【番外編】最初と最後のキスをあなたと
本編は完結済みです。
R7.2.14 番外編を投稿しました。
学院から帰り、フォークナー邸でお茶を飲むことになった。
ここまではいつものことだ。
だが、今日はいつもと違って、お嬢様の部屋に一人きりで待たされている。
かれこれ一時間は経っただろうか。
一体、何があったのだろう。
それにしても。
お嬢様の部屋は相変わらず可愛らしい。
淡いブルーの壁紙、可愛らしい家具やテーブルセット、たくさんのぬいぐるみやクッション。
そして、レースの天蓋がついたベッド。
ここでお嬢様が毎晩眠っている――ヤバい、想像したら顔が熱くなってきた。
こんなところで鼻血出したりしたら、一生の恥。こらえろ、俺。
そんな風に色々と妄想を繰り広げていると、ようやくお嬢様が部屋に現れた。
「リチャード、待たせてごめんなさい!」
お嬢様は、ティーセットの乗ったワゴンを押しながら部屋に入り、いそいそとテーブルの上でお茶の準備を始める。
いつもはマリーさんがお茶を淹れてくれるのだが。
どうして今日はお嬢様が?
「ふふっ、今日はね、お茶もお菓子も全部、私が準備するからね!」
「お嬢様?」
「前世で友達がウエイトレスのバイトをしてたのをよく見てたから、上手にできると思うわ。いらっしゃいませ、リチャード! 私の部屋へようこそ!」
自分がバイトしてたわけではないんですね。
そして、そのお友達がどこでバイトしてたのか想像がつきます。
それはさておき、どうして急にこんなことを始めたんだろう。
不思議に思いつつお嬢様を眺めていると、お嬢様が白い皿をテーブルに乗せた。
「えっとね、焼きたて熱々の、フォンダンショコラの生クリーム添えです! 料理長に教わって私が作ったのよ」
「お嬢様が、自分で……?」
「そう。だって、今日はバレンタインデーだもの!」
そういえば、今日は2月14日だった。
こちらの世界ではバレンタインデーという風習はなかったので、すっかりその存在すら忘れてた。
「せっかくリチャードも前世のことを思い出したことだし……何かチョコレートのお菓子を作ってみようかなって思って。で、料理長に教わりながら作ってみたの」
「お嬢様が、これを……」
「さ、熱々のうちに食べてみて!」
お嬢様に急かされ、慌ててフォークを入れる。
外側はサクッとしていて、中からとろりと濃厚なチョコレートが溢れ出す。
その瞬間、甘い香りがふわっと鼻をくすぐる。
口に入れると、ほのかな苦みが広がった。
「すごく美味しいです!」
「良かった!」
お嬢様はホッとした表情になり、自分もフォンダンショコラを食べだした。
一口ごとに目を閉じ、頷きながら味わっている。可愛い。
その様子を見ているだけでも幸せな気分になる。
「嬉しいな。こうやって大好きなリチャードに手作りのお菓子を作ってあげられるなんて」
大好きなリチャードに……
大好きなリチャードに……
大好きなリチャードに……
……天使か。
お嬢様が作ってくれたと思うと、食べ終わるのが名残惜しく、最後の一口はゆっくりと味わった。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ふふっ、あのね、実はね、チョコレートクッキーも作ってあるの! たくさん作ったから、家に持って帰って食べてね。ベルク伯爵の分もあるから」
「どうして父の分まで……」
「クッキーは義理チョコ代わりだから。おじいさまとおばあさま、マーカスにもあげたの。昨日、マリーと一緒に作ったのよ。マリーは好きな人にあげるんですって」
「マーカスさんにまで……」
「フォンダンショコラはリチャードにだけ。本命とは差を付けないとね!」
「本命!!」
思わず喜んでしまったが、仕方がない。
本命という響きのなんと素晴らしいことか!
「ふふっ、リチャードったら、口の横に、チョコレートが付いてるわよ?」
お嬢様はそう言ったあと、何かを思いついたような顔になり――顔を近づけ、俺の唇の横をペロッと舐めた。
「……っ!」
「はい、綺麗になった」
お嬢様がからかうように言った。
いたずらが成功した子供のような表情だった。
じわじわと頬に熱が集まってくるのを感じる。
きっと耳まで真っ赤になっているだろう。
お嬢様が、楽しそうに、無邪気に笑う。
その笑顔を見ていたら――何故だろう、無性に悔しくなった。
俺は、お嬢様が好きで好きで仕方が無くて。
触れたい、抱きしめたい、そして何より口づけたいと思っているのに。
いつだって手を伸ばしたい衝動を必死に抑えているのに。
お願いだから、俺と同じくらいに、俺のことを好きになって欲しい。
そのためならなんだってする。
いつだってそう願っているのに。
どうしてお嬢様は、こんな風に俺をからかったりできるんだろう。
お嬢様はひどい。
次の瞬間、俺は、お嬢様の細い腰に手を回し抱き寄せた。
お嬢様の瞳が、驚きと戸惑いに揺れた。
でも、もう、止まらない。もう我慢できない。
これはお嬢様が始めたことだ、責任は取ってもらう。
どうせお嬢様は、俺のことなんて「おとなしい飼い犬」くらいに思ってるんだろう。
でも、飼い犬だって、怒れば飼い主の手を噛むこともある。
俺は、そっと、お嬢様の唇に自分の唇を重ねた。
柔らかく、温かい。そして、甘い。
もう、駄目だ。もう、止められない。
もっと深く、もっと激しく。
お嬢様の全てを奪うように。
強く抱きしめ、より深く唇を合わせる。
永遠に続くかのような激しいキスの後、腕の中のお嬢様は、ぐったりと力が抜けてしまって、支えていないと立っていられないようだった。
「お嬢様……大丈夫ですか?」
耳元で囁くと、びくっと肩を揺らしたが、足には力が入らないようだ。
どうしよう。やってしまった。
お嬢様は怒っているだろうか。
でも、後悔はしていない。
そう、開き直って覚悟を決めていると、お嬢様が小さな声で呟いた。
「もう、リチャードったら……」
その声は、ちょっと怒っているような、拗ねているような、でもほんの少しの甘えが混じっているようだった。
「ファーストキスの時のこと、思い出しちゃった。ふふっ、私が賭けに負けたときに、いきなり奪っちゃったのよね。だから今回のこれは、仕返しってことかな」
「……違いますよ」
「えっ?」
「違います。仕返しなんかじゃないです。それに、お嬢様は気づいてなかったようですが。……それより前に、寝ているお嬢様に、俺がこっそりしたのが初めてです」
「ええっ? そうだったの? 全然気づかなかった! 何で言ってくれなかったのよ!」
「なんとなく、言えなくて」
「もう、リチャードってば。ふふっ、でも結局、私のファーストキスの相手はリチャードってことね」
お嬢様がそう言いながら可笑しそうに笑った。
「ねえ、リチャード。私、これからもずっと、キスの相手はあなたがいいな。人生最初のキスだけじゃなくて、最後のキスもあなたとがいい」
ああ、お嬢様。俺も、俺もあなたとがいい。人生最後のキスだけでなく、これから全てのキスを、あなたとだけしていたい。俺は、あなたのことを、あなたのことだけを、一生愛すると誓います――
そう思ったが、口を開こうとすると涙が溢れそうになり、言葉にすることはできなかった。
背中に回されたお嬢様の手が、子供をあやすように軽くポンポンと俺を叩く。
その優しい仕草に、ますます涙が込み上げてくる。
「リチャードったら、泣き虫ね」
「泣いてません」
「そうね」
「そうです」
それから、お嬢様が淹れ直してくれたお茶を、二人で飲んだ。
「ねえ、リチャード。どうして私を膝の上に乗せるの?」
「バレンタインデーなんですから、このくらいいいでしょう?」
「あなた、性格変わったんじゃない?」
「元からこうです」
「もう……ちょっとからかっただけなのに、なんだかとんでもないことになっちゃったな……」
「おや、俺はからかわれてたんですか? ひどいな……」
「え、リチャード、ごめんなさい」
「お詫びとして、またキスしてもいいですか?」
「え…………ダメ」
駄目って言われても、もう止まらない。止められない。
俺は、にっこりと微笑み、真っ赤になったお嬢様に口づけを落とした。