッと脇を締めて俺を見据えた。


「一年二組の黒瀬冬香です。こうして真辻くんとお話するのは初めて、ですよね?」


「……は、はい」


 ──か、かわいい……可愛い……ッ!


 ニコッと微笑んだその表情は、黒く染まりきった俺の心をブワッと白く浄化していた。


「相原先生からのご依頼でプリントを届けに来たんですけれど……その、真辻くんのこともお願いされていて」


「お、お願い?」


「はい。どうにか登校できるように説得をお願いしたい、と」


「……」


 くそ、あの担任め。可愛い女子を送り込めば俺の心が折れるとでも思ったのか。舐めるな、俺はそんなヤワじゃ、


「なので、少しお話しませんか? 私と、今後に向けて」


「…………」


 ──あーっ!! 可愛いーッ!! めっちゃ可愛いーーッッ!!


(お、落ち着け、落ち着け……ダメだ、なんだこの子っ、可愛すぎんだろッ!)


 湧き上がる昂りを必死に抑え込みながら、改めて彼女を目に捉えてゴクッと息を呑む。


 シャープに形作られた顔の輪郭、透明感ある面立ち、スッとした鼻筋。そして極めつけは俺の好みである黒髪ストレート。この子、あまりにも俺の理想的な女の子すぎる。


 三次元なんてクソ、価値がないだとか思っていたのに、この子を見た途端に全てを前言撤回したくなってきた。ヤバい、マジで運命的な何かを感じる。


「真辻くん? 具合が悪いんですか?」


「あ、ああっ、いや、そ、そういうわけではないんだけどっ」


「お顔が赤くなってます。もしかしてお熱が……?」


「大丈夫、マジで大丈夫だからっ!」


 ビシッ! と手で制して俺は威勢よく胸を張る。


 さすがに、こんな可愛い子の前でみっともない姿は見せられない。いや、不登校の時点ですでに超みっともないのだが、だとしても今はとにかく上っ面だけでも良く見せておきたい。女の前で格好よく見せたいのは男として当然の性だ。


「黒瀬さんはあんたを思ってお話がしたいって言ってくれてるのよ。だから少しくらい」


「お茶をご用意して」


「……は?」


「お茶だよお茶っ! 出来れば緑茶っ! 三月さんは客人なんだからそんくらいお出ししないと失礼だろっ!」


「……い、いきなりどうした?」


「べ、別にどうもしないって。ただその、話を聞くくらいだったら別にいいかなー的な?」


「何よその唐突な心変わり。話したところでなんの励みにもならないってあんたさっき自分で言ってたくせに」


「ちょっと事情が変わったんだよ事情がッ!」


 可愛い女の子と二人きりで話せる機会だなんて、今を逃せばもう一生訪れないかもしれない。あとで悶々と後悔して頭を抱える姿が容易に想像つく。


「お話、していただけるんですか?」


「も、もちろん! ここまで来てもらって追い返すだなんてそんな馬鹿な真似しないよっ!」


 隣で母さんが「じゃあ相原先生はなんなのよ」と呟く。うるせえ。


「あ、ありがとうございます。ではその、どこでお話すれば……?」


「俺の部屋でいいよっ! ちょっと今部屋ん中散らかってるからすぐ片付けるねっ!」


「いいんですか? 真辻くんのお部屋には入ることができないと私お聞きしていて……?」


「全然大丈夫っ!」


 登校するかどうかはさておき、とにかくこの子と何でもいいから話してみたい。もしかしたらワンチャン二人だけの特別な関係性が生まれちゃったりして──


「あたしですらまともに入れてくれないってのに、あんた……ッ」


「あー聞こえない聞こえない。じゃあマッハで部屋ん中片付けるから少し待っててっ!」


 黒瀬さんは特別なんだよ特別、VIP待遇なんだよ異論は認めん。


 そうして、部屋に戻って急いだ結果、約一ヶ月手付かずだった汚部屋は自分でも驚くほど綺麗になっていた。



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