【番外編】小さな嘘と大きな喜び
「ねえリチャード。昨日、女の子から何か渡されてたでしょう?」
昼休み。
お嬢様に急にそう聞かれて、俺は一瞬動きを止めた。
(昨日? 女の子から?…………ああ、そうだ)
俺はカバンの中に手を突っ込み、中から小さな包みを取り出した。
「お嬢様に言われて思い出しました。昨日、クッキーをもらったんですよ。家庭科の実習で作った物のおすそ分けだそうです。カバンの中に入れっぱなしにしていて、すっかり忘れてました。良かったらお嬢様も食べますか? えっ、お嬢様…………!?」
見ると、お嬢様が目に涙を溜めてこちらを睨んでいた。
「お嬢様!? どうしたんですか!?」
あまりのことに気が動転して、持っていた包みを近くの机に放り投げ、お嬢様の肩を掴んだ。
そして、今にも泣きそうなお嬢様の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか? どこか痛いところが?」
お嬢様は机の上の包みに目をやり、次に俺の顔をじっと見た。
そして。
「リチャードの馬鹿!!」
俺の手を払いのけ、大声で叫ぶと、教室の外に走り去った。
「…………お嬢様!?」
呆然とする俺に、マーガレット様が声を掛けてきた。
「追いかけたほうが良いと思うけど?」
その声で我に返り、慌ててお嬢様の後を追う。
俺たちの教室は二階の一番突き当りにある。
なので、校舎の外に出るためには長い廊下の先の階段を降りるしかない。
つまり、俺が本気で追いかけたら、お嬢様にはすぐ追いつくはず――なのに。
どこにも姿が見当たらない。
一体どういうことなのか。
慌てて辺りを見回していたら、すぐそばの植え込みの向こうから、声が聞こえてきた。
「いやあああああ! 虫が! だ、誰か助けて!!」
見ると、お嬢様が植え込みの陰にしゃがみ込んで、パニックになっていた。
「お嬢様! ここにいたんですね」
「リチャード! お願い、助けて、頭に虫が!」
見ると、お嬢様の頭に大きな木の葉が乗っていた。
近くの木から落ちた葉が、偶然頭に乗ったのだろう。
「大丈夫ですよ、虫なんていません。ほらね、これですよ」
「えっ!? 葉っぱ? ああ、良かったあああ」
お嬢様は虫が大嫌いだ。
セミとカマキリと蛾と毛虫は見るのも嫌で、蝶は見るだけならOK。
なのになぜかトンボとカブトムシは平気で掴めるから不思議だ。
カブトムシに至っては、二匹を戦わせつつ「スーパートルネードスロー!」などと叫んだりしていた。
「急に頭の上でカサカサ音がしたから、てっきり……」
ほっとしてにっこりと微笑むお嬢様は、天使のように愛らしい。
思わずつられて口元が緩んでしまう。
なのに、お嬢様は何かに気付いたようにハッとしてから、唇を噛みしめ俯いてしまった。
「お嬢様、どうしたんですか? さっきから、様子が変ですよ?」
「…………リチャードがひどいからよ」
(俺が? ひどい?)
身に覚えが無いのだが。
気付かないうちに、何かお嬢様の気に障るようなことをしてしまったのかもしれない。
「俺が何かしてしまったのなら謝ります」
「私に謝っても仕方が無いわよ」
ますます訳がわからない。
これはもう、このままだと迷宮入り確定だ。
「お嬢様、お願いですから、どうしてそんなに怒っているのか教えてもらえませんか?」
このままだと埒が明かない。
何より、お嬢様が悲しそうにしているのは見ていて辛い。
なので、心からそう願うと、お嬢様は目を伏せたまま話し出した。
「昨日、リチャードが貰っていたあのクッキーは……」
(クッキー? あの、女子生徒がくれた?)
「あれは、家庭科の実習で作ったおすそ分けなんかじゃないの!」
「……どうしてそれをお嬢様が知っているんですか?」
予想外の話が始まったことに動揺したが、ここできちんと話を聞かないと、またお嬢様が逃げ出してしまう。
腕を掴み、近くのベンチに行き腰を下ろし、話をじっくり聞く体制を整えた。
「偶然聞いちゃったの。図書館であの子が友達と話していたの……あの子は、リチャードに食べて欲しくて、一生懸命クッキーを作ったんですって。でも、そんな風に言うと、リチャードに受け取って貰えないだろうから、実習で作った余りだって嘘を言ったんですって」
お嬢様は、小さな声で、独り言のように続けた。
最初は、家庭科の実習で作った物の余りだと言って、何気なさを装ってクッキーを渡してきた女子生徒に腹が立った。
次に、何も知らずに喜んで受け取った俺にも腹が立った。
そして、そんな小さなことで腹を立てている自分にも腹が立ってきた。
なので、今日、他の子からのクッキーを喜ぶなんて浮気だと、俺をからかってやろうと思った。
でも。
「リチャードったら、クッキーをカバンの中に入れっぱなしで忘れてて……しかも、私に食べるかどうか聞いたりするんだもの……ひどい」
お嬢様が涙目で言った。
「あの子、リチャードが受け取ってくれたってすごく嬉しそうだったのに、リチャードってば……」
お嬢様は、俺のそんなあんまりな態度を見て、その子のことが気の毒になったらしい。
でも、それだけではなくて。
それと同時に、ほっとしたのだそうだ。
俺が、その子のことを特に何とも思っていないようだと。
そして、そんな自分がひどく意地悪で嫌な性格の人間だと思い、自己嫌悪に陥ったと言う。
「お嬢様、貴女という人は…………全く」
俺は、湧きあがる喜びに口元が緩むのが抑えられなかった。
そんな俺を見て、お嬢様が訝し気に眉を顰める。
「リチャード?」
「嫉妬してくれたんですね」
お嬢様の手を取り、その指先にそっと口づける。
「……嬉しいです」
「…………リチャードの馬鹿。…………嫌い」
目元を染めたお嬢様が、悔しそうに呟く。
「嘘でもそんなこと言わないで下さい」
「嘘じゃないわ…………あ、でも」
お嬢様が、何かに気付いたような顔になった。
「リチャードなんて嫌い。……今日だけはね」
「今日だけ? ……あ、」
――そうだ。今日は、4月1日。
「お嬢様、今日の放課後、イチゴのタルトを食べに行きましょうか」
「えっ? 本当に? 嘘じゃないわよね?」
どうやら機嫌が直った様子のお嬢様に、耳元で囁く。
「嘘じゃないです。俺は、たとえエイプリルフールでもお嬢様には嘘はつきません」
「…………リチャードの馬鹿」
「……ふっ」
今日は何回、お嬢様から馬鹿と言われているのだろうと、思わず吹き出してしまう。
「み、耳元で笑うの禁止!!」
真っ赤な顔で抗議してくるお嬢様が可愛すぎる。
思わず抱きしめると、腕の中のお嬢様がまたもや小さく「リチャードの馬鹿!」と呟いた。